角川文庫    黒豹の鎮魂歌 第二部 [#地から2字上げ]大藪春彦   目 次  |復讐《ふくしゅう》の鬼  飢えたネズミ  侵 入  第四海堡  クルーザー  乗込む  ダブル・プレイ  |罠《わな》  |覗《のぞ》 く  待 機  見張り  トンネル  執 念     |復讐《ふくしゅう》の鬼      1  猟期に入った十一月の末。  京葉工業地帯の空は鉛色に濁り、そこを、沿岸にひしめきあう工場群から吐きだされるさまざまな色の煙が流れていた。  海も鉛色に濁っている。しかし、今年も数少ない|真《ま》|鴨《がも》やカル鴨を圧して、シベリアや中国からやってきた羽白ガモや黒ガモの大群が、長さ数百メーター幅数十メーターにわたって羽を休めたり、猟船に追われて飛び逃げたりしている。  次から次に行なわれている埋立てや|浚渫《しゅんせつ》工事、それに汚物の|抛《ほう》|棄《き》のために、真鴨やカル鴨のように上等な鴨は激減したが、雑鴨たちが好む海虫が増えているからだ。  しかし、ウイーク・デイなので、千葉の|五《ご》|井《い》から|木《き》|更《さら》|津《づ》沖にかけて出ている鴨射ちの猟船は、ほんの五、六隻のようであった。  |新城彰《しんじょうあきら》は、二十五フィートのモーター・クルーザーのハンドルを握り、そいつをゆっくりと走らせていた。  五ノット以上のスピードで機走しながら鴨を射つと狩猟法違反になるからというためではない。新城が追っている獲物は、鴨ではなく、もっと大きなものだ。  その新城は、米軍放出のオリーブ・グリーンの作業服をつけていた。頭にはウエスターン・ハットをかぶり、手には軍手をつけている。  顔の三分の一ほどは|付《つ》け|髭《ひげ》で|覆《おお》われていた。目には、ブッシュネルのイエローのシューティング・グラスをつけている。  西南の方角の遠くでかすかに銃声が続いた。海では銃声が水と空に吸いこまれてしまって陸地よりもはるかに小さく聞こえる。  新城は十倍の大型双眼鏡を銃声のほうに向けてみた。  三キロほど離れたところに、木造の十メーター級の猟船がいた。胴の間に立ったダルマのような体格の五十男が、半矢となって潜って逃げながら呼吸するために数分置きに浮上する鴨に向けて、自動散弾銃から散弾を浴びせていた。  その男は顔もダルマのようであった。鼻下にチョビ|髭《ひげ》をたくわえている。  通称|小《お》|野《の》|徳《とく》——小野徳三だ。銀城会のヤクザから千葉県会議員に転じ、漁民たちを食いものにして国会議員にのしあがった男だ。  県会議員当時、小野徳は新城の父からバクチで漁業補償金を|捲《ま》きあげた。父は母と新城の妹二人を道連れにして猟銃自殺したのだ。  新城はモーター・クルーザーの艇首を小野徳の猟船に向け、スロットル・レヴァーを引いた。  十月にフランスから偽造パスポートを使って帰国した新城は、これまで骨休みしていたわけではない。  東京や千葉や埼玉に、ドルを円に替えた現ナマの力で数か所の隠れ家を手に入れ、埼玉のアジトにはさまざまの工作機械を|据《す》え、車を十数台盗んできて、シャシー・ナンバーやエンジン・ナンバーを打ち替え、ナンバー・プレートや車検証も偽造した。  神戸の銃砲店に深夜忍びこみ、数十丁の散弾銃やライフルや実包や火薬類を奪ってきて、数か所のアジトに分散させた。  いま新城の|手《て》|許《もと》にあるFNブローニングの自動散弾銃も、神戸の銃砲店から|頂戴《ちょうだい》してきたやつのうちの一丁だ。  一方では新城は図書館に通い、ここ五年間分の五大新聞の縮刷版や千葉の地方紙などに読みふけった。  いま、|舳《へ》|先《さき》から水しぶきをあげるモーター・クルーザーは、猟船に三百メーターほどに近づいた。  そのモーター・クルーザーも、三浦半島|油壷《あぶらつぼ》湾から盗んできたものだ。  偽名を使い、顔も変装した新城は、私立探偵を|傭《やと》い、毎日小野徳を尾行させたのだ。そして、十一月に入ってからの小野徳は、土曜日曜に一斉にくりだす猟船に追われて飛びたちが早くなった鴨が落着きを取戻す水曜を中心にして、週に一度は海が|凪《な》いだ日に、千葉港に置いてある自分の船で鴨の沖射ちを楽しむことを知った。  いつもはボディ・ガード数名を身辺から離さない小野徳も、沖射ちの時だけは彼等を遠ざける。  理由は女だ。銀座のバーや赤坂のクラブで拾った女と、船に揺られながら本番にまで及ぶのだ。船頭は小野徳の|伯《お》|父《じ》の老人だ。  今も猟船の胴の間のコタツで和服の上に毛布を引っかけた、一と目で水商売と分かる若い女が、スコッチのポケット|壜《びん》をラッパ飲みしている。  小野徳と船頭は、十数発のタマを使って、やっと半矢の|羽《は》|白《じろ》|鴨《がも》を仕止めた。船頭が大きなタモ網でその獲物をすくいあげる。  新城はモーター・クルーザーのスロットルを絞った。クルーザーは急激にスピードが落ちた。  猟船では小野徳が、 「さあてと、そろそろ昼飯といくべえか——」  と、船頭に声を掛け、 「何でえ、あの船は?」  と、近づいてくる新城のモーター・クルーザーに赤く濁った視線を向ける。 「さあ、見かけねえ船だっぺな」  船頭は猟船のディーゼル・エンジンをアイドリングさせながら弁当箱に手をのばした。  小野徳はブレダとウィンチェスター一四〇〇の自動散弾銃から、二号や止め矢用の五号の実包を抜いた。ヤカンが掛かっていた大型の七輪に大量の炭を放りこみ、 「|儂《わし》にも飲ませてくれや、口移しでな」  と、コタツにもぐりこんで女の腰に手を|廻《まわ》す。  超スロー・スピードで近づいた新城のモーター・クルーザーは、猟船の左脇に並んだ。新城がロープを投げると、それを反射的に受けとめた猟船の船頭は|艫《とも》に結びつけた。  FNの自動散弾銃を肩から|吊《つ》った新城は猟船の胴の間に跳び移った。 「誰だ、貴様! 無礼な」  女の|裾《すそ》のあいだに手を差しこんでいた小野徳はわめいた。 「失礼、今に分かる」  言い捨てざま新城は、FNを肩から外した。安全装置を外す。|艫《とも》の船頭の顔に向けて発射した。一瞬の間の動作であった。  ほとんど至近距離に等しいところから放たれた二号|霰《さん》|弾《だん》を百数十粒くらった船頭の顔はグシャグシャになった。  倒れる船頭の胸に新城は二発目を浴びせた。船頭に何の|恨《うら》みもないが、小野徳に|復讐《ふくしゅう》するためには仕方ない。  女が悲鳴をあげた。小野徳は、意味をなさぬわめき声を|喉《のど》から絞りだしながら、自分の銃を|掴《つか》もうと|這《は》った。 「動くな、小野徳! 船頭のようになりたくなかったらな」  新城は鋭い声を掛けた。 「わ、儂を知っとるのか?」  化石したようになった小野の口から|喘《あえ》ぎ声が|漏《も》れた。 「コタツに戻れ。手はコタツのフトンの上に置くんだ」  新城は命じた。FNのチューブ弾倉に、指紋を残さぬように軍手をつけたままの左手で、ポケットから出した二号霰弾を二発押しこむ。FN自動は、そんな時、もう一方の手でキャリヤ・ボタンを押さずに済む。 「う、射つな、わ、儂を射ったりしたら貴様は死刑になる!」  コタツに向けて|這《は》い戻りながら小野は震え声でわめいた。 「|俺《おれ》のことを心配してないで、自分の心配をしてたらどうだい?」  新城は、|嘲《あざ》|笑《わら》った。 「だ、誰なんだ貴様は?」  小野は唇を紫色にしていた。連れの女のほうは恐怖で失神寸前だ。 「九州製鉄が|君《きみ》|津《つ》に進出してきた頃のことを覚えてるか?」  新城は尋ねた。 「それがどうした?」 「貴様は九州製鉄の手先となって漁業補償金を値切り倒し、九鉄からリベートをもらって荒稼ぎした。それだけでなく、漁師たちから、バクチで漁業補償金を|捲《ま》きあげた。貴様に骨までしゃぶられ、家族を道連れにして自殺した新城健二という漁師を覚えてないか?」 「…………」  小野の顔がさらに醜く|歪《ゆが》んだ。 「貴様は、残された新城の息子のところに押しかけてきて、オヤジの借金を払えといって、子分たちに新城の息子を|袋叩《ふくろだた》きにさせた」 「貴様……あんたは……?」 「そう、俺は新城の息子だ。長い旅から|故郷《くに》に帰ってきたんだ。変りはてた故郷にな」  新城は|圧《お》し殺したような声で言った。 「助けてくれ! あるだけの金をやる。この女もくれてやる。助けてくれ」  小野は涙とヨダレを垂らした。      2 「ふざけるな。今の俺はハシタ金にも、パン助にも用がないんだ」  新城は|嘲《あざ》|笑《わら》った。 「何が欲しい! |儂《わし》の命か?」  小野は悲鳴をあげた。 「よく、聞け。ヨーロッパで沖元首相の秘書の田中と、九鉄の用地買収係から沖のトンネル会社の社長にのしあがってた岸村がくたばったのを覚えてるな? 沖の部下でアムステルダム日本商工会館の館長をしてた川上は自動車事故ということで死んだ。みんな、俺が|殺《や》ったんだ」  新城は冷たく言った。 「やめてくれ……悪かった。この通りだ……命だけは助けてくれ」  コタツから出た小野は土下座した。ズボンの前は失禁のために黒々と|濡《ぬ》れている。女のほうは|痴《ち》|呆《ほう》のような表情になっていた。 「貴様が助かる|途《みち》は一つだけある」 「何なんだ? 何でもする。助けてくれ」  小野はゴザに顔をこすりつけた。 「しゃべることだ。いまの千葉の保守党がやっていることを」 「何からしゃべったらいいんだ?」 「貴様は富田—水木—沖ラインから、建設畑の丸山保守党幹事長派に|鞍《くら》|替《が》えしたそうだな。どうしてだ?」  新城は尋ねた。 「沖たちのやりかたが、あんまりえげつないからだ。大企業とグルになって荒稼ぎをしてやがる」 「こいつはおかしいや。貴様の口からそんなセリフが聞けるとはな。貴様もハイエナの一人じゃないか。本当のことを言うんだ!」  新城は小野の頭上五十センチほどを|狙《ねら》ってFNブローニングから一発ブッ放した。  銃身の|絞り《チョーク》がフル・チョークだし、至近距離であるから、散弾群はまだ直径十センチほどにしか開かなかった。  しかし、その衝撃波は小野の|度《ど》|肝《ぎも》を抜かせるのに充分であった。女のほうは、|仰《あお》|向《む》けに倒れて白目を|剥《む》く。|癲《てん》|癇《かん》の発作を起こしたようになった。 「射つな!」  心臓が|喉《のど》からせりだしそうな表情になった小野は|喘《あえ》いだ。 「じゃあ、本当のことをしゃべるんだ」 「沖や富田たちのケチさ加減に|嫌《いや》|気《け》がさしたんだ。自分たちの懐を肥やすことばかりに夢中になってやがって、こっちに廻す分け前をケチりやがる。そこにいくと、丸山先生は太っ腹だ。儂はだから、沖や富田や水木がやってる悪事を丸山先生に教え、丸山先生はそのネタで沖派を|牽《けん》|制《せい》して、京葉工業地帯に進出してきてるんだ。沖派や|藪《やぶ》|川《かわ》派にばかり|儲《もう》けさす手はないから……」 「沖派が千葉でやってることを具体的にしゃべってみろ」  新城は命じた。  小野は沖派がいかに京葉工業地帯に進出してきた大企業と持ちつ持たれつの仲で荒稼ぎしているかをくわしくしゃべった。  さらに、沖派の富田大蔵大臣が|鹿《か》|島《しま》コンビナートで荒稼ぎし、藪川保守党副総裁が|九十九里浜《くじゅうくりはま》開発でどのように儲けたか、についてしゃべった。 「どいつもこいつも|禿《はげ》|鷹《たか》にも劣る連中だな。ところで、貴様はどれぐらい貯えこんだんだ?」  新城は尋ねた。頭の上を羽白の大群が通過する。 「待ってくれ。面白いことを教える。だから命だけは助けてくれ」  小野は手を合わせた。 「言ってみろ」 「大東会が沖派と結びついた」 「大東会……東京のでっかい組織暴力団大東会だな? もとの県警本部長で、千葉県副知事から参議院議員になった山部と深くつながっていた……」 「山部と大東会のつながりを知ってたのか」 「俺がまだ|故郷《くに》にいた頃から、山部と大東会のつながりは|噂《うわさ》になっていた。山部が大東会の密輸や、売春宿やバクチで土地成金や補償金をもらった漁師から、大金を|捲《ま》きあげていることを見逃すかわりに、現ナマだけでなくて|妾《めかけ》や|妾宅《しょうたく》まで世話してもらったことは、アムステルダムの川上から聞いた」  新城は言った。 「大東会は韓国系だ」 「なるほど、沖は韓国ロビーの親玉だな」 「だから大東会が沖と結びついたことに不思議はない。大東会は今は沖の義弟の江藤首相にも深くくいこんでいる。国家の保護を受けて、関東一の企業ヤクザにのし上りやがった」 「分かった。貴様が丸山派に|鞍《くら》|替《が》えしたのは、そのことにも関係しているな? 貴様は熱海の銀城会の顧問だったな?」 「…………」 「それで、大東会と沖がどうしたっていうんだ?」 「沖派のうしろ|楯《だて》で、大東会は京葉工業地帯の重要な港をみんな縄張りにおさめた。港町もだ。縄張りでは、やりたい放題のことをやっている。|勿《もち》|論《ろん》、沖派にがっぽり政治献金を吸いあげられてるが……」 「港で大東会がやっていることを具体的にしゃべってみろ」  新城はFNブローニングにさらに一発補弾した。 「例えば、麻薬だ。ヘロインやマリファナを千葉沖で外国船から受取り……」  小野は必死にしゃべっていった。  聞き終えた新城は、 「なるほどな。ところで、さっきの質問に戻る。貴様がこれまでに貯えたのはどれぐらいだ?」  と、尋ねた。 「わ、|儂《わし》はホトケの徳三と言われているように、困ってる連中にバラまくのが好きだから、ほとんど貯えなんてない」  小野は上目使いに新城を見ながら言った。 「笑わすな、貴様の|仇《あだ》|名《な》は吸血鬼の小野徳だ。そんなに死にたいんなら死なせてやる。ただし、楽には死なさねえぜ。まず、腕を吹っ飛ばし、次は|脚《あし》だ」  新城はFNを肩付けした。 「やめてくれ! せいぜい一億といったところだ」 「そうか?」  新城は小野の右腕の外側十数センチの空間に向けて発砲した。  |轟《ごう》|音《おん》と共に大多数の二号|霰《さん》|弾《だん》は空間を通過して海に水柱をあげたが、パターンから外れた数粒が小野の右腕に深くくいこんだ。  |化《ば》け|猫《ねこ》のような悲鳴をあげて小野は転げまわった。 「今度はまともに|狙《ねら》うぜ」  新城は冷たく言った。 「やめてくれ! 三十億だ」  小野はわめいた。 「どこにある?」 「ほとんどが無記名の定期預金だ」 「現ナマは?」 「ほとんどない」 「じゃあ、貴様にはもう用は無い」 「待ってくれ。南房総藤原の別荘の地下に金庫室がある。女房にも教えてない金庫室だ。そこに、プラチナのインゴットを一トン、五カラットのダイア百粒、現ナマ五億を隠してある。儂を助けてくれたら、そこに案内する」  小野は|呻《うめ》いた。 「藤原のどこなんだ、別荘というのは?」  新城は尋ねた。 「海を見おろす丘の中腹にある鉄筋二階建てだ。小野御殿といえばすぐに分かる」 「地下金庫室にはどこから入るんだ?」 「案内する。いましゃべったら、あんたは儂を殺す気だろう」 「しゃべるんだ。|出《で》|鱈《たら》|目《め》な話で時間稼ぎをする気なら、こっちは引金を絞るからな」  新城は言った。 「地下金庫室の秘密の入口は、一階の暖炉だ。暖炉の火床の奥の耐火|煉《れん》|瓦《が》は外せるようになっている。そいつを外すと、地下に降りる階段がある」  小野はしゃべった。 「地下金庫室の|鍵《かぎ》は?」 「京葉銀行の貸し金庫に|仕《し》|舞《ま》ってある」 「ダイアル鍵はついてないのか?」 「無い、本当だ」 「別荘に留守番は?」 「いない!」 「|嘘《うそ》ばっかりしゃべると、どういうことになるか分かってるだろうな?」 「本当のことをしゃべったんだ。そんなに俺が憎いなら殺せ!」  小野はわめいた。 「よし、分かった。その女を抱け」  新城は命じた。 「な、何と言った?」 「その女を抱けと言ったんだ。ハメハメしろと言ったんだ」  新城は冷然と命じた。      3 「ど、どうしてだ?」 「うるさい。貴様がどうやって女と楽しむかを見物したいからだ」 「あ、あんた、|覗《のぞ》き魔か?」 「言われた通りにするんだ」  新城は言った。 「立たねえ。銃を突きつけられてたんでは……」 「かえってスリルがあるだろう」 「…………」  小野は気絶している女の和服を脱がせた。|長《なが》|襦《じゅ》|袢《ばん》や腰巻も外す。胴長な女の上半身は貧弱であった。脚は大根足だ。鳥肌をたてている。  小野はズボンをずりさげ、小便で|濡《ぬ》れたパンツも脱いだ。どす黒い男根は縮みあがって、ジャングルのなかに隠れそうになっている。  片手だけを使ってタバコに火をつけた新城は薄笑いを浮かべて眺めていた。 「|畜生《ちくしょう》……」  と、|呻《うめ》きながら、小野は女にかぶさった。貧弱な乳房を吸いながら、花弁のあたりをまさぐる。  やがて女は意識を取戻し、悲鳴を|漏《も》らしながら、逃れようと暴れた。  そうなると、小野のものは隆々としてくる。無理やりに女を犯した。  一方的に小野が放出すると、新城は、 「よし、立て」  と、小野に命じた。 「ど、どうする気だ?」  素っ裸の小野は、薄汚いものをぶらぶらさせながら立上った。  新城はそろそろと|艫《とも》のほうに移動した。 「貴様が女とやりながらあんまり威張りまくって船頭に命令するんで、船頭はアタマにきて貴様に銃を向けた。だけど、いきなり貴様を殺したんでは面白くないんで、まず女を射った。そのあいだに貴様は自分の銃を|掴《つか》んだ。貴様と船頭は射ちあってくたばった……こういうわけだ」  新城は言った。 「やめろ……やめてくれ……」 「いや、俺の復讐を誰もとめるわけにはいかない」  新城はいきなり女の顔面に二発射ちこんだ。お岩よりもひどい顔になった女は死の|痙《けい》|攣《れん》をはじめる。  絶叫をあげた小野は、自分のブレダを掴んだ。その銃を新城に振り向ける。  しかし、その銃は、さっき小野自身が弾倉や薬室の実包を抜いたばかりだ。そのことに小野が気付いて絶望的な叫びをあげたとき、新城は二度引金を絞った。  小野の顔の半分が消失した。新城は、自分が先ほどから射った数発の|空薬莢《からやっきょう》は機関部からはじき出されて海を|漂《ただよ》っているが、一個だけは船の上に落ちていることに気付いた。  新城はそれを拾って海に捨てた。血を踏まないように気をつけながら、女と小野の脈をとってみる。  二人とも脈はもう無かった。新城は|艫《とも》に戻り、船頭も完全に死んでいることと、船頭も小野からもらったらしい二号霰弾を使用していることを知る。  新城は船頭の古ぼけたイサカ十二番のスライド・アクション銃の弾倉と薬室に、エンジン・カヴァーの上の船頭の弾箱からフェデラルの紫色がかったプラスチック・ケースの二号重装弾を詰めた。  船頭の死体にイサカを握らせ、薬室の一発を引金に手を添えて引かせる。散弾群は海に|叩《たた》きこまれ、反動でイサカは船頭の死体から外れる。  新城は盗品のモーター・クルーザーのロープを猟船から外し、モーター・クルーザーに跳び移った。  モーター・クルーザーは死人たちが乗っている猟船から急速に遠ざかっていった。新城はFNを分解して釣用のバッグに仕舞う。  いざという時には、作業服の上着の下のショールダー・ホルスターに隠したスウィス製ニューハウゼン十四連の自動|装《そう》|填《てん》式|拳銃《けんじゅう》や、ヒップ・ホルスターの消音器付きのベレッタ・ジャガーを使う積りだ。  船底を波に叩きつけながら飛ばすモーター・クルーザーの左手のはるか遠くに、新城の故郷の君津浜が見えた。  しかし、そこにはかつての面影はまったくといっていいほど無かった。かつてはノリと|魚《ぎょ》|介《かい》類の宝庫で、よそから訪れる者といえば潮干狩りと海水浴客がほとんどであったのどかな村であったのに、今は九州製鉄や石油コンビナートの群れが林立する煙突から炎や煙を多量に吹きだしている。  新城は復讐の誓いを新たにし、|浦《うら》|賀《が》|水《すい》|道《どう》に出た。エンジンをフル回転させ、二十ノット以上でモーター・クルーザーを飛ばす。  直線距離にして四十キロほどの|船《ふな》|形《がた》沖にやってきたのは一時間ほどのちのことであった。その間に新城は潜水用のウエット・スーツに着替え、アクア・ラングのボンベを背負っていた。  腰には、完全防水のバッグをロープでつないである。そのなかには、散弾銃や拳銃や|脱《ぬ》いだ作業服などが詰めてあった。  |館《たて》|山《やま》の五キロほど沖で、新城はモーター・クルーザーの自動操縦装置を外洋に向けた。  十ノットほどにスピードをゆるめたモーター・クルーザーから汚れた海に跳びこむ。潜水して船形港外に向けて泳ぐ。薄いゴム手袋をつけている。  水面からは船が近づいてきたとき以外には深く潜らないので、背負ったボンベは新城が無人の岩場にたどり着くまで充分に|保《も》った。  岩場のうしろはけわしい|崖《がけ》であった。ボンベやウエット・スーツなどを崖の下に埋めた新城は、小野を痛めつけていた時と同じ格好に戻った。  FN自動散弾銃を仕舞った釣のケースを背負い、崖の上に|這《は》いあがる。しばらく歩くと国道に出た。  新城はバスに乗って船形の町から五キロほど南の館山市に行った。  映画館のトイレでコールマン|髭《ひげ》とロイド眼鏡の顔に替え、繁華街から少し外れた街道筋にある日星自動車のレンタ・カー営業所に行った。 「一日契約で車を借りたいんですが」  と、受付の娘に言う。今はゴム手袋を外し、右手の指先に透明なセロファン・テープを|貼《は》ってあるが、指紋が残らないことには変りはない。 「どんな車がお好みです?」  丸い顔の娘はコケティッシュに|目《ま》ばたきした。 「小さくて早いやつがいいな」 「では、チェリーのX1でいかがでしょう?」 「いいな」 「それでは免許証を見せてください」  娘は言った。  新城は埼玉のアジトで小型印刷機を使って偽造した田中一夫という名義の免許証を差しだした。  二十分後、新城はグリーンのチェリーX1で館山から|布《め》|良《ら》に向う道を飛ばしていた。  南房だけあって、冬なのに、緑が濃い。花が咲き乱れ、現実でないようだ。  藤原村は洲宮で無舗装の道に分かれて入っていったところにある。眼下に房総フラワー・ラインと白い浜辺、それに太平洋を見おろす小野の別荘は、村の人に|尋《き》かなくてもすぐに分かった。|雑木林《ぞうきばやし》の百五十メーターほどの高さの丘の中腹に、クリーム色の堂々たる建物が見えた。丘の|裾《すそ》から車でそこに行くには、小野家私道という立札がたったコンクリート舗装の道を通らねばならない。  新城はその丘の反対側の雑木林のなかの空地にチェリーを|駐《と》めた。  散弾銃——その製造ナンバーも打ち替えてあった——はバッグごと車に残し、新城は丘の雑木林を登っていく。常緑樹が多いので、身を隠すのに苦労はいらない。  丘の上に登ると、小野の別荘の|全《ぜん》|貌《ぼう》がよく見えた。金網で囲われた敷地は一万坪を越えているだろう。建物からかなり離れた南側に、湯気をあげている温泉プールが見える。留守番はいないと小野は言っていたが、プール・サイドのデッキ・チェアで若い男が寝そべっていた。その近くのテーブルに、コーラの|壜《びん》とカービン銃が置かれていた。  舌打ちした新城は、ヒップ・ホルスターから消音器付きのベレッタ・ジャガーを抜いた。二十二口径ロング・ライフル弾を使用する十連発のその拳銃は、昨日も埼玉の山のなかで百二十発ほど射撃練習し、完全に着弾点を|掴《つか》んでいる。  立木や|灌《かん》|木《ぼく》の茂みのあいだを、新城は慎重に別荘の金網に忍び寄った。  金網に近づいても、すぐにそれを乗り越えるようなことはしない。金網のまわりを、木々に身を隠しながら廻っていく。  留守番というか見張りというか、屈強な若者は、プール・サイドにいるだけではなかった。建物の左手に空気銃の私設射撃場があり、そこで二人の若者が、ワルサーのエア・ライフルで立射の練習をしていた。  |安土《バック・ストップ》は鉄板を立てたもので、標的はその前の机に置いたジュースの空き缶だから、正式の射場ではない。  新城は彼等の斜め前三十メーターのあたりで、金網のなかにベレッタの銃身の先の消音器を差しこんだ。  素早く四度引金を絞る。  二人は二発ずつ頭部に二十二口径ハイ・ヴェロシティ弾をくらって転がった。意識を失ったままうごめく。  邪悪な笑いを浮かべた新城は弾倉に四発補弾し、素早く金網を乗り越えた。  温泉プールからは射場は死角になっているので、デッキ・チェアの若者は仲間が射たれたことに気付いてないようだ。  新城はあたりに鋭い視線を配りながら、全身を|痙《けい》|攣《れん》させている二人に近づいた。二人の頭から流れる血は土に吸いこまれ、血に|濡《ぬ》れた|蟻《あり》がもがいている。  トドメを刺す必要も無く、二人はすぐに動かなくなった。新城は二人のポケットをさぐり、そのうちの一人が|鍵《かぎ》|束《たば》を身につけているのを見つけて自分のポケットに移す。  建物に近づいた。  建物のなかから射ってくる者はいなかった。建物の外壁に沿って新城は、南側に廻っていく。  南東の角のあたりまで行った新城は、地面にそっと腰を降ろした。|両膝《りょうひざ》を立て、その上に両手で握ったベレッタを固定する。  その時になって、温泉プールの|脇《わき》の若者がデッキ・チェアから半身を起こした。カービンに手をのばす。      4  その男と新城との距離は百五十メーターほど離れていた。  拳銃の必中射程を完全に外れている。しかし新城は、ドロップする弾道を計算し、一発目を男の頭上に慎重に|狙《ねら》って引金を絞ると、あとは弾倉も薬室も空になるまで、機銃のような早さで射った。  ベレッタを左手に持ち替え、右手でショールダー・ホルスターのニューハウゼン口径九ミリのハイ・パワー拳銃を抜く。  プール・サイドの男は、立上ろうともがいていた。やっと立上り、カービンに手が触れた途端、横向きに倒れる。  ベレッタから弾倉を抜いて、それに二十二口径弾を十発|装《そう》|填《てん》しながら、新城はその男に向けてジグザグを描いて走った。  近づいてみると、モミアゲが長いその男は、胸と腹と|顎《あご》に五発をくらっているのが分かった。しかし、距離が二十二リム・ファイア口径弾としては遠かったので、死んではいない。意識もはっきりしているようだ。  新城はテーブルの上の三十連弾倉がついたカービンを取り上げて左肩から|吊《つ》った。 「こ、殺せ……早く楽にさせてくれ」  若い男は|呻《うめ》いた。 「イキがるなよ。まだ死にたくなる年ではない|筈《はず》だ」  新城は言った。 「た、助けてくれるのか?」 「お前さん次第だ。建物のなかに何人いる? 空気銃射場にいた二人はくたばったぜ」 「ほかに誰もいない。救急車……救急車を呼んでくれ」  男は|喘《あえ》いだ。 「あんたを含めて三人だけでこの別荘を警備していたというのは本当か?」 「どうして|嘘《うそ》をつかねばならねえ、助けてくれ」 「ああ、楽にしてやるぜ」  新城は男の|眉《み》|間《けん》をベレッタで射ち抜いた。  死体を温泉プールに|蹴《け》り落とし、新城は空気銃射場に戻った。そこの二つの死体を、|灌《かん》|木《ぼく》の茂みのなかに隠した。  建物に暖炉があることは、二階の屋根から煙突がのびていることでも分かった。新城は拳銃を腰だめにして玄関のドアのノブを左手で試してみた。  ロックはされてなかった。ドアは開く。暖炉がある広いサロン風の部屋は玄関ホールと分厚い壁でへだてられたところにあった。  新城は念のために一階や二階の各部屋を調べて無人であることを確かめてからサロン風の部屋に戻った。  暖炉は大きかった。ほとんど火をたいた形跡はない。マントル・ピースの高さは、一メーター半ぐらいの高さだ。  その暖炉にもぐり込んだ新城は、|火《ひ》|掻《か》き棒を奥の耐火|煉《れん》|瓦《が》の|隙《すき》|間《ま》に差しこんだ。  一枚の煉瓦が外れると、あとを外すのは簡単であった。やがて、高さ一メーター、幅も一メーターほどの空洞が開く。  内ポケットから万年筆型の懐中電灯を取出して照らしてみると、空洞の下に階段があった。  新城はその階段を伝って降りていった。  降りきったところに、二坪ほどの小ホールがある。電灯のスウィッチもついているので点灯する。  左側に金庫室の鋼鉄の扉があった。ダイアル錠はついてないと言ったのは小野の嘘で、|舵輪状《だりんじょう》のハンドルがついた大型ダイアル錠があった。  |鍵《かぎ》|孔《あな》はついてないから、ダイアル錠だけで開くのであろう。シリンダー錠なら針金を使ってロックを解くことが出来る新城だが、組合せ番号を知らないと、天文学的な回転を|廻《まわ》さねばならぬダイアル錠ではお手上げだ。聴診器と指先の微妙な手ごたえでダイアルを合わせるだけのテクニックは持ってない。  |罵《ののし》った新城は、手荒な方法で金庫室を破ることにした。台所に近い物置部屋に、ツルハシや硝酸系肥料、それに石油などが置かれてあったことを思いだす。速乾性のセメント袋もあった。  一度一階に戻ってそれらを取ってきた新城は、ツルハシを振るって、金庫室の扉の横のコンクリートを砕きはじめた。  分厚いコンクリート壁だ。深さ五十センチほどの穴をあけても、まだ内側にはとどかない。|頑丈《がんじょう》な鉄筋が数本|剥《む》きだしになった。  新城は直径三十センチほどになったその穴に、硝酸肥料と石油を混ぜたものを詰める。  カービンの銃口にその実包の弾頭を差しこんでねじり、三十発からの弾頭を抜いた。|薬莢《やっきょう》口をクリネックス・ティッシュでふさぎ火薬をこぼさぬようにしながら、穴に詰めた肥料と石油を混ぜたものに、薬莢口を先にして差し込む。  落ちないように、ところどころ速乾性のセメントで支えを作った。あまった肥料と石油を混ぜて穴の下の床に積み、そこにライターで火をつけると、大いそぎで一階に登った。  建物の外で待つ。  やがて地下で爆発が起こり、建物は揺らいだ。床の肥料が、穴に詰めた肥料に差しこんだ薬莢の雷管を発火させ、噴射した薬莢の炎と一瞬に燃え移った火薬の炎が、爆薬に等しい穴のなかの肥料と石油の混合物を爆発させたのだ。  少し待ってから、新城は建物のなかに入ってみた。  先ほどの爆発の衝撃で、花瓶や置物などが床に落ちて砕けている。暖炉にもヒビが入っていた。  万年筆型の懐中電灯で照らしながら地下に降りた新城は、乱舞するコンクリートのかけらと煙を吸って|咳《せ》きこんだ。  金庫室の分厚い鉄扉は開いていた。そのなかを照らすと、コンクリートの破片のヴェールの奥に、棚が並び、そこに十キロずつの塊らしいプラチナや|金《ゴールド》のインゴット、それに宝石箱や現ナマの束が見える。  何度も往復して、新城は小野の隠し財産を玄関ロビーに運んだ。玄関の近くに、ニッサン・パトロールのワゴン型四輪駆動車が|駐《と》まっている。  空気銃射場で片付けた男から奪った鍵束のうちの一つが、そのワゴン型四輪駆動車のイグニッション・スウィッチに合った。  新城は玄関ロビーに移してあった小野の隠し財産をそのニッサン・パトロールの荷室に積み替えた。  あまりの重さに、強力なパトロールのスプリングもたわむほどであった。再び髭もじゃの顔とブッシュネルのシューティング・グラスの顔に戻った新城は、ニッサン・パトロールのハンドルを握って発進させる。  正門の錠は簡単なやつであったから、針金ですぐに開いた。  新城は四駆車の車首を、千葉県|習《なら》|志《し》|野《の》市にあるアジトに向けた。海岸沿いに九十九里町に北上し、そこで|東《とう》|金《がね》市に左折し、|八《やち》|街《また》、佐倉、八千代を通って習志野に行くことにする。  ほぼ三時間後、新城の四駆車は習志野の新興住宅地のなかにあるアジトの門をくぐった。  それは、百五十坪ほどの敷地を持つ建売住宅だ。話があとになったが、新城は一と月ほど前、新城が都内にアジトのアパートを捜しているときに知りあった悪徳不動産屋の悪徳セールスマンを殺し、その死体を硫酸で溶かして処分し、そいつの名前を利用して全然別の不動産屋からこの建売住宅を買ったのだ。  殺す前に格安にカッコいい外車を月賦で譲ってやると言って、黒山というその不動産セールスマンに印鑑証明や住民票をとらせておいた。  黒山は独り身のアパート暮しであったから、黒山の姿が見えなくなっても、蒸発してどこかでまたあくどく稼いでいるのだろうと、誰もその身を心配する様子はないようであった。黒山が籍を置いていた不動産屋では、黒山が会社の金を持ち逃げしたのでないことが分かると、まったく黒山に対して無関心になった。  いま新城が入ったアジトの庭には、シャッター付きのガレージがあった。二台の車を収容できる大きさだ。  そのなかにニッサン・パトロールを突っ込んだ新城は、二十坪ほどの母屋のなかに荷物を移しはじめた。  一番奥の|納《なん》|戸《ど》の部屋にインゴットや現ナマを置く。|安《やす》|普《ぶ》|請《しん》だから床の|根《ね》|太《だ》が抜けそうになりそうなものだが、そうはならないのは、床下をコンクリートで固めてあるからだ。  無論、その作業をやったのは新城だ。地下金庫室まで造ってある。  二枚の畳をはぐり、床板を外すと、地下室への階段があった。その階段を降りた横が金庫室だ。  インゴット——金とプラチナで五億円分はあった——と五億円の札束を金庫室に仕舞った新城は、しばらく超短波の警察ラジオを聴いてから、空になった四輪駆動車を運転して夜の町に出た。  佐倉で四輪駆動車を捨て、ホンダCB七五〇の単車を盗む。そいつを飛ばして、藤原村に向う。  小野の別荘の丘の反対側に置いてあるレンタ・カーをそのままにしておけないからだ。  洲宮でホンダ七五〇を捨てて、あとは歩いた。  |駐《と》めてあるチェリーX1に忍び寄りながら、新城は慎重にあたりを見廻す。  待伏せている者はいないようであった。新城はその車に乗りこみ、|遁《とん》|走《そう》に移る。  習志野のアジトに戻った時はすでに深夜であった。ガレージにチェリーX1を突っこんだ新城は、母屋の居間に移った。  ベッドの横の羽目板に隠した警察ラジオを傍受しながら、ジンを口に含み、ビールで胃に流しこむ。一般のラジオもつけた。  一般ラジオは、潮に乗って神奈川県|追《おっ》|浜《ぱま》まで流された小野の猟船から小野を含めた三個の死体が発見されたことを伝えていた。漂流した猟船と死体が発見されたのは午前零時頃らしい。  パトカーと指令室との警察ラジオは、南房方面のパトカーは藤原村の小野の別荘に直行するようにと指令していた。  小野の子分が、別荘にいくら電話しても返事が無いのをあやしみ、別荘を訪ねてみて、三人の男が殺されていることを発見した、ということだ。  午前一時を過ぎると、藤原村を聞きこみに歩いている刑事たちの報告が、次々にパトカーの無線を使って県警本部に送られはじめた。      5  新城のことや新城が使ったチェリーX1に気付いた者はいないようであった。しかし、別荘から出ていった四駆車を見た者は何人かいる。だが、それを運転していた男——すなわち、新城——については、サングラスをつけて髭もじゃであったとしか覚えていないようだ。  夜明け近くまで警察ラジオを傍受していたが、新城は眠気に耐えかねてベッドにもぐりこむ。  目が覚めたのは昼過ぎであった。もじゃもじゃの付け髭を外し、コールマン髭を付けてロイド眼鏡を掛けた新城は、日星レンタ・カーの浅草営業所にチェリーX1を返しに行った。  いわゆる乗り捨て制なので、借りた営業所と別の営業所に返してもいいのだ。今度も新城は指にセロファン・テープを|捲《ま》いていた。  レンタ・カーを返すと、新城は北千住のアジトであるアパートに寄った。そのあたりは、まだ空地が多いので、アジトのアパートも広い空地を持ち、そこが無料駐車場として使われていた。  そこに|駐《と》めてある目立たぬブルーバードSSSは、新城が神奈川県下で盗んできて、偽造品のナンバー・プレートをつけたものだ。キーも車検証もその車に合わせて偽造してある。無論、エンジン・ナンバーやシャシー・ナンバーも打ち替えてあった。  そのブルーバードを駆って習志野のアジトに戻った新城は、それから一週間ほどは、インゴットや現ナマをほかのアジトに分配したり、警察ラジオを傍受したり、TVを見たり、新聞を読んだりして過ごした。  小野の死は、船頭と小野が言い争いの末に射ちあったため、という説と、船頭と小野が射ちあったように見せかけて、小野が顧問をやっている銀城会と対立している大東会の者が|殺《や》ったのだ、という見方に分かれているらしい。  新城のことは、警察ラジオでも聴かなかったし、ましてや一般の報道でも新城のことに触れたものは無かった。  ホトボリを冷ますために新城はさらに三日待った。  車で千葉市に出た新城は、都川の大橋近くの川っぷちにそのブルーバードSSSを駐めた。  まわりは工場の煙突が毒々しい煙を吐き続けているが、悪臭を放つ川には、朽ちかけた小船に混じってハゼ釣りやカモ猟が密集し、独特の情緒がまだ残っている。  近くの公衆便所で小用を済ませた新城はぶらぶらと歩いて京成千葉駅のほうに歩いた。今夜の新城は、銀ブチの素通しの眼鏡を掛け、服はイギリス物で、いかにも金がありそうな格好をしている。コールマン髭を付けている。  かつてはうらぶれた感じであった千葉駅は、今は堂々としたビルになっている。  新城は都橋を渡り、|葭《よし》|川《かわ》沿いに、市一番の繁華街である栄町のほうに歩いた。栄町は千葉駅の斜め前にあって、そのなかにある|曙街《あけぼのがい》が千葉で最もにぎやかな歓楽街だ。  バーやキャバレーやソープランドが密集し、屋台の蔭でパン助がウインクを送ってよこす曙街には、大東会や銀城会のバッジを見せびらかしたチンピラどもが多かった。  新城は曙街の“牛|豚《トン》シャン”で朝鮮料理を食うと、近くのバーをハシゴして廻った。派手に札ビラを切ると、女たちは新城のズボンのチャックを降ろし、パンティをずりさげて新城の|膝《ひざ》の上に乗ってくる。  カモが舞いこんだという情報が伝わったらしく、五軒目のバーを出たところで、銀城会のバッジをつけた五人のチンピラが待ち構えていた。  わざと彼等は新城にぶつかってきて、 「おい、兄さん、痛えじゃねえか。どうしてくれるんだ?」  と、|凄《すご》む。 「済まねえ。俺は多摩の人間だ。土地を売ってゼニが入ったんで、つい浮かれてしまってな。これで勘弁してくれないか?」  新城は五千円札を一枚ずつチンピラに配った。分厚くふくらんだ財布を見せつける。 「こんな|端《はし》た金でオトシマエがつくと思うのか?」  物欲にギラギラ目を光らせながら、チンピラたちは声を高くした。 「勘弁してくれよ。どうだい、一緒に飲んで機嫌を直してくれないか?」  新城は愛想笑いを浮かべながら言った。 「千葉ははじめてか?」  一人が尋ねた。 「そうなんだ。面白いところに案内してくれよ。勘定はこっちで持つから」 「よし、分かった。ついて来い」  チンピラたちは、新城を囲むようにして歩きはじめた。新城は自分が二丁の拳銃を身につけていることをさとられないようにする。  連れていかれたのは露地裏にある薄汚いバーであった。化け物のような女が三人いる。 「どの女と寝てもいいぜ」  一人が新城に言った。 「女よりもこいつのほうがいいな」  新城は鼻をこすった。 「|花札《ハナ》か?」 「ああ、どうせアブク銭だ。これを元手に荒稼ぎするか、スッテンテンになるか、ともかく派手にやってみたいよ」  新城は言った。 「待ってろ」  一人がその店を出ていった。  新城は残った男たちにスコッチを注文してやった。自分も飲む。  しばらくして、出ていった男は、準幹部クラスらしい三十男を連れて戻ってきた。 「若い者の無作法をどうか許してやってください。バクチはお好きですか?」  と、新城に尋ねる。 「カッカするほうでね」  新城は笑った。 「今まで、どこの|賭《と》|場《ば》で楽しまれました?」 「いやあ、仲間うちだけだ」 「失礼ですが、いま軍資金はいくらぐらいお持ちで?」 「さあ、二百万ぐらい残っているかな」 「結構ですな。それでは、うちの賭場に御案内しましょう。私は内山と申します。よろしく」 「俺は安井だ」  新城は偽名を名乗った。  |要橋《かなめばし》の近くでクラウンの白タクに乗せられた。新城に付添ったのは、内山と、清川と三木というチンピラだ。  方向感覚を失わすためか、その車は大通りは横切るだけにして、狭い道を三十分ほど走った。  しかし、着いたところが、工場群にはさまれた寒川町の旅館街であることが新城にはすぐ分かった。偶然だが、ブルーバードSSSを駐めたあたりとさほど離れていない。 「今夜は盛況でしてね。お大尽が百人ぐらい集まってくださってるんでござんすよ」  見張りが数メーター置きに立った“新月”という大きな旅館の前に来ると内山は言った。  車から降りた新城は玄関や階段の下の見張りに千円札のチップをばらまきながら、内山に連れられて二階に登った。  二階の百畳ほどの大広間が|賭《と》|場《ば》になっていた。バッタ捲きの賭場とサイコロの賭場に分かれている。  客は土地成金の農民や漁業補償でアブク銭を|掴《つか》んだ連中だということは、渋紙色の肌や節くれだった指で分かった。 「真ん中のかたが銀城会千葉支部長の竹村さんですよ。右に大幹部の……左に……」  内山は床の間を背にした凶悪な面相の男たちの身分を新城に教えた。 「ご苦労」  新城は九ミリ・ニューハウゼンをショールダー・ホルスターから抜き、いきなり内山の頭を射ち抜いた。  |凄《すさ》まじい|轟《ごう》|音《おん》と共に血しぶきが天井まで飛ぶ。砕かれた|頭《ず》|蓋《がい》|骨《こつ》が四散した。ついてきた二人のチンピラは、腰を抜かして|坐《すわ》りこんだ。  客やヤクザたちは、わめき声をあげて立上りかけた。  新城のニューハウゼンが耳を|聾《ろう》する発射音を三秒のあいだに十発響かすと、拳銃を抜こうとしていたヤクザたちはみんな心臓や|眉《み》|間《けん》を抜かれて死体と化す。  床の間を背にした支部長や大幹部たちは黄色っぽくなった顔から脂汗を垂らし、舌を突きだすようにして|喘《あえ》いでいた。  新城はヒップ・ホルスターから、これも十四連の九ミリ・ブローニング・ハイ・パワーを左手で抜いた。そいつを口にくわえ、左手で素早く予備弾倉をポケットから出し、ニューハウゼンの弾倉室の弾倉と取替える。 「ここにある金はみんな|頂戴《ちょうだい》していくぜ。ついでに、貴様らの命もな」  新城は床の間の支部長たちに、ニューハウゼンと、再び左手に握ったブローニング・ハイ・パワーを向けた。 「やめろ! 射つな!」  支部長竹村は眼球が|眼《がん》|窩《か》からとびだしそうになっていた。ズボンの前が黒々と濡れて湯気をたてる。     飢えたネズミ      1 「そんなに死にたくないのか?」  新城は二丁の自動拳銃を腰だめにしたままニヤリと笑った。 「頼む、この通りだ。射たないでくれ!」  銀城会千葉支部長の竹村は平グモのように|這《は》いつくばった。 「貴様に虫ケラのように射ち殺された漁民の気持が分かったか?」  新城はニヤリと笑った。 「な、なんで|俺《おれ》ばかりを責める? うちよりも大東会のほうが、もっともっとあくどいことをやっているのに」  竹村は泣きながら言った。生残りの幹部たちは|喉《のど》から心臓がせりだしそうな表情をしている。バクチの客たちは腰を抜かしている。 「貴様は俺に説教する気か?」  新城は冷たく言った。 「と、とんでもねえ」 「よし、貴様は生かしておいてやろう。そのかわり、この|賭《と》|場《ば》のゼニをみんな集めるんだ」 「…………」 「死にたいのか?」 「分かった」  竹村は四つん|這《ば》いになって、二つの盆ゴザの上の紙幣を集めた。そいつをテラ銭箱のなかに移し、 「さあ、これを持って早く帰ってくれ」  と、震えながら新城に差しだした。 「よし、腹這いになって、首のうしろで両手を組んでるんだ」  新城は竹村に命じた。  竹村は命令にしたがった。新城は、 「俺は貴様らに自殺に追いつめられた漁師の息子だ。貴様らに死とはどんなものかを味わわせてやる」  と、床の間の前の大幹部たちに二丁の拳銃の銃口を向けた。 「畜生……」  大幹部の一人が背広の下のショールダー・ホルスターに右手を走らせた。  薄く笑った新城は、右手に握ったニューハウゼン十四連発と左手のブローニング・ハイ・パワー十四連から発射した。  ルーガーP08を抜きかけていた大幹部は顔面を吹っとばされて即死した。新城は左右の拳銃から六発ずつを射つ。  床の間の前で生残っていた大幹部たちはみんな死体となった。 「よし、立つんだ」  薄煙がたつ二丁の拳銃を無造作に構えた新城は竹村に命じた。 「だ、|駄《だ》|目《め》だ、体が|金《かな》|縛《しば》りになってしまった」  竹村は|呻《うめ》いた。 「じゃあ、貴様も死ぬか?」 「よ、よしてくれ」  竹村はやっとのことで立上った。床の間の前に転がった大幹部たちの死体を見て、エビのように身を折って吐きはじめる。 「みんな、動くなよ。これに|懲《こ》りて、バクチはやめるんだ。それに、ヤクザの賭場はインチキに決まってるんだからな」  新城は腰を抜かしている客たちに向けて言った。吐くものがなくなって喉を鳴らしている竹村に、 「これから、貴様に|楯《たて》になってもらうぜ。俺がここから脱けだすためのな。さあ、テラ銭箱を持つんだ」  と、命じる。  竹村は命令を拒否することが出来なかった。両腕で|樫《かし》の木で造られたテラ銭箱を抱える。  竹村の背にニューハウゼンの銃口を|圧《お》しつけた新城は、ときどき左手の大型ブローニングで客やチンピラたちを|威《い》|嚇《かく》しながら、竹村を階段のほうに歩かせた。  階段の下では、五人の男が拳銃を上に向けていた。しかし、支部長の竹村が新城の楯になっていると知って|怯《ひる》む。 「下の連中にハジキを捨てて|腹《はら》|這《ば》いになるように言うんだ。そうでないと、貴様の命は無い」  新城は竹村に|囁《ささや》いた。  |顎《あご》をガクガクさせて|頷《うなず》いた竹村は、 「みんな、ハジキを捨てろ、これは、俺の命令だ」  と、わめいた。 「し、しかし……」  階下の一人が声を震わせた。 「命令にそむく気か? 俺が射たれてもいいのか?」  竹村は泣き声で叫んだ。 「わ、分かりました、支部長」  階段の下の男たちは|口惜《くや》しそうに拳銃を捨てた。 「済まん。みんな、腹這いになってくれ」  竹村は部下たちに言った。  男たちは口のなかで|罵《ののし》りながらも竹村に言われた通りにした。新城は竹村の背中を拳銃の銃口で突ついて階段を降りさせた。階段を降りると、新城は五人の頭を|蹴《け》とばして気絶させる。  旅館の玄関のチンピラたちは、両手を|挙《あ》げて無抵抗の意思表示をしていた。新城は、 「支部長の車の運転手は誰だ?」  と、|喘《あえ》いでいるチンピラに尋ねる。  チンピラたちの視線が、銀行員タイプのチンピラに集中した。 「お前なんだな?」  新城はその男に尋ねた。 「お、俺は何もしてねえ。射たないでくれ」  運転手は|呻《うめ》いた。 「心配するな、車のキーを持ってこっちに来い」  新城は命じた。  運転手は膝をガクガクさせながら新城のほうに歩いてきた。鍵束を差しだしている。新城は左手に握っていたブローニング・ハイ・パワーを口にくわえてその鍵束を受取ると、|股《こ》|間《かん》を鋭く|蹴《け》った。  運転手は|昏《こん》|倒《とう》した。そのとき、階段を転がるようにして数人の男が降りてくる音が聞こえた。新城はニューハウゼンから階段に向けて一発|威《い》|嚇《かく》射撃した。  男たちは驚きと恐怖のあまり足を踏み外して階段から転げ落ちてきた。気絶させられている男たちの上に折り重なる。  新城は竹村を玄関の外に出した。竹村が今夜乗ってきた車が何かと|尋《き》いてみると、フォードのリンカーン・コンチネンタルだそうだ。  旅館の前の通りには、銀城会の車数台のほかに、客たちの車が三十台以上並んでいた。  客たちはほとんどが補償成金なので、クロームだらけのいわゆるデラックス車やアメ車がほとんどであった。  竹村はときどき悲鳴を|漏《も》らしながら、黒塗りのリンカーン・コンチネンタルに向けて歩いた。新城はその背後でニューハウゼンの弾倉にポケットから出した実包を補弾した。ブローニング・ハイ・パワーは、撃鉄安全を掛けてズボンのベルトに差す。  その時、パトカーのサイレンが近づいてくる音が聞こえた。新城は舌打ちし、リンカーンのドアをキーで開いた。  竹村の首筋に左の手刀を|叩《たた》きつけて助手席に押しこむ。竹村は意識を失ったようだ。新城はエンジンを掛けた。  アメ車の大半がそうであるように、そのリンカーンもオートマチック・ミッションであった。  リンカーンのエンジンは三百数十馬力と称していたが、今は二百十馬力だ。かねてからアメリカのSAEグロス馬力はハッタリ馬力であって、エア・クリーナーもマフラーもジェネレーターもファンもついていないエンジンで測定した上に、各メーカーが他のメーカーに負けぬようにとサバを読んだ馬力を加えていた。  だからドイツのDIN馬力や日本のJIS馬力とは大幅にちがったのだ。したがって、SAEグロス馬力で表示されていたアメリカの大型車の馬力は、そこから五十から百馬力ほど引いたものがDIN馬力というわけだ。  新城は自動ミッションのセレクターをDに入れて発進させた。角を曲がったとき、赤灯を回転させ、サイレンを|咆《ほう》|哮《こう》させて突進してくるパトカー数台とすれちがう。  新城はいま出た旅館“新月”からさほど離れてない中央港二丁目の埋立て地の|船《ふな》|溜《だま》りにリンカーンを向けた。  巨大なリンカーンは、新城がパワー・ステアリングを振りまわすごとに、引っくり返りそうに派手にロールし、タイアの悲鳴をあげる。  タグ・ボートや小型の|屑《くず》|鉄《てつ》輸送船がひしめきあっている船溜りに、全長八メーターほどのクルーザー型モーター・ボートがあった。  都川の新大橋のあたりに軒を連ねている鴨猟の宿の一つである“千鳥屋”の船だ。都川は浅くて大型の猟船が通れないために、ここにつないでいるのだ。  船宿からは小型トラックを使わぬと燃料を運べぬほど離れているために、そのモーター・ボートには満タンにすると三日は走れるほどの大型の燃料室がついていることを新城は知っている。  リンカーン・コンチネンタルに急ブレーキを掛けた新城は、イグニッション・キーを抜いてその車から跳び降りた。  クルーザーに跳び移った新城は、そのキャビンのドアのロックを背広の|襟《えり》の内側に差してあった二本の針金を使って解いた。  エンジンはマリーン・ディーゼルだ。イグニッション・キーは必要でない。スウィッチのレヴァーを入れ、手動式のクランクを廻す。露出しているフライ・ホイールが勢いよく回転し、エンジンは始動して鈍いアイドリング音をたてた。  車に戻った新城は、テラ銭箱と竹村の体をキャビンのなかに移した。船の|舫《もや》い|綱《づな》を外し、ミッション・レヴァーを前進に入れてスロットル・ボタンを引く。  港を出た新城は、キャビンのうしろの燃料室にもぐりこみ、燃料タンクのゲージを抜いてみた。タンクに半分はディーゼル油が入っている。      2  新城は航海灯もサーチ・ライトもキャビン灯もつけなかった。ときどきコンパスを万年筆型の懐中電灯で照らしながら、まず船首を|富津岬《ふっつみさき》に向ける。  富津岬の沖合二キロほどのところに、東京湾第四|海《かい》|堡《ほう》があるのだ。  第四海堡も、明治から大正時代にかけて、第一から第三海堡のように、海の高射砲陣地として作られた。  しかし、人工島のなかに築かれた地下三階のコンクリートとレンガの大|要《よう》|塞《さい》は、関東大震災で|瓦《が》|礫《れき》の塊と化し、今は地上に無人灯台があるだけだ。夏には夜釣り客が来ることがあるが、真冬の今は無人島だ。  新城はその第四海堡のなかにもアジトを造っておいた。崩れ落ちた要塞のなかのトンネルのレンガを片付け、奇蹟的に崩れてない地下広間に、ネズミ|避《よ》けの野ネコ十数匹と鉄箱に入れた食料品とスリーピング・バッグ、それに小型のボートと船外機エンジンと燃料などを貯えている。小馬力のディーゼル・エンジン付きだから、いま新城が操っている猟船は十ノット以上のスピードは出なかった。  新城は七ノットに速度を抑え、波の向うに|狼《おおかみ》のように夜目が効く鋭い|瞳《ひとみ》を向けて、大型の漂流物に猟船が衝突しないように気を配る。  沿岸の大工場群は、煙突から毒々しい炎や煙を吹きあげていた。そのために、新城はコンパスの必要がないほど進路を保つのが楽であった。  木更津沖まで来たとき、気絶していた竹村が|呻《うめ》きながら体を動かした。新城はキャビンにあったロープで、竹村の手足をきつく縛った。 「こ、ここはどこだ?」  充血した目を開いた竹村は|潰《つぶ》れたような声で言った。 「分かるだろう、海の上だ」  新城はそっけなく答えた。 「やめろ! 俺を海に沈める気だな?」  竹村は悲鳴を漏らした。 「心配するな。まだ生かしておいてやる。もっともっと貴様が苦しまないうちには死なせるわけにいかない」  新城は血に飢えた者が狂ったように|哄笑《こうしょう》した。 「やめてくれ!」  絶叫した竹村は恐怖に耐えかねて再び失神した。  薄く笑った新城は斜め右手に灯台の灯が点滅しているのを見た。第四海堡の無人灯台だ。新城はステアリングを右に切った。  やがて、地上面積約一万坪の第四海堡が近づいてきた。新城は灯台の近くの船着き場に猟船を寄せた。  灯台の灯がついている間に、荒れ果てた岸壁で|共《とも》|喰《ぐ》いの闘いを行なっている数十匹のネズミが見えた。崩れた護岸のコンクリートについたフジツボはネズミに食い荒されている。  新城は船着き場のコンクリートのスタンションにワイヤー・ロープの投げ輪を投げた。投げ輪のこちらの端は猟船につながっている。  そのワイヤー・ロープを引っぱって岸壁に猟船を寄せはじめると、飢えきったネズミが次々にロープを伝って猟船に移ってこようとした。  そのことを予想していた新城は、ワイヤー・ロープにオイルがしみたボロ布を捲き、ライターの火を移した。  ワイヤー・ロープを伝って突進してきたネズミの群れは、炎に鼻先を|炙《あぶ》られ、悲鳴をあげながら次々に海に落ちていった。  ネズミは一日に体重の三分の一ぐらいの食いものをとらないと飢死すると言われるほど|貪《どん》|欲《よく》でありながら、頭のほうは空っぽではない。  仲間が次々に犠牲になったのを知り、船着き場に残っていたネズミたちは逃げ去った。  猟船を岸壁につけた新城は、テラ銭箱と竹村の体を船着き場に移した。灯台が点灯するたびに、遠くで様子をうかがっている何万というネズミの瞳が赤く光る。  船に戻った新城は、一度ワイヤー・ロープをゆるめて船の向きを外洋に向けた。船を再び岸壁に寄せると、スロットルを引く。船から岸壁に跳び移り、スタンションに|捲《ま》きつけていたワイヤー・ロープを外した。  猟船は外洋に向けて、ふらふらしながら遠ざかっていった。新城はライターの炎で竹村の耳を|炙《あぶ》った。  やがて苦痛の|唸《うな》りと共に竹村は意識を取戻した。  新城は吹きすさぶ風のなかで、竹村の意識がはっきりしてくるのを待った。  しばらくして半身を起こした竹村は絶望的な叫びを肺から絞りだした。 「こ、ここはどこだ?」 「地獄の島だ。さあ、立て」 「立てねえ……畜生、早く殺してくれ!」 「甘えるな。向うで赤く光るのは何だと思う? 飢えきったネズミの目だ。立てないんなら、本当に立てないようにしてやろう。|両膝《りょうひざ》を射ち抜いてな。ネズミどもは、今夜は貴様を遠捲きにして、襲いかかっても安全かどうか眺めるだけだろう。だけど、明日の夜になったら、腹が空ききった奴が貴様の肉をかじりに来る。そのうちに、何万匹かが一度に襲いかかってくる」  新城は笑った。 「助けてくれ!」  跳び起きた竹村は新城に抱きつこうとした。  跳びのいた新城は竹村にニューハウゼン自動拳銃の銃口を向け、 「ネズミに骨までかじられたくなかったら、このテラ銭箱を持って歩くんだ」  と命じた。 「貴様……あんたは誰なんだ? さっきの話では、うちの会員に痛めつけられて自殺した漁師の息子だということだが……」  震えながら竹村は尋ねた。 「|他人《ひと》|事《ごと》のように言うな……貴様は君津浜……九州製鉄に買収された君津浜の漁民で新城という一家がいたのを覚えてないか?」 「知らん……忘れた。昔のことだろう?」 「俺の一家だった。俺のオヤジは、九鉄に安く買い叩かれた漁業共有地の代金や漁業補償金を銀城会がバックについている上に九鉄や三矢不動産とグルになっていた小野徳のインチキ・バクチで|捲《ま》きあげられたあげく、当時としては|莫《ばく》|大《だい》な借金まで背負わされた。小野徳は貴様らを連れてバクチの借りを払えと俺のオヤジに迫った。  俺のオヤジは、俺のオフクロと二人の妹を道連れにして猟銃自殺をしてしまった。貴様らは、残された俺に借金の返済を迫って袋叩きにした。俺はヨーロッパに逃れて|復讐《ふくしゅう》の|刃《やいば》を|研《と》ぎ澄ましてたんだ。俺を袋叩きにしたとき貴様はまだ幹部見習いだったようだな。あの時の代貸し格の安西は今では銀城会本部の大幹部だそうだな。俺は奴をどうやってなぶり殺しにしようかと考えているだけで体が熱くなってくるんだ」  新城は|猛《たけ》|々《だけ》しい笑い声を響かせた。 「あ、あんたは新城のセガレか! 許してくれ。お願いだ」  竹村は立っていられないようであった。 「土下座しろ、|命乞《いのちご》いをするときにはな」 「この通りだ」  竹村は土下座し、汚い土に額をすりつけた。 「ヨーロッパで俺は何年も復讐のチャンスを待たねばならなかった。だけど、待っているあいだに、俺は殺しのテクニックにかけてはプロになった」 「小野徳は殺されたんだな、あんたに?」 「ああ、いまの貴様とそっくりの格好で命乞いをしやがったぜ」 「助けてくれ……あくどく稼いでるのは銀城会だけではない。大東会のほうが、もっともっとあくどい。大東会は沖派の富田大臣や水木大臣と結びついている」 「そのことは小野徳から聞いた」 「大東会がやっていることをしゃべる。勿論、銀城会がやっていることも……俺のような|小《こ》|物《もの》を殺したって仕方ないだろう。沖派や三矢財閥や九鉄に恨みがあるんなら、九鉄や三矢財閥と沖派の資金パイプの森山大吉を殺すのが本道じゃないか?」 「俺に説教する気か?」 「と、とんでもねえ。あんた、森山という怪物を知らないのか? 奴は小野徳なんかより何倍もスケールがでかい大悪党だ。大東会の顧問だ。やはり大東会の顧問をしている桜田と同じように、大企業と政治家とのあいだの汚れた資金のパイプ役だ。政商だ。俺の口から言うのも何だが、千葉が沖派や三矢財閥の|喰《く》いものにされたのは、一つは森山が千葉の出身だからだ」  竹村は自分たちがやっていることを棚にあげて、必死にライヴァル暴力団に関係していることをしゃべった。      3 「森山大吉か。会ったことは無いが、新聞や雑誌で奴のことを読んだことがある」  新城は|呟《つぶや》いた。 「そんなのは表面に出たことのごく一部だ。奴のことをくわしくしゃべるから俺の命を助けてくれ」  竹村は身をよじって哀願した。 「よし、話をゆっくり聞いてやろう。立て、立ってテラ銭箱を持って歩くんだ」  新城は命じた。  竹村は|溜《ため》|息《いき》をついて立上った。テラ銭箱を抱える。新城は拳銃で|威《い》|嚇《かく》しながら歩かせた。歩く方向のネズミの群れが左右に分かれるのが見える。  五十メーターほど歩くと、レンガとコンクリートが崩れて低い丘のようになったところに来た。砲台跡だ。新城はその|廃《はい》|墟《きょ》の鉄屑が散らばっている所に来ると、 「よし、ここのレンガをのけろ」  と、竹村に命じた。  テラ銭箱を降ろした竹村は命令にしたがった。命が助かりたい一心で、素手で作業を行なう。レンガの陰からネズミが跳び出し、死にもの狂いになって竹村の|喉《のど》めがけて跳びついた。歯を|剥《む》きだしにしている。  悲鳴をあげた竹村は|尻《しり》|餠《もち》をつこうとした。新城は空中にいるネズミを射つ。そのネズミは肉を四散されて皮だけになった。  新城に命令されて竹村は作業を続けた。やがて、地下道への入口が暗い穴をあけた。万年筆型の懐中電灯を照らした新城は、テラ銭箱を再び抱えた竹村を先にたたせて石段を降りていく。  十メーターほど石段を降りると、二十メーターほどのトンネルがあった。トンネルに入ったヒビのなかにネズミが逃げこむ。  トンネルの左右のところどころに抜け道があったが、いずれも崩れていた。かつては地下|要《よう》|塞《さい》のなかを迷路のようなトンネルが縦横に走っていたのだ。  懐中電灯の光のなかに地下広場が浮かびあがった。ネズミは出入りできるが猫はくぐれない鉄格子の二重扉がついている。  三十坪ほどの地下広場では十数匹の野ネコがグリーンや銀色の瞳を光らせて|唸《うな》っていた。猫には食うことが出来ない丸麦が広場の中央に盛られている。  飢えに胃を焼かれて鉄格子をくぐって丸麦を食いに来たネズミを食って野ネコたちは生きているのだ。水は、広場の隅に半坪ほどのプールがある。  ネコたちを置いてないと、飢えきったネズミは、広場に置いているボートや、食料や寝袋や飲料水などを入れた鉄箱さえも食い破る恐れがあるからだ。  新城は一番手前の鉄格子を開いた。竹村と共にその奥に入り、うしろ手で鉄格子を閉じる。  二番目の鉄格子を開いて広場に入ると、野ネコたちは一番目の鉄格子に体当たりし、何とかして脱出しようともがいた。  新城は二番目の鉄格子をうしろ手に閉じ、壁にセメントを固めてつけた大きな軽油入れからのびた石綿の|芯《しん》にライターの炎を移した。芯は燃えてランプのかわりになった。一か月燃やし続けても大丈夫なだけ軽油入れの容量がある。  新城は万年筆型の懐中電灯を消してポケットに仕舞い、|椅《い》|子《す》の一つのビニール・カヴァーを外して腰を降ろした。 「貴様は床の上に|坐《すわ》るんだ」  と、竹村に命じる。  ネコの|糞《ふん》は広場の隅にかたまっていた。コンクリートの床に落ちたにちがいないネズミの血はネコがなめつくしてしまったらしく、案外に汚れてない。ただし、ひどい悪臭だ。  テラ銭箱を横に置いて、竹村は床に坐りこんだ。新城はその竹村から目を放さず、二本のタバコに火をつけ、一本を竹村に投げてやった。  死刑囚の最後の一服のように竹村は肺に煙をためて気持を鎮めようとした。鉄格子のあいだの空間に閉じこめられた野ネコたちは、脱出をあきらめて、互いにいがみあっている。  二本目のタバコに火をつけた新城は、 「じゃあ、森山大吉のことをしゃべってもらおうか」  と、うながした。 「暴力団が表看板にしている右翼のボス中の大ボスが桜田秀夫だということは、あんたもよく知っているだろう? 桜田は大戦中は海軍の特務機関のボスで、敗戦前に中国大陸から略奪した船一杯分の金銀財宝や麻薬を日本に運びこんできて、丹沢山系の数か所に|隠《いん》|匿《とく》しておいたんだ。日本が敗れて桜田も占領軍に捕まり、A級戦犯用の刑務所に未決囚としてブチこまれた。  だけど桜田はG・H・Qの陰の支配者だったマンソン大佐に隠匿物資のうちの三分の一を贈って釈放された。釈放されてからは、麻薬中毒のマンソン大佐を通じて占領軍に深くくいこんでいったんだ。  その一方で、A級戦犯刑務所で知りあった沖や富田たち高級官僚が、敗戦後の混乱時代が過ぎたら、うまく政財界を泳ぎまわって天下をとるにちがいない……という先見の目を持っていた。だから、マンソン大佐に二十カラットのダイア十個とヘロイン五十キロを贈って沖たちを釈放させると同時に奴等が公職につくことも出来るようにさせたんだ。  沖たちが日本を支配するようになってから、桜田が政界と大企業とのあいだの利権と汚職のパイプ役になって稼ぎまくっているのは、そういった関係からだ。それに、桜田は隠匿物資の何十分の一かを使って、大手の暴力団を手なずけておいたからな」 「…………」 「桜田が海軍の特務機関上りなら、森山大吉は陸軍の特務機関の中堅幹部だった。戦前から桜田とは知りあいだったんだ。  森山は陸軍士官学校とスパイ教育専門の中野学校を出てからトントン|拍子《びょうし》に出世し、敗戦のときには大本営付きの中佐だった。精密兵器に使うという名目で国民から供出させたダイアや金塊やプラチナを全国に隠すのが役目だった。もし米軍と一緒にソ連軍が進駐してきたときには、そいつを通貨に替えて、ゲリラ戦を起こす資金にするというのがダイアやプラチナなどの隠匿作戦の趣旨だった。  だけど、日本が敗れてもソ連軍は進駐してこなかった。森山は隠匿した大本営の隠し財産のうち、今の|金《かね》にすると百億円ぐらいを横領し、それをもとにして事業を起こしたり土地を買い占めたりしていった。今は、数十の会社を傘下におさめる森山商事の|総《そう》|帥《すい》だ。傘下の会社のなかには九鉄の下請けの鉄鋼工場や機械製作所があるんで、日本製鋼連盟の委員をやっているし、造船所や海運業をやってる上に帝国カー・フェリーの取締役をやってるんで日本海運協会の理事もやっている。京葉地方経済同好会監事や新興宗教の|天照《あまてらす》会の最高顧問というのも肩書きの一部だ」 「帝国カー・フェリーは、桜田が名誉会長になっている。あの会社は大東会の表向きの社名の新東邦企画の経営だな?」 「そうだ。桜田と森山との付きあいは、さっきも言ったように古いが、戦後は森山精機が南ヴェトナムにナパーム弾と迫撃砲弾十五億ドル分をひそかに輸出する際、日本政府が目をつぶっていてくれるようにと森山が桜田を通じて運動してから、特に持ちつ持たれつの関係になった。森山は本千葉駅前の国有地の払い下げ問題が|揉《も》め続けていたのを桜田が解決してくれた礼に、国有地跡に建てたデパートの重役として桜田を迎え、年に二億の表には出さない給料を払っている。森山は京葉銀行の三割五分の株を握ってたんだが、京葉銀行を三矢銀行が合併しようとした時には、桜田に頼まれて自分が持ってた株をあっさりと三矢銀行に売渡している。  千葉の浦部地区を、三矢不動産が万博を越えるレジャー基地にするという名目で、県から払いさげてもらうと、住宅地として売りとばして二百億も|儲《もう》けたが、そのときには払い下げ運動に働いた桜田と森山に十億ずつが三矢不動産から払われたそうだ。  ともかく、成田の新空港の利権問題も含めて、森山と桜田を通じて三矢不動産からだけでも百五十億のリベートが今の吉野知事に渡っている。森山と桜田たちがその中間で絞り取ったサヤも大きいだろう」 「吉野知事は沖派の言いなりなのか?」 「とんでもない、あの古ダヌキのことだ。九十九里地区を地盤に持つ|藪《やぶ》|川《かわ》保守党副総裁や俺たち銀城会をバック・アップしてくれている丸山幹事長が関係している企業からも、利権を与えるのと引替えに五十億以上絞りあげている」  竹村は言った。 「吉野にそれだけリベートを払っても、払うほうはもっともっと稼ぎがあるというわけだな」  新城は唇を|歪《ゆが》めた。 「それは当然だろう。千葉には日本中の大企業が集中している。首都に近くてこれだけ公害をまき散らしても文句を言われないところはないからな。大企業にしたら、こんなに利潤が上る土地はない。新空港や九十九里と東京を結ぶ新幹線にしても高速道路にしても、東京湾横断道路にしても、ともかく、こんなに利権が転がってるところはない」 「分かった。俺が片付けていかねばならぬ畜生どもがまた増えたようだな」  新城は暗い笑いを浮かべた。 「九鉄が君津に進出してくるお|膳《ぜん》|立《だ》てをしたのも森山だ。奴はあの頃は銀城会と仲がよかったんだが、桜田が大東会の最高顧問になると大東会に|鞍《くら》|替《が》えしやがった」  竹村はわめいた。 「だから、銀城会としても森山に恨み|骨《こつ》|髄《ずい》というわけか?」 「奴に恨みがあるという点ではあんたと一緒だ……助けてくれ」  竹村は叫んだ。      4 「色々と教えてくれてありがとうよ。だけど、俺はあんたを生かしておくわけにはいかないんだ」  新城は冷笑した。 「助けてくれ! 取っておきのネタをしゃべるから」  竹村は悲鳴と共に叫んだ。 「ほう?」 「あと半月もしないうちに、第四|海《かい》|堡《ほう》で、大東会はフィリピンから帰ってきた船から|覚《かく》|醒《せい》剤百トンを受取る」 「第四海堡? ここでか?」 「ここは第四海堡なのか!」 「そういうわけだ。今の話をしゃべってみろ」  新城は命じた。 「日本でヒロポンなどの覚醒剤の取締りがやかましくなってから、覚醒剤の精製技術者たちは韓国や東南アジアに逃げて、あっちで覚醒剤を作っている。日本に密輸出するわけだが、東京や横浜や大阪や神戸などの大きな港では監視が厳しいので、九州の漁港やこの千葉で陸揚げするようになった。京葉港は企業港が並んでいるので、税関を通らなくとも貨物船が出入りできる。  覚醒剤の粉末はフィリピンで一キロわずかに三万円だが、日本での中値は六千万円もするんだからこたえられん。うちの会も韓国や東南アジアから入れてるが、せいぜい一回に五十キロ単位だ。ところが、今度大東会が森山運輸の船を使って入れるのは百トンだというじゃないか。あんまり|凄《すご》い量なので、港で陸揚げするのはさすがにヤバいから、横浜港に入る前にこの第四海堡で降ろし、森山運輸の国内用貨物船に積み替えて九州製鉄|埠《ふ》|頭《とう》に運ぶということだ」 「…………」 「俺たち銀城会は、その覚醒剤を横取りする計画をたてたんだが、何しろ相手が大東会ではな」 「その船はいつ入ってくるんだ」 「来月の十三日の深夜の予定だ」  竹村は答えた。 「どうして知ったんだ?」 「そりゃ……大東会のなかにうちの会のスパイがいるからさ」 「そいつは誰なんだ?」  新城は尋ねた。 「あんたは顔を見たこともないだろう」 「いいから教えろ」  新城は拳銃の安全装置を掛けたり外したりした。 「大東会千葉支部の大幹部の酒田という男なんだ」 「どこに住んでいる? 人相は?」 「…………」  竹村は答えない。  新城はしばらく沈黙して考えこんだ。大東会の覚醒剤を横取りして海に|叩《たた》きこむなり、大東会と対立している神戸の山野組に安く流してやって、大東会に大打撃を与えてやるのも面白い。  その沈黙をどう受取ったのか、竹村は、 「もっと面白い話があるんだ。あんたは、もと県警本部長を勤め、そのあと県の副知事から参議院議員になった山部のことを知ってるだろう?」  と新城の顔色をうかがう。 「ああ。俺が貴様らに痛めつけられた頃、奴はまだ県警本部長で、藪川副総裁の子分だった。藪川が支配している|銚子《ちょうし》の双葉会と、当時は千葉では今のように大きな勢力を持ってなかった大東会の両方に買収されて、双葉会や大東会の密輸やバクチを見逃すかわりに、ゼニだけでなく|妾《めかけ》や|妾宅《しょうたく》までもらっていたらしいな。  俺が日本から逃れたあと、山部は藪川のあと押しで副知事になったが、藪川はさらに山部を知事にさせようとゴリ押しした。あわてた沖派は、藪川と取引きして山部を参議院に移した」 「そういうことなんだ。ところで、山部が千葉県に住んでいる韓国人のうちで悪質な連中ばかりが集まって作った極星商工会の会長をやっていることを知ってるだろう?」  竹村は尋ねた。 「ああ。何でも、あの会は韓国とのあいだの密輸専門だそうだな」 「密輸入するのは、洋酒、洋モク、宝石、麻薬、覚醒剤、武器弾薬、密輸出するのは、テープ・レコーダー、トランジスター・ラジオ、カメラ、時計、ガス・ライター、トランジスター・テレビなどだ。港にある山部の選挙事務所は倉庫付きというわけだ」 「…………」 「山部は今は藪川と手を切った。大東会の線で沖派にべったりだ」 「それで?」 「極星商工会は、近いうちに、韓国から実に三千丁の拳銃と実包百万発を密輸入して大東会に渡すという情報がある」 「本当か?」 「韓国から引揚げる米軍が、韓国で商売している大東会系の韓国の大きなブローカーに払いさげたんだ。そのブローカーは米軍の責任者を買収して、|屑《くず》|鉄《てつ》と|真鍮《しんちゅう》の値段で払いさげさせたという。つまり、使いものにならないハジキと、火薬も雷管も腐ってしまった実包という名目でな。ところが、拳銃も実包も新品同様なんだ……あんたは、韓国では、金持や政府の高官は拳銃を持ってもいいことを知ってるか?」 「拳銃を民間人が持てないのは日本だけだ」  新城は苦笑いした。 「沖は韓国ロビーだ。だから、向うでの船積みはスムーズにいく。日本に着いた船は、木更津の飛行場の近くの岸壁に接岸して、拳銃と実包を降ろすことになっている。船は|勿《もち》|論《ろん》、森山運輸のものだ。拳銃と実包を降ろしてから、横浜に堂々と入港するんだ」  竹村は言った。 「正確な日時は?」 「残念ながら分からん。大体、一か月ぐらいのうちだということは分かったが」 「正確な場所は?」 「大東会の幹部を捕まえて|拷《ごう》|問《もん》したらいい……こんなに色んなことを教えてやったんだ。命だけは助けてくれ」 「そうはいかん。貴様はネズミの|餌《えさ》になる。だけど、色んなことを教えてくれた礼に、なぶり殺しにすることだけは勘弁してやる」  新城は静かに言った。 「助けてくれ……助けて……」  竹村は|脱《だっ》|糞《ぷん》しながら転がって逃げようとした。  新城はその心臓を一発で射ち抜いた。|轟《ごう》|音《おん》で天井が崩れそうになり、野ネコどもが天井まで跳びあがる。  即死した竹村のポケットの中身をすべて取上げて床に置いた新城は、こちら側の鉄格子を開いた。  野ネコどもは地下広場に逃げ戻った。新城は|屍《し》|体《たい》を引きずって二つの鉄格子のあいだに入る。奥の鉄格子を閉じてから、屍体を引きずったままトンネルを歩いた。  地上に出ると、屍体に十数発を浴びせる。グシャグシャになった屍体から遠ざかり、様子をうかがっている。  やがて、竹村の屍体をネズミの大群が取囲んだ。飢えきったやつが素早く竹村の指を|噛《か》み切って逃げる。  それでも竹村が動かないのを知り、ネズミの大群は屍体の上に重なった。騒々しく肉や骨をかじる。  一時間後、竹村の屍体は消えていた。服さえも噛み千切られてネズミの胃におさめられていた。     侵 入      1  翌々日の夜、新城は千葉市にいた。  第四|海《かい》|堡《ほう》から、そのなかのトンネルに隠してあったボートを使って館山の近くの漁港に上陸し、館山市のサウナで悪臭を洗い落としてから、松林のなかでバッグに用意してあった服と着替え、タクシーで千葉市にやってきたのだ。  銀城会は千葉支部の主だった連中が新城に|殺《や》られてしまったので、本部やほかの支部から幹部クラスを続々と千葉支部に移している|筈《はず》だ。  しかし、その|隙《すき》をついて、大東会千葉支部は大いに勢力を拡大したらしく、夜の盛り場では大東会のバッジを光らせた連中がのさばっていた。  千葉に入った新城は、セミ・ロングのカツラをつけ、遊び人風の三つ|揃《ぞろ》いの背広とラクダのコートをつけていた。  その新城は、軽く夕食をとってから、千葉駅前の富士見二丁目にある高級クラブ“キャロライン”に入った。そこは大東会直系の経営店であることをすでに新城は調べてある。その店の女とトラブルを起こしたときには、大東会のチンピラが吹っ飛んでくる……と、いうことも。  ドアを開いて入った小部屋がクローク・ルームになっていた。クロークのカウンターの前では、力自慢らしい大男がタキシードを着けて立っていた。 「いらっしゃいませ。会員証を……」  と、言う。 「これから会員になりたいんだ。いくら払えばいい?」  新城は軽薄な表情で尋ねた。 「どなたかの御紹介でしたら、入会金は|要《い》りませんが」 「俺は保守党の横井代議士の息子なんだよ。仕事でこっちに来て、あと三晩泊まる」  新城は小型印刷機まである埼玉のアジトで作っておいた横井三郎という名の名刺を出した。肩書きは会社専務だ。横井代議士は、沖派の五年生代議士だ。 「失礼しました。どうぞ、コートをお脱ぎになってください」  男は|揉《も》み手した。新城がコートを脱ぐと、男はクロークの女にそのコートを渡して、横のドアを開き、 「どうぞ、どうぞ……」  と、カニのように横歩きして、新城を空いたボックスに案内した。  ボックス席が二十ほどと、カウンターとのあいだにダンス・フロアがある。フロアに|迫《せ》り上げ式の円型ステージがあった。フロアの横でエレクトーンの演奏者がムード音楽をかなでている。  ボックス席はほぼ八割がふさがっていた。実業家らしい客が多い。席についた新城がペルメルをくわえて銀のライターの火を移したとき、面長なマダムが和服の|裾《すそ》さばきも鮮やかに、二人のホステスを引き連れて新城の席にやってきた。 「この店を預からせていただいてます香代でございます。これからも|御《ご》|贔《ひい》|屓《き》に、若先生」  と、愛想笑いをする。 「こっちこそ、頼むぞ」  新城は偽名刺を出した。  その新城の右側に、細っそりとしているがバストとヒップは充分に発達した二十二、三のホステスの美津子、向かい側にグラマラスなホステス洋子が|坐《すわ》った。  やがてマダムがほかの席に移ると、新城はスコッチの水割りに口をつけながら、美津子を口説いた。ほかの席では、何億円株でもうけた、とか何千万を競馬ですった、などと客が大声で話している。  カンパーリ・ソーダのグラスを手にした美津子は、洋子がトイレに立ったとき、 「いいわ。今晩付きあう。十一時半に駅裏のスナックの“スプリット”で待っていて」  と、新城に|囁《ささや》いた。 「待ちぼうけは御免だぜ。これは手付けだ」  新城は一万円札を美津子の和服の胸に押しこんだ。バストのふくらみは本物であった。  それから半時間ほど飲んでから、新城は席を立った。マダムが、 「お勘定は、国会のほうの先生にいただきますから」  と、言う。 「じゃあ、よろしく」  新城は手を振った。  店を出ると、駅のトイレでアルコールと夕食を吐いた。|喉《のど》に指を突っこんで無理やりにだ。アルコールで運動神経が何十分の一秒かでも鈍ってはまずいからだ。  洗面所で手と顔を洗ってから、新城は千葉でも流行している昼寝クラブの狭い一室のベッドに横になった。昼寝クラブといっても夜だって営業する。  十一時過ぎにそこを出たとき、新城の体からはアルコール分が消えてきた。新城は歩いて二十分ほどのスナック“スプリット”に足を使って行った。  その店はマスターがボウリング・ファンらしい。ボウリングのピンやボウルやサイン入りの女子プロの写真をあしらった店内では、太ったマスターが若い客と投球フォームについて論じあっていた。  新城はカウンターの一番奥でミルク・ティーを頼んだ。  美津子は十一時四十分頃に入ってきた。ショールを外すと、 「待った?」  と、しなだれかかる。 「ほかのバーで時間を|潰《つぶ》してたんで、もうアルコールのほうは一滴も飲めない。君は何にする?」  新城は肩をすくめた。 「わたし、コーラ、ねえ、おスシ屋に連れていって」  美津子は言った。  少したってから二人は栄町のスシ屋に行った。美津子はアワビやイクラや生きているエビなどの高いものばかり注文する。新城はショールダー・ホルスターの消音器付きベレッタ・ジャガーをいつでも抜き射ちできる体勢で、消化がいい|卵《ぎょく》やアナゴなどを少しだけ食った。腹を射たれたときに腹膜炎を起こさないように、お茶もあまり飲まなかった。 「今夜のお小遣いは三枚よ。さっきの一枚を引いてあと二枚。いいでしょう? そのかわり、朝御飯を御馳走するわ」  美津子は食い終わると|囁《ささや》いた。 「いいとも。だけど、あとでいいだろう?」  新城は囁き返した。 「勿論よ」  美津子は答えた。  やがて二人はスシ屋を出た。新城が銀城会の幹部たちを殺した男と同一人物であることに気付いた者はいないようだ。  大東会のチンピラらしい若い男の運転するタクシーで、二人は千葉大に近い美津子のマンションに向かった。新城は抱きついてくる美津子にショールダー・ホルスターのベレッタや背中のうしろのベルトに差したホルスターのコルト・パイソンの口径三五七マグナムのリヴォルヴァーを気付かれないようにした。  いかに千葉市が発展しても東京のようにだだっ広くないから、美津子の住んでいる|汐《しお》|山《やま》マンションにはすぐに着いた。  マンションとはいっても三階建ての小ぢんまりしたやつだ。美津子は、その建物の横についた階段を、新城の腕をとって登っていった。  三階には三戸があった。それぞれの玄関の前をコンクリートの廊下兼ポーチがつないでいる。  美津子が住んでいるのは、三階の北端の続き部屋であった。ハンド・バッグからキーを出した美津子は、その玄関のドアを開いた。  先に入って電灯をつける。狭い玄関の向うが、ビーズ玉のカーテンにさえぎられた居間兼応接間だ。  新城が靴をスリッパにはき替えて居間に上ると、美津子はドアのノブのプッシュ・ボタンを押し、予備錠を掛けたが、チェーン・ロックは掛けなかった。 「チェーンは掛けないのか?」  新城はわざと言ってみた。 「地震や火事のとき、あわてているから、うまく外せないの」  美津子は答えた。大東会の者を呼んだときチェーン・ロックが掛かっていたのでは、ヤクザどもが外からドアを開くことが出来ないからであろう。  集中暖房式のマンションではないので、居間に移った美津子はガス・ストーヴに火をつけた。  居間の突き当たりの右側のドアを開く。そこが寝室であった。美津子は寝室の石油ストーヴに火をつけた。  新城は居間や寝室の調度を|見《み》|廻《まわ》した。大東会に稼ぎの大半を絞り取られているらしく殺風景だ。  美津子は居間に戻ると、寝室のドアを閉じ、 「あとでは嫌な気がするでしょう? いま払ってくれる?」  と、新城の表情をうかがった。 「分かった」  新城は上着のポケットから三十枚ぐらいの一万円札を|掴《つか》みだし、そのうちの二枚を美津子に渡し、 「これはチップだ。そのかわり、|舐《な》め舐めのほうもしっかり頼むぜ」  と、さらに一万円札を渡した。      2 「感激……」  美津子は新城に抱きついた。  そのときになって、新城のショールダー・ホルスターに収まった|拳銃《けんじゅう》の硬さを感じて表情を変える。 「モデル・ガンだ。たまには、イキがってみたくてな」  新城はニヤリと笑ってコートと背広の胸を開いた。ショールダー・ホルスターと、そこから突きだしたベレッタの|銃把《じゅうは》を見せる。 「びっくりさせないでよ」  美津子は声を立てて笑った。 「じゃあ、ベッド・ルームに案内してもらおうか」  新城は好色そうな笑いと共に言った。 「せっかちね」  美津子は言ったが、寝室のドアを開いた。新城も美津子に続いて寝室に入る。 「待ってね。お湯を持ってくるわ」  美津子は台所のほうに去った。  新城はズボンのベルトに差したコルト・パイソン三五七マグナム拳銃をダブル・ベッドのスプリング・マットレスのあいだにはさみこんだ。  コートを脱ぎ、ベッドに腰を降ろしてタバコを吸っている。美津子はホーロー引きの大きな洗面器に瞬間湯沸し器で暖めた湯とタオルを入れたものと水差しを運んできた。  洗面器を|輻《ふく》|射《しゃ》|熱《ねつ》式の石油ストーヴの前に置いた。水差しはベッド・サイドのテーブルに置く。  新城は服を脱いでいった。消音器付きのベレッタ・ジャガーを収めたホルスターはベッドのヘッド・ボードに|吊《つ》った。素っ裸になった新城はベッドにもぐりこんだ。部屋はまだ暖まってないが、電気毛布だからベッドは暖かい。  その新城をじらすようにして天井の電灯を壁のピンク色の淡く薄暗い灯に切替えた美津子は脱いでいった。  やはり、新城の目に狂いはなく、美津子は|着《き》|痩《や》せするタイプであった。ヌードになって小麦色がかった全身をさらすと、乳房は|反《そ》りあがり、|股《また》のあいだにまったく|隙《すき》|間《ま》がない。 「気にいったぜ」  新城は|呟《つぶや》いた。  ベッドにもぐりこんできた美津子は、唇を新城の首から次第に下のほうに|這《は》いさがらせていった。なかなかのテクニシャンだ。  やがて美津子は新城のものをくわえる。前から横からしゃぶりまくり、軽く歯をたてたりする。  このところしばらく女に触れてなかった新城は、体位を変えて自分が上になると、美津子を貫いた。  美津子は演技だけでなく、新城が放射した時には熱いものをほとばしらせる。  しばらく|余《よ》|韻《いん》を楽しんでいた美津子は、ベッドから降りると、ストーヴの前の熱い湯にひたしてあったタオルを絞って新城を|拭《ぬぐ》った。自分も浴室に行ってきてから、舌と全身を使って再び新城をふるい立たせようとする。  二ラウンドが終わった時、美津子はぐったりとして軽い眠りに落ちた。新城はベッドから降り、自分で拭ってから、ヘッド・ボードに掛けてあったベレッタ入りのホルスターを持ってトイレに入った。  放尿してから寝室に戻る。ベッドのスプリング・マットレスのあいだからコルト・パイソンのマグナム・リヴォルヴァーを引っぱりだした。  コートを除いた衣類を身につける。マグナム・リヴォルヴァーはズボンのベルトに戻しショールダー・ホルスターは左肩から|腋《わき》の下に|吊《つ》った。  ベッドの|脇《わき》に椅子を寄せてそれに腰を降ろし、水差しの水を飲んだ。タバコに火をつけたとき、美津子が|瞼《まぶた》が|腫《は》れぼったくなった目を開いた。 「あら、もう帰るの?」  と、言う。 「いや、まだ帰らん。モトを取戻さないとな」  新城はふてぶてしい笑いを見せた。 「どういうこと?」 「さっき貸してやったゼニはどこに仕舞った?」 「貸した……ですって!」  上体を跳ね起こした美津子の表情が変っていった。 「そういうわけだ。お互いに楽しんだのだから、俺は一文も払う気がない。さっきのゼニを返せよ」 「ふざけるんじゃないよ。あたいを何だと思ってるのさ。大東会を呼ぶよ」  美津子はわめいた。 「面白い、呼んでみな。ところでお前さん、どこにヘソクリを隠してるんだ?」 「畜生……あんた、本当に横井代議士の息子なの?」  美津子は歯を|剥《む》きだした。 「ちがうな。タダ飲み、タダ乗りが俺の趣味なのさ。さっきのスシ屋の勘定は高かったぜ。あの勘定も利子をつけて返してもらう。ヘソクリを隠してあるのはどこだ?」  新城は薄く笑った。 「…………!」  |罵《ば》|声《せい》をあげた美津子はベッドの横の壁についているボタンを断続的に押した。そうしながら、 「あんた、悪いところに飛びこんだね。このマンションには大東会の|怖《こわ》い兄さんが何人も住みこんでるのさ。もう、出口は固められたよ。逃げようったって、そうはいかない。命がおしかったら、財布にあるだけのおゼゼを出して許してもらうことだね」  と、せせら笑う。 「そうかい?」  新城はベレッタをショールダー・ホルスターから抜いた。親指で撃鉄を起こす。 「そんなオモチャ」  美津子は鼻を鳴らした。  新城はその美津子をベッドから引きずり降ろした。わめき声を出す口を左手で押え、洗面器に向けて一発射ってみせた。  銃声はごく小さかったが、洗面器に|孔《あな》があき、湯が飛び散る。新城はそれを見て息を|呑《の》んだ美津子の耳に、 「オモチャでないことが分かったか? 分かったら、おとなしくしてるんだ」  と、|囁《ささや》いた。  全身を硬くして震えはじめた美津子をドアの横に引き寄せる。その体を|楯《たて》にして待つ。  玄関のロックが合鍵で解かれ、二人の足音が跳びこんでくるまでには大した時間はかからなかった。  男たちは玄関のドアを内側から閉じると、自信たっぷりの足どりで寝室に近づいてきた。  一人が寝室のドアを|蹴《け》り開く。寝室に足を踏み入れ、ベッドに誰もいないので表情を変えた。  二十二、三のチンピラだ。右手に中古の安物の自動拳銃を構えている。もう一人のチンピラも、 「どうしたんだ?」  と言いながら寝室に入ってきた。  ドアの横で美津子を楯にしていた新城のベレッタ・ジャガーが、小さく鈍い音と共に六発の二十二口径弾を吐きだした。  二人は、|腰《よう》|椎《つい》と左右の手首を射ち抜かれて突んのめった。ストーヴに一人の手が当たり、血が|焦《こ》げる悪臭がたった。  二人は悲鳴をあげようとするのだが、心臓が|喉《のど》|元《もと》までせりあがってきたような恐怖のために、かえって声をたてられない。  美津子は新城の左腕のなかで気絶していた。新城は、右の親指を撃針と撃鉄とのあいだにはさんで暴発を防いでおき、ベレッタの用心鉄で美津子の頭を強打した。  |頭《ず》|蓋《がい》|骨《こつ》が陥没する音がした。これで、美津子は二日や三日のあいだは意識を取戻さないであろう。  その美津子をベッドに放り投げ、新城は二人のチンピラが放り出した安物の二丁の拳銃をベッドの下に蹴りこんだ。  腰椎を射たれているので、二人のチンピラは立上ることが出来なかった。両手首の骨を射ち砕かれているので、|掴《つか》みかかることも出来ない。もっとも、二人は、生まれてはじめて本当に怖いものに直面して、大小便を垂れながしながら|喘《あえ》いでいるだけで、反撃のチャンスをうかがう余裕などまったく無いようだ。  新城は玄関に行ってチェーン・ロックを掛けてきた。寝室に移ると、ラクダのコートを着け、|椅《い》|子《す》に馬乗りになって冷然と二人を見おろす。 「射つな……射たないでくれ。死にたくない……お願いだ」  右側の二十三、四の、チンピラでもかなり格が上らしい男が泣き声をたてた。      3  新城はベレッタ・ジャガーから弾倉を抜き、背広の内ポケットの弾薬サックから出した七発の二十二口径ロング・ライフル・リム・ファイアのカッパー・クラッドの被銅弾を弾倉に|補《ほ》|填《てん》した。その弾倉を、ベレッタの銃把の弾倉室に、カチッと音がする位置まで押しこむ。 「助けてくれ、兄貴……俺たちは兄貴が拳銃使いだと知らなかったんだ」  若いほうのチンピラが|喘《あえ》いだ。 「俺はお前らの兄貴じゃねえ。気安く呼ぶな——」  新城は吐きだすように言い、 「この女は、ベルを押しながら、このアパートの出口は固められた、と言った。本当か?」  と、尋ねた。 「階段の下に二人|廻《まわ》った」 「じゃあ、お前たちに尋ねることはない。階段の下の連中から|尋《き》きだす。二人とも死んでもらうぜ」  新城は消音装置がついた拳銃の銃口をゆっくりと動かした。 「待ってくれ」 「頼む……俺たちが知っていることなら何でもしゃべるから」  二人はゲロを吐きながら哀願した。 「じゃあ、一つ尋く。お前たちの直系の大幹部は?」  新城は尋ねた。 「秋葉先輩だ」 「どこに住んでいるのか?」 「この近くだ。千葉大の向う側の穴川四丁目にある秋葉メイゾンが先輩のものだ。秋葉先輩は、あのメイゾンの五階に住んでいる。五階全部を使っている」 「家族と一緒にか?」 「…………」 「どうした?」 「二号と一緒だ。家族は東京住いだ」 「秋葉メイゾンにガードマンは?」 「いねえ。秋葉先輩が大東会の大幹部だっていうことは知れわたっているから、あのマンションで暴れる馬鹿はいねえよ。押売りも遠慮する」  チンピラの一人は答えた。  新城はさらに三分間ほど質問を続け、答えを引きだした。それから、 「よし。命は助けてやる。だから、|俯《うつむ》けになって目を閉じていろ」  と、命じた。  二人のチンピラは、|両肘《りょうひじ》を使い、|麻《ま》|痺《ひ》した下半身も何とか回転させて俯けとなった。その途端、新城のベレッタが二発のタマを吐き出した。  二人のチンピラは|延《えん》|髄《ずい》に一発ずつくらって、瞬間的な死にとらえられた。まだ助かる見込みがあると自分たちでは思っている間に、射たれた自覚もなく死んだのだから、チンピラとしては幸福な死にざまかも知れない。  新城はベレッタの弾倉に二発補弾した。そっと玄関に近づく。玄関のドアに耳を寄せてみた。  廊下に人の気配はなかった。  階段の下を固めている連中は、たとえ悲鳴が聞こえたとしても、悲鳴をあげているのは客——すなわち新城のほうだと思っているのであろう。  玄関のドアを開きながら新城は身を伏せた。手すりのところまで|這《は》い、下を|覗《のぞ》きおろす。  建物の外に沿ってついた階段の下で、二人の男がコートと背広の左|腋《わき》の下に右手を突っこんで三階を見上げていた。左の腋の下にはショールダー・ホルスターが吊られているのだろう。  新城は二人の|眉《み》|間《けん》を射ち抜いた。立上ると、要心深く階段を降りていく。  階段を降りきった新城は、死体の一つのポケットから、車のキーを奪った。コロナのものだ。  裏通りに|駐《と》められている数台の車のうちの一台が、グリーンのコロナ・マーク㈼であった。ナンバー・プレートは、美津子の部屋でチンピラがしゃべった数字と合う。  奪ったキーと車のドアのロックも合った。そのコロナを運転した新城は、穴川四丁目に車首を向けた。  秋葉メイゾンは、美津子が住んでいる汐山マンションよりかなり大きかった。しかし五階建てのその高級アパートは、エレヴェーターもついていなかった。  秋葉メイゾンから百メーターほど離れたところにコロナを|駐《と》めた新城は、コートのポケットのなかでベレッタを握り、メイゾンの無人の玄関ホールから階段を使って五階に登っていった。  五階の廊下の入口に、形ばかりに鎖が渡してあった。それをまたぎ越えた新城は、五階の中央部に歩いた。ベレッタを握った右手は、ポケットから出している。  秋葉と|妾《めかけ》の住居の玄関を見つけた新城は、インター・フォーンのブザーのボタンを押した。 「だあれ?」  インター・フォーンから、甘ったれた女の声が聞こえてきた。 「先輩はもう戻られましたか?」 「まだよ。事務所の人なの?」 「そうです。実は、汐山マンションが襲われて、あそこに住まわせていた女たちの金がみんな奪われたんです。住込みのチンピラどもは、みんな|殺《や》られちまいました。だから、私がここの護衛に廻されたわけです」  新城は言った。 「まあ、大変」  秋葉の妾の|圭《けい》|子《こ》は叫んだ。  少し間があいてから、足音がドアの向う側に駆けてきた。ドアが開く。その前に、新城は拳銃を握った右手を背中のうしろに隠していた。  ドアは開いたが、細くでしかなかった。チェーン・ロックが掛かっているからだ。  圭子は二十二、三の大柄な女であった。顔だちも派手だ。アイシャドウが濃く、付けマツゲは長い。 「見たことない顔ね」  圭子は警戒の表情で言った。ネグリジェの上にガウンをまとっていた。  新城は細く開かれたドアの|隙《すき》|間《ま》に靴を突っこんだ。そうしておいて、親指を撃針と撃鉄のあいだにはさんで暴発を防いでおいたベレッタの用心鉄を、チェーン・ロックに振りおろした。  チェーンは、はじけ飛んだ。新城はドアに体当たりした。  反射的に両手を上げて顔をかばった圭子は、ドアにはじかれて|仰《あお》|向《む》けに引っくり返った。  ホールに入った新城は、そこから見える左右四つのドアに向けて|威《い》|嚇《かく》射撃をし、それからうしろ手でドアを閉じた。エール錠なので、プッシュ・ボタンを押すだけでロック出来た。  仰向けに倒れた圭子のガウンとネグリジェの|裾《すそ》は|太《ふと》|腿《もも》の上までまくれあがっていた。|熟《う》れきった体だ。  両手で口を押え、圭子は悲鳴を押し殺している。 「しゃべるんだ。秋葉はまだ本当にここに帰ってないのか?」  新城は尋ねた。 「ほ、本当よ」  圭子は喘いだ。 「|嘘《うそ》だと分かったら、女として一生使いものにならないようにしてやるからな」  新城は圭子の下腹部に銃口を向けた。  圭子は白目を|剥《む》いて気絶した。  新城は圭子のガウンのベルトで、彼女の両手を背中のうしろで縛った。飛びちったチェーンのリングを拾い集めた。その時になってベレッタの引金の用心鉄がかすかに|歪《ゆが》んでしまったことに気付いた。  秋葉を迎えるべく入念にセットしたままの圭子の髪を左手で|掴《つか》んで引き起こした。一度宙吊りにしてやると、あまりの激痛に圭子は意識を取戻した。悲鳴を|漏《も》らす。  新城は左のバック・ハンドで圭子の口のあたりを一撃した。口が血まみれになった圭子は悲鳴を|圧《お》し殺した。 「全部の部屋を案内するんだ。分かったな?」  ベレッタの弾倉に補弾しながら新城は命じた。 「…………」  圭子は|顎《あご》をガクガクさせながら|頷《うなず》いた。  部屋は全部で十室あった。新城は三十万円以上の値段はするダブル・ベッドが|据《す》えられた寝室で圭子を床に坐らせた。自分はベッドに腰を降ろし、 「いい御身分じゃないか。まだ死にたくはないだろう?」  と、唇を歪めて笑った。 「助けて……何でもするわ。わたしを抱いてもいいわ」  圭子は哀れっぽい声を出した。 「秋葉は何時頃に帰ってくる?」 「いつもは午前一時頃。でも、仕事で朝帰りのこともあるわ」 「今夜はいつ頃帰ると言ってた?」 「言ってくれなかったわ。でも、あんまり遅くなるようだと電話を掛けてきてくれるの」 「…………」  新城はサイド・テーブルの電話に視線を向けた。圭子は頷き、 「ねえ、逃げたりしないと約束するから、縄を解いて」  と、|呻《うめ》いた。 「逃げようとしたら殺す。それに、秋葉から電話が掛かってきた時に、おかしなことをしゃべってもな」  新城は冷たく言った。  電話が鳴ったのは、二十分ほどしてからであった。ベッドから降りた新城は、受話器を取上げ、圭子の口と耳にそれを寄せた。自分もそれに耳を寄せる。 「圭子か?」  ドスが|利《き》いた中年男の声が受話器から流れてきた。 「あ、あなたね?」  圭子は叫ぶように言った。電話の相手は秋葉であろう。 「何かあったのか?」 「いえ。うとうとしてたの。悪い夢を見てて……」  圭子は答えた。 「寝てたのか? 道理で声がちょっと変だ。俺はちょっと帰りが遅くなる」 「何時頃になるの?」 「朝になるかも分からねえ。実はな、汐山マンションで縄張り荒らしが暴れやがったんだ」 「|怖《こわ》いわ」 「心配するな。これから、健と次郎をそっちにやるから、ホールのソファででも横にならせてやってくれ。飲みものと食い物も出してやってもらおう。なあに、ありあわせのものでいい」 「…………」 「じゃあな。健と次郎以外の者がやってきても、ドアを開けるんじゃねえぜ」  秋葉は電話を切った。  受話器を戻した新城は、 「よくやった。これで、あんたは死なずに済みそうだぜ」  と、圭子に言った。  ブザーが鳴ったのは、それから十数分たってからであった。  新城は壁についたインター・フォーンのところに圭子を連れていき、 「今度もうまくやるんだぜ」  と、圭子に言って、インター・フォーンのボタンを押した。 「今晩は|姐《ねえ》さん」  気取った若者の声が聞こえた。 「ああ、次郎ちゃんね。いま開けるわ」  圭子は答えた。  新城はボタンを放し、圭子の頭を殴りつけて再び意識を失わせた。拳銃を構えてホールに行く。  玄関のドアを開いた新城はいきなり射った。ドアの向うに立っていた二人のヤクザは、ショールダー・ホルスターの拳銃に手を触れる余裕もなく、胃に二発ずつくらって崩れ折れた。  新城は血が廊下に流れぬ間に、二人をホールに引きずりこんだ。ソファの上に放り出し、頭を拳銃で殴りつけて意識を失わせておいてから、玄関のドアを閉じる。  二人の体を寝室に移した。圭子はまだ気絶したままだ。新城は二人の大東会のヤクザの服をさぐった。二人とも、ショールダー・ホルスターに収めているのは、新品に近いワルサーPPKの三十二口径であった。二人とも、PPKの予備弾倉を二本ずつと、実包五十発が入った弾薬サックをポケットに入れていた。  新城はそれらを自分のポケットに移した。シーツをナイフで|裂《さ》いてロープを作り、二人の手足を縛った。ゆるく猿グツワを|噛《か》ませる。  圭子にもゆるく猿グツワを噛ませた。小さな声は出せるが、大きな声は出せない程度にだ。  それから、まず圭子の耳をライターで|炙《あぶ》った。圭子の意識が回復しかかると、二人のヤクザの耳を炙る。  健と呼ばれるほうは、運転免許証から木戸健一、次郎のほうは安川次郎と分かっている。  木戸も安川も、なかなかダンディな男であった。もっとも、新城に射たれる前までのことだが。  二人は意識を回復すると、猿グツワの|隙《すき》|間《ま》から悲鳴を|漏《も》らした。新城は、 「俺が誰だか分かるか?」  と、不敵な笑いを浮かべた。 「あ、あんたか、汐山マンションで殺しをやったのは?」  木戸が喘いだ。 「まあな」 「助けてくれ……腹が痛い。死にそうだ」  木戸は涙をこぼした。 「救急車……救急車を呼んでくれ」  安川はもがいた。 「こ、ここにやってきた目的は秋葉ね。秋葉に何をしようというの?」  圭子が震えながら尋ねた。 「自分の命と、秋葉の命とどっちが大事だ?」  新城は圭子に尋ねた。 「…………」 「誰でも自分が可愛い。だったら、秋葉を警戒させるような真似はよしたほうがいい。約束するな?」 「…………」  圭子は|頷《うなず》いた。 「秋葉はいつ頃ここに戻ると言ってた?」  新城は木戸に尋ねた。 「朝になるだろう、と言ってた」 「そうか。ところで、大東会が第四海堡でフィリピンから戻ってきた船から大量の覚醒剤を受取るのはいつだ?」 「知らねえ」 「本当にそんなこと知らねえんだ。初耳だ」  二人のヤクザは言った。 「しゃべったほうを助けてやる。二人のうちで、先にしゃべったほうをな」  新城は冷たく言った。 「俺たちはまだ幹部見習いだ。そんなことは大幹部じゃねえと知らねえんだ。俺たちはまだ下士官みたいなもんだから、将校の命令通りに動くだけだ」  木戸が|呻《うめ》いた。新城はその木戸の右|膝《ひざ》に消音装置がついたベレッタから一発射ちこんだ。手足を縛られたままの木戸は痛さに転げまわった。射たれていた胃にたまっていた血が吐きだされる。  新城は安川にベレッタを向けた。 「ま、待ってくれ……! |嘘《うそ》をつく気は毛頭ない。確かにこのところ、軍事訓練が三日にあげずあった。|鋸山《のこぎりやま》の奥で射撃訓練と、射たれたときに転がりながら逃げて射ち返す訓練だ。それに、あと一と月は、無断で旅行してはいかん、と言われていた。だけど、その覚醒剤の話は聞かされてない。本当だ」  安川は猿グツワの|隙《すき》|間《ま》からわめいた。 「なるほど……ところで、あんたは?」  新城は圭子に銃口の向きを変えた。 「秋葉は仕事の話はほとんどしてくれないの。信じて!」  圭子は震え続けていた。 「よし、みんなの話を一応信じよう。あとは秋葉がここに帰ってきてからだ。秋葉に口を割らせる。秋葉が、お前たちも覚醒剤のことを知っている、と言ったら、三人とも殺してやる」  新城は言った。 「待ってくれ。正確なことは知らん。だけど、大幹部が話していることをちらっと聞いたことぐらいのことならしゃべれる。だから、俺だけは助けてくれ」  安川が|啜《すす》り泣きながら言った。     第四海堡      1 「俺のほうがしゃべる。だから、安川でなくて俺のほうを助けてくれ!」  木戸が|呻《うめ》いた。 「いや、俺のほうだ」  安川が木戸に憎悪の目を向けた。 「どっちでもいい。本当のことをしゃべったほうを助けてやる。嘘をついたほうは死ぬことになる」  新城はベレッタ・ジャガーを腰だめにしたまま、薄笑いと共に言った。 「分かった、分かってるさ、あんたが殺すと言ったら必ず殺す人間だということは知っている。だから、俺は嘘はつかねえ」  安川が呻いた。 「じゃあ、聞こう」 「第四|海《かい》|堡《ほう》で、うちの会が、フィリピンから戻ってきた森山運輸の船から大量の覚醒剤の粉末を受取るという話は本当だ。あんまり大量なんで、港で陸揚げするのはヤバイから、森山運輸の“あけぼの丸”が横浜港に入る前に覚醒剤の粉末を第四海堡に降ろすということだ」 「“あけぼの丸”か」 「そう聞いた。第四海堡に降ろされた覚醒剤は、森山運輸の国内用貨物船“くれない丸”に積み替えられて、九州製鉄|埠《ふ》|頭《とう》に運ぶらしい」  安川が答えた。 「待てよ。“くれない丸”は、“あけぼの丸”が第四海堡に接岸するときには、すでに第四海堡で待っているのか?」 「いや——」  木戸が口をはさみ、 「そんなことをしたら、目立ってしようがない。“あけぼの丸”は第四海堡に接近しない。第四海堡のすぐ近くを、ひどくスピードを落として通過しながら、ゴム袋に入れてブイをつけた覚醒剤の荷を次々に海に投げこむんだ。それを、第四海堡の近くでモーター・ボートに乗って待っている俺たちが拾いあげ、第四海堡のなかに隠しておく。“くれない丸”は、夜があけてからやってくる。あんたは、第四海堡がどんなところか知らんだろうが、関東大震災のときに岸壁の下が崩れて、コンクリートの大きな塊が海にゴロゴロしていて、暗い時間に大型船を接岸させるのはひどく難しいんだ」  と、言った。 「なるほどな。夜が明けるまで、覚醒剤はどこに隠しておく?」  と新城は尋ねた。 「無人灯台の塔のなかにだ」  安川が答えた。 「“あけぼの丸”は灯台側を通るのか?」 「そうだ」 「そうだ」  安川と木戸は、ほとんど同時に答えた。 「第四海堡で、“あけぼの丸”が海に投げた覚醒剤の回収作業をする連中の員数は? 勿論、見張りも含めてだ」  新城は尋ねた。 「…………」 「どうした?」 「教えられてない……だけど、三十人以上だろう」  安川が答えた。 「いや、五十人以上だ。安川は|嘘《うそ》をついた。奴を殺してくれ……本当のことをしゃべった俺を助けてくれ」 「嘘だ。本当に教えられてないんだ。もしかすると、百人を越えるかも知れない」  安川がもがきながら言った。 「まあ、いい。その点は秋葉から|尋《き》く。ところで、“あけぼの丸”から大東会が覚醒剤を受取る日は?」 「…………」  二人は顔を|歪《ゆが》めた。 「どうしたんだ?」 「知らん。本当だ」 「そうなんだ」  二人は答えた。 「そうか? 話は変るが、大東会は極星商工会を通じて、韓国から|厖《ぼう》|大《だい》な量の武器弾薬を密輸入することになってるそうだな?」  新城は尋ねた。 「そ、そうなんだ」 「俺にしゃべらせろ」  安川と木戸はいがみあった。 「どっちでもいい。本当のことをしゃべった者を助ける。先にしゃべったからと言って嘘をつきやがったんでは命を落とす」  新城は薄笑いした。 「いつ、どこで荷を受取るか、ということはまだ教えられてない。だけど、その荷物をうちが受取ったら、銀城会や神戸の山野組なんか全滅させるだけの戦力になる、と偉い人たちが言っていた」  木戸が言った。 「貴様が知ってるのは?」  新城は安川に銃口を向けた。 「俺も陸揚げの日時や、荷物のくわしい数は知らねえ。陸揚げの場所もだ……」  安川は答えた。  新城はそれから二時間ほど安川と木戸に尋問を続けた。尋問を終えると、二人の猿グツワをきつく縛り直す。  それから、ようやく震えがおさまっている圭子の猿グツワと両手を縛っているベルトを解いた。 「秋葉が帰ってきたら、うまく迎えるんだ。俺がここにいることをカンづかせたら、お前は一生女として使いものにならない体になる。どんなに整形手術を受けても直らないぜ」  と、|威《い》|嚇《かく》する。 「分かったわ。でも、秋葉をどうする気?」  圭子は尋ねた。 「秋葉次第だ。奴が利口で、俺に逆らおうなんて気を起こさなかったら、奴は大幹部として生き続けられる。奴が俺を怒らせたら、お前は新しいパトロンを捜す羽目になる」 「分かったわ。わたしからも、あなたを怒らせないように説得するわ」  圭子は答えた。  寝室のインター・フォーンのブザーが鳴ったのは、午前六時近かった。寝室の壁についたインター・フォーンの近くに新城は圭子を運んでいき、立たせると、圭子の首筋にベレッタの消音装置を当てた。  圭子はインター・フォーンのトーキング・ボタンを押し、 「どなた?」  と、尋ねた。 「俺だ。待たせたな」  電話で新城も聞いた秋葉の声がインター・フォーンから伝わってきた。 「あなたのことが心配で、とうとう眠れなかったわ……ちょっと待ってね。いま次郎ちゃんか健ちゃんにチェーンを外させるから」  圭子は答えた。 「早く頼むぜ」 「誰か、お客さんを連れてきたの?」 「いや、一人だ。もう朝なんだぜ。くたくただ」  秋葉は言った。 「いま、すぐ」  圭子は言ってインター・フォーンのトーキング・スウィッチを切った。  新城はその圭子の首筋に左の手刀を|叩《たた》きこんで意識を失わせた。横転した圭子を|尻《しり》|目《め》に素早く玄関に急ぐ。玄関のドアの斜め横に立った新城は、急激にドアを開きながら身を伏せた。右手のベレッタの銃口を上向きにする。  四十三、四の|精《せい》|悍《かん》な男が、敷居の向うに踏みとどまり、背広の|腋《わき》の下のホルスターから、もがくような動作で拳銃を抜こうとしていた。  秋葉であろう。新城のベレッタが心臓を|狙《ねら》っているのを見て、化石したように全身を硬直させた。 「…………」  ゆっくり立上りながら新城は、秋葉に入ってこいと合図した。  |溜《ため》|息《いき》をついた秋葉は、ホルスターから抜きかけていた拳銃の|銃把《じゅうは》から、そろそろと手を放した。  秋葉は|顎《あご》が角張り、|頬《ほお》|骨《ぼね》が突きだしている。血走った目は、普段は残忍な光を宿しているのであろうが、今は恐怖に引きつっている。  両手をだらんと垂らした秋葉は、玄関の内側に足を踏み入れた。新城はその秋葉をやりすごしておき、親指を撃針と撃鉄のあいだにはさんで暴発を防いだベレッタの用心鉄で後頭部を殴りつけた。      2  ガクンと両膝をついた秋葉は、顔をカーペットに突っこむようにして倒れた。新城はドアを閉じ、ノブのエール錠のロックとスライド式の二重錠を掛けた。  意識が|朦《もう》|朧《ろう》としている秋葉のショールダー・ホルスターからワルサーPPKを奪った。これで、安川と木戸から奪った分をあわせると、新城が身につけた三十二口径のワルサーPPKは三丁になった。  秋葉はワルサーPPK用の予備弾倉三本と百発ほど実包が入った弾薬サックも身につけていたのでそれも奪う。それに、ゾーリンゲン・ヘンケルの黒柄の西洋カミソリも身につけていたのでそれも奪った。  秋葉を引きずって寝室に戻った。手足のロープを外そうともがいていた安川と木戸が、あわてて動きをとめた。  寝室で新城は秋葉を裸に|剥《む》いた。小肥りの秋葉の体はがっしりしている。男根には真珠の粒を六個ほど埋めていた。  新城は椅子に馬乗りになり、タバコに火をつけて深く吸いこんだ。秋葉の意識がはっきりしてくるのを待つ。  秋葉は新城がタバコを一本吸い終えた頃には意識がはっきりしたらしい。しかし、まだ意識が朦朧としている振りをしている。  新城は消音器付きのベレッタ・ジャガーの二十二口径弾で、秋葉の|睾《こう》|丸《がん》を射ち抜いた。銃声は小さい。  射たれた途端、秋葉は野猫のような悲鳴を肺から絞りだしながら跳びあがった。|尻《しり》|餠《もち》をつくと、 「畜生……畜生……俺の大事な……」  と、ヨダレを垂らしながら呻く。両手で血が流れる睾丸の袋を押えている。 「俺が誰か分かるか?」  新城は尋ねた。 「き、貴様が汐山マンションで暴れた気違いだな? 圭子に何をした?」  悲鳴を混じえながら秋葉はわめいた。 「心配するな。貴様のお古に興味はねえよ」 「畜生……俺の大事な金玉が……」 「もう一つの金玉も射ち砕いてやろうか? いや、それよりも、チンポを吹っ飛ばしてやる」  新城は言った。 「やめろ。やめてくれ! 何が欲しい?」 「情報だ。ゼニや貴様の命をもらったところで仕方ないからな」 「情報……?」 「“あけぼの丸”が第四海堡の横で|覚《かく》|醒《せい》剤を大東会に渡す日時だ」 「“あけぼの丸”のことを、健たちがしゃべったのか?」  秋葉は呻いた。 「まあな」  新城は薄笑いした。 「勘弁してくれ、先輩。無理やりにしゃべらされたんだ!」 「俺を見てくれ。この通り、俺は腹と|膝《ひざ》を射たれた。しゃべらねえわけにはいかなかったんだ」  安川と木戸が|哀《あわ》れっぽい声を出した。 「畜生……だらしがねえ」  秋葉は|唾《つば》を吐いた。 「じゃあ、貴様はあくまで|頑《がん》|張《ば》るというのか?」  新城は笑い、ポケットから、バック製の|折畳み《フォールディング》ナイフを取出した。刃渡り十センチほどの主刃を起こす。  その刃先を、倒れている秋葉の右眼球に近づけた。悲鳴を絞りだした秋葉は、 「わ、分かった。しゃべる。何でもしゃべる! だけど、条件がある」  と、わめいた。 「何だ?」 「俺がしゃべったと健と次郎に知られたくない。奴等は支部長に報告する。俺はヤキを入れられて、首を切られてしまう。このマンションも取り上げられてしまうだろう」 「じゃあ、俺はどうしたらいい?」 「それを俺の口から言わすのかい」 「つまり、安川と木戸を俺が片付けたら、しゃべるというわけか」  新城は薄笑いした。 「そ、そういうことだ」  秋葉は震えはじめた。 「畜生!」 「よくもこれまで先輩づらしやがって!」  安川と木戸は|罵《ののし》った。 「俺が片付けるのは|嘘《うそ》をついた奴をだ。だから、本当のことをしゃべるんだ。なぶり殺しにされたくなかったらな」 |蹲《うずくま》った新城は、秋葉の縮みあがった男根にナイフの刃を当てた。 「“あけぼの丸”が第四海堡に接近するのは、十二月二十四日の夜……クリスマス・イヴの予定だ。午後十時の予定だ」  秋葉はしゃべった。 「クリスマス・イヴだと、税関や水上警察の職員は早く仕事を済ませて家に帰りたいから、仕事のほうは適当に済ませるからか?」 「そうだ」 「覚醒剤の粉末の量は?」 「百トン」 「竹村が言った通りだな」 「竹村はどうした?」 「俺は竹村から情報を買った。奴は今ごろ、東南アジアのどこかの国で、女を抱いてうまいものを食ってるだろう」  新城は嘘をついた。 「貴様……あんた、うちの会の覚醒剤を強奪しようとしてるんだな? よしとけ、無理だ。一人で百人以上の男を相手に出来はしねえ」 「その人数だが……“あけぼの丸”が第四海堡に近づく時、第四海堡やモーター・ボートで待つ大東会の人数は何人なんだ? 百人以上というわけか?」 「“あけぼの丸”から投げられた覚醒剤の袋を拾うときには、一隻のモーター・ボートについて四人ずつ乗る。二十隻だ。第四海堡では百人が見張ったり陸揚げを手伝ったりする」 「ボートで拾って陸揚げした覚醒剤のゴム袋は、第四海堡の無人灯台の塔のなかに隠しておく、というのは本当か?」 「そうだ」 「その覚醒剤は夜が明けてから森山運輸の小型貨物船“くれない丸”に移されるということだな?」 「そうだ。“くれない丸”は、覚醒剤を九州製鉄|埠《ふ》|頭《とう》に運ぶ」 「なるほど……ところで、第四海堡を警備する連中の武器は?」 「と、言うと?」 「武器の種類だ。威力の程度だ」 「ピストルとカービンと鹿射ち用のバック・ショットをつめた散弾銃だ」 「|奴《やつ》|等《ら》は、いつから第四海堡で待機する?」  新城は尋ねた。 「予定通りなら、二十四日の昼すぎからだ。ともかく“あけぼの丸”は日本に近づいたら、一時間置きに現在位置を打電してくることになっている」  秋葉は答えた。 「分かった。それじゃあ、次の話に移ろう。大東会は、韓国から、極星商工会を通じて、米軍払いさげの大量の拳銃と実包を密輸するそうだな?」 「竹村は、そんなことまでしゃべりやがったのか?」  秋葉は|呻《うめ》いた。 「そうだ。一千万の金に釣られてな。俺が貴様に質問しているのは、奴がしゃべったことと、貴様がしゃべることをチェックするためだ」  新城は言った。 「奴が何を言ったか知らねえが、武器弾薬を積んだ船が入ってくる日時はまだ未定だ。本当だ!」 「どこに着くのかも分からん、と言うのか?」  新城は秋葉の男根にナイフで刻み目をつけた。  |芋《いも》|虫《むし》のように身をよじって泣き叫んだ秋葉は、 「木更津飛行場の横の、九州製鉄が買い占めて|屑《くず》|鉄《てつ》置場に使っている岸壁だ」  と、しゃべった。 「もう一度|尋《き》く。韓国から武器弾薬を積んだ船が着く日時は?」 「本当にはっきりしてないんだ。正月過ぎ……それも松の内が過ぎてかららしい」  秋葉は呻いた。  新城はさらに半時間ほど尋問を続けた。尋問を終えると、 「じゃあ、御苦労。竹村が待っている地獄に送ってやるぜ」  と、ニヤリと笑った。 「ど、どういうことだ! 竹村は外国に逃げたんじゃなかったのか!」  秋葉は|脱《だっ》|糞《ぷん》した。 「竹村は|鼠《ねずみ》の|餌《えさ》になった。第四海堡のな」  新城は冷たく言った。  秋葉は|俯《うつむ》けに転がり、全身をよじって逃れようとした。新城はその|延《えん》|髄《ずい》をナイフで|抉《えぐ》って即死させた。  安川と木戸、それに圭子もナイフで片付けた。  自分が部屋のなかにつけた指紋を|拭《ぬぐ》い去った新城は、棚のなかにあった小型のボストン・バッグに、男たちから奪った三丁のワルサーPPKと予備弾薬サックを入れた。  マンションに住んでいるサラリーマンたちが朝の出勤でマンションを出るのと一緒に外に出た。      3  それから一週間後、作業服に安全靴をつけた新城は、栃木県|鹿《か》|沼《ぬま》の先の黒川の上流にある、銀城会直系の土建会社の岩石採取現場に、東京で盗んできたホロ付きの|三《みつ》|菱《びし》ジープを近づけた。  そこで採れる岩は、長野の|鉄《てっ》|平《ぺい》|石《せき》によく似ていて、簡単に薄い板状にはがれる上に渋い美しさがあるので、飾り暖炉や玄関の床や壁などに使われるため、高く売れる。  採石場に一キロほどに近づくと、ダイナマイトの爆発音が|轟《とどろ》いてきた。新城は林道から横の雑木林のなかにジープを突っこませた。  四輪駆動にしてあるので、そのジープはひどい悪路でも走れた。|灌《かん》|木《ぼく》をへし折りながらジープは、林道から見えない位置に入りこんだ。  ジープに積んであったヘルメットをかぶり、アメ横で手に入れた米軍用の防弾チョッキを作業服の上からつけた新城は、|尻《しり》ポケットに消音器付きの拳銃とナイフを入れていた。  ジープの後部座席から、|釣《つり》|竿《ざお》のケースに入れたカービンを取出す。釣竿ケースのポケットには、三十連弾倉が二本入っている。  新城は大廻りして登り、採石場と向かいあった山に廻りこみはじめる。体力を衰えさせないために、仕事の合間には出猟してヤマドリ射ちをやっている新城には、|藪《やぶ》くぐりや、きつい山登りは苦にならなかった。  一時間ほど歩いた新城は、採石場と向かいあった山の中腹にいた。その山と、採石場の半壊した山のあいだに、五千坪ほどの平地があり、飯場と火薬庫が二百メーターほど離れて建っていた。  ダンプが四、五台採石場に駐まり、ダイナマイトで砕かれた大きな岩片をフォーク・リフト車がダンプの荷台に乗せていた。夕陽は大きく傾いている。  新城は山の中腹のカヤ原に腰を降ろし、灌木を|楯《たて》にして夜が|更《ふ》けるのを待った。  夜になると、飯場で|焼酎《しょうちゅう》の酒盛りが行なわれ、ガソリン・エンジンの発電機からとった電灯のもとで花札バクチに労務者たちが夢中になるのが分かった。  その飯場から二百メーターほど離れた火薬庫は木造であった。コンクリート造りだと、何かの拍子に火薬庫のなかのダイナマイトやコーズマイトが爆発したときに、かえって危険だからだ。  火薬も爆薬も、圧力がかかるほど威力が大きくなる。木造だと、簡単に吹っ飛んでしまうから、火薬庫内の圧力が高まらない。  その火薬庫に見張りはついていなかった。近くに手押し車が放置されている。新城は、|豹《ひょう》のように音もなく山を降りた。  簡易発電機の電気を使った飯場のなかの灯りは火薬庫までとどかなかった。新城の黒い影は、火薬庫に忍び寄った。黒い手袋をつけている。  火薬庫の扉の錠は|南京錠《ナンキンじょう》だけ、というお粗末さであった。  そんな南京錠など、作業服の|襟《えり》の内側に差してあった針金で簡単に開いた。窓が無い火薬庫のなかに身を滑りこませた新城は、扉を内側から閉じると、作業服のポケットから小型懐中電灯を出して点灯した。  棚に、導火線や電気雷管が入った箱や、起爆装置とコード、それに、ダイナマイトや硝安爆薬やカーリットの箱などが無造作に積まれていた。  再び扉を開いて手押し車を火薬庫内に引き入れた新城は、それに爆薬や導火線や電気雷管などを移した。  手押し車に満載しても、下り坂なので、ジープを駐めてある横の林道まで降りるには大した力は要らなかった。手押し車には、ハンド・ブレーキがついていたから、なおさらであった。  林道の脇に手押し車の荷を降ろし、空になった手押し車を押して火薬庫に戻る。そうやって三往復する間に、一トン近くの爆薬類を運んだ。  林のなかに隠してあるジープにその荷を移し終えるまでには三時間ほど掛かった。ジープの運転席に腰を降ろした新城は、エンジンが掛かると、すぐジープを動かす。  さまざまな工作機械を据えた埼玉のアジトにジープが着いた時には朝になっていた。  シャッターが閉じるガレージにジープを仕舞った。生卵を割って混ぜた黒ビールを大ジョッキに一杯飲んだ新城は、ベッドに転がりこんでぐっすりと眠った。  翌日は、東京と千葉のアジトにも爆薬類を分散する。分散はしたが、千葉のアジトには全量の三分の二ほどを運んだ。ジープのナンバー・プレートや車検証は、無論、偽造したものと替えてある。  次の日は、秋葉原の電気部品のマーケットでさまざまな買物をし、その夜は、模型飛行機用のラジコンを利用して爆薬を爆破できるようにした。  十二月二十二日の早朝、新城は小型のモーター・ボートを使って、ネズミの島の第四海堡に上陸した。ひどい風だ。  岸壁が完全に崩れて石浜のようになっているところから上陸し、丸太のコロを使ってボートを海堡の上に引きあげる。夜でないので、近くのネズミたちは物蔭にひそんでいた。  新城はボートに積んできた手押しのカートに、これもボートに積んできた三百キロほどの爆薬の一部とツルハシやシャベルを乗せた。  無人灯台の近くの|瓦《が》|礫《れき》を掘り、爆薬を詰めた金属缶を埋めて電気雷管とラジコンの受信装置をセットする。その上から瓦礫をかぶせた。ラジオの天気予報は、あと一週間は関東地方に空っ風が吹きまくるだろう、と伝えている。天気予報は当たる時のほうが珍しいが……。  新城は無人灯台の近くの数十か所に、ボートに積んできた三百キロほどの爆薬の缶を埋めた。いずれにも、電気雷管とラジコンの受信装置をセットしておく。  コロを使って押したボートを、かつては海の|要《よう》|塞《さい》であった第四海堡のトンネルの奥の地下広間に隠す。そのボートには、米軍基地から盗んだ自動ライフルと、数丁のハイ・パワー・ピストルや大量の予備弾倉などが積んであった。  トンネルの入口をレンガで隠した新城は、地下広間で二晩を過ごした。  海堡のまわりが騒がしくなったのは、二十四日の昼過ぎであった。約四十隻のモーター・ボートが押し寄せてきた騒音だ。  トンネルの入口近くまで新城が出てみると、大東会の男たちが上陸する音が聞こえた。トンネルの入口のレンガの|隙《すき》|間《ま》から|覗《のぞ》いてみると、武装した男たちがネズミに石を投げている。  やってきたモーター・ボートのうちの半数ほどは去っていった。上陸した百五十人近くの男たちは、灯台の近くに泥色のテントを二十ほど張った。  テントの支柱を彼等が立てるとき、新城が埋めた爆薬の缶が発見されはしまいかと、新城は|脂汗《あぶらあせ》の|滲《にじ》む思いであったが、男たちは支柱の穴を深く掘らなかったせいもあって、爆薬は発見されずに済んだようだ。  強風にテントが|煽《あお》られて幾つかが倒れた。倒れたテントのなかの男たちは灯台のなかに逃げこんで風を避ける。  夕方になって|凪《な》いできた。  テントを畳んだ大東会の男たちは瓦礫の上にエア・マットを敷いて腰を降ろし、携帯レーションを食いはじめた。飢えに胃を焼かれたネズミが物蔭から出てくると、それを|狙《そ》|撃《げき》して面白がる。  滅多に命中しなかった。派手に銃声をたてても海が音を吸いとってくれるし、猟期中だから、銃声を聞いた漁師がいても不審には思わないだろう。  新城は地下広場から、銃器や弾薬や、ラジコン・ボックスなどを取ってきていた。ヘルメットと安全靴をつけ、防弾チョッキもつけているが、ネズミを|狙《ねら》って大東会の男たちが射つ流れ弾が、トンネル入口のレンガをときどき砕くのには肝を冷やされる。  灯台と新城が隠れているトンネルの入口との距離は三百メーターほどであった。  新城は点滅しながら回転する灯台の灯が消えるリズムのあいだに、トンネルの入口のレンガの隙間を少しずつひろげていった。楽に|這《は》い出すことが出来るだけにひろげた。  夜の十時近く、第四海堡の沖一キロほどのところから、貨物船の霧笛が三度聞こえた。海堡にいた大東会の男たちのうちの八十人ほどが、岸壁につないである二十隻のモーター・ボートに跳び乗った。あとの男たちはみんな岸壁に立って沖を見る。  トンネルから這い出た新城は、近くのレンガの山の蔭に移動した。体を起こすと、沖をゆっくりと航海する一万トン級の貨物船が照明弾を夜空に射ちあげ、岸壁を離れたモーター・ボートの群れが貨物船のほうに殺到するのが見えた。  照明弾は次々に射ちあげられた。落下傘付きなので、海面を照らす照明弾の落下スピードはごく遅い。  貨物船から、ブイ付きの大きなゴム袋が海に次々に投下された。  殺到したモーター・ボートは、それぞれ一隻につき、一人が運転係、一人がバランスとりの係となり、あとの二人が荷物をボートに引きずりあげる。  ゴム袋のブイには乾電池を電源としているらしい豆ランプまでついていて、|漂《ただよ》う位置をはっきり示していた。  貨物船がゆっくりと去ると、海堡と沖を往復するモーター・ボートの群れは、海に漂う最後の荷物まで引きあげた。  海堡に残っている連中は、岸壁に引きあげた荷物を灯台の塔のなかに運んだ。百トンの覚醒剤の粉末だから、最後の一袋が灯台に運びこまれるまでには、かなりの時間がかかった。  モーター・ボートの連中はみんな海堡に上陸した。陸上にいた連中と一緒に灯台の近くでタバコを吹かしながら冗談を交しあう。  そのとき、新城はラジコンのスウィッチを入れた。  |轟《ごう》|音《おん》と共に灯台の近くの地面が持ちあがったようになった。次いで火柱が吹きあがる。大東会の男たちの大半が|千《ち》|切《ぎ》れて吹っ飛び、灯台は横倒しになった。  レンガの山の蔭で新城は身を伏せた。その背中の上を、爆発で飛んだ|瓦《が》|礫《れき》が鋭く夜気を|噛《か》んで通過していく。     クルーザー      1  新城はしばらくのあいだ耳が聞こえなくなった。固く|瞼《まぶた》を閉じていたのに、目を開いてみても、少しのあいだは目がかすむ。  ガーンと耳鳴りが聞こえてくると共に、目のほうも見えてきた。新城は夜間射撃用のシングル・ポイント・サイトをつけたM十六自動ライフルを腰だめにし、レンガの山の蔭で立上った。  地面の数十か所に爆発の大穴があき、あたりじゅうが硝煙のヴェールに|覆《おお》われていた。銃のセレクターをセミ・オートにした新城は爆煙が薄れるのを待つ。  はじめに横倒しになった灯台が見えてきた。耳には、重傷に|喘《あえ》ぐ大東会の男たちの救けを求める声や悲鳴が聞こえていた。  新城はM十六自動ライフルを|頬《ほお》|付《づ》けし、シングル・ポイント・サイトを右目で|覗《のぞ》きこんだ。左目は大きく開いたままだ。  シングル・ポイントの無倍率の視界のなかにピンクがかった明るい赤い点が浮きあがる。シングル・ポイントは普通のライフル・スコープとまったくちがって、片眼で見た赤点ともう一方の目で見た像が射手の脳のなかで重なるようになっているのだ。  だから、夜間射撃や移動標的に向いている。視差は無いし、接眼距離は自由だ。そのかわり、一つの目標物に向けて、じっと赤点を見つめると次第に目標物が目から消えていくから、精密射撃には向かない。  したがって、シングル・ポイント・サイトを使って射撃する時には、|狙《ねら》うのではなく、目標物に向けて|突きつける《ポイント》感じでいいのだ。片眼を閉じてしまうと、脳のなかで赤点と目標物が重ならないから、まったく使いものにならない。  新城は一度銃を肩から外した。そのとき、三十メーターほど前を、こっちに|這《は》ってくる男が見えた。  新城は素早く銃を肩付けし、頬付けもした。男の頭にシングル・ポイントの赤点が重なる。新城は引金を引いた。  小口径高速弾特有の突き抜けるような鋭い銃声と共に銃口から飛びだした〇・二二三口径弾は、男の頭を吹っ飛ばした。銃口についた|消炎器《フラッシュ・ハイダー》のせいで、発射炎はほとんど見えない。反動は小口径弾のために小さかった。  新城はレンガの山の蔭に再び身を沈めた。しかし、射ち返してくる者はいなかった。  三分ほど待ってから、新城はそろそろと身を起こしてみた。  今は爆煙はほとんど消えていた。ただ、爆発のあとの穴や|窪《くぼ》|地《ち》にだけは漂っている。この第四海堡は、もとは海の砲台として造られた人工島なので、関東大震災で崩れているとはいえ、地表の下は地下三階造りになっているのだ。  ところどころ、震災を受けても崩れなかった場所があったのが、今度の爆発で崩れたところがある。そういうところは、深い穴になっていた。  爆煙がほとんど消えた今、新城には大東会の連中の様子をかなりつかむことが出来た。  バラバラに吹っ飛んだ肉片や骨片は、ネズミに|貪《むさぼ》り食われている。重傷を負った連中の体にもネズミの群れが歯をたてていた。  戦闘能力を残している大東会の男たちは十数人ぐらいしかいないようであった。そのなかには、新城が顔だけは知っている大幹部の管野と中堅幹部の成田がいる。  管野と成田には|尋《き》きだしたいことがある。だから新城は、五十メーターほど離れた位置で震えているチンピラの一人にM十六を向けた。  シングル・ポイントの集光体の赤点がチンピラの顔に重なる。新城は引金を絞った。  新城のM十六が鋭い銃声を響かせた。それとほとんど同時に、夜気を|噛《か》んで一発の銃弾が新城の|頬《ほお》をかすめた。  新城は反射的に身を沈めながら、自分が狙ったチンピラの顔が吹っ飛んだのと、二百メーターほど離れた|瓦《が》|礫《れき》の山の向うでかすかな銃火が|閃《ひらめ》いたのを見た。  新城はレンガの山の蔭で|腹《はら》|這《ば》いになった。横に移動する。さっき頬をかすめた銃弾がともなった衝撃波に|叩《たた》かれ、頬がズキズキする。  レンガの山の右横に這い出た新城は、セレクターをフル・オートに切替えていた。点射でブッ放す。  M十六には二十連弾倉と三十連弾倉がある。新城は三十連弾倉を使っていたが、そいつはたちまち空になった。  さっき新城を|狙《ねら》って射ってきた男は三、四発射ち返しただけで死体になった。そのほかに、四人の男も死体となる。  弾倉を取替える新城に、生残りの男たちが銃弾の雨を浴びせた。  だが、彼等は新城のように夜間射撃専用の照準器をつけてない。新城はレンガの山の左側に這い出て射ち返した。  十五本の弾倉を新城が空にした時、少なくとも新城から見える範囲では、生残っているのは管野と成田だけになった。  二人とも、右腕を射たれて戦闘能力をほとんど失っていた。新城はまだ十本の弾倉が残っている予備弾倉帯を腰につけ、レンガの山の蔭から歩み出た。焼けた銃身のM十六を腰だめにしている。  管野より成田のほうが、新城がいたレンガの山に近かった。チンピラに対してはコケ|嚇《おど》しがきくであろう頬傷の跡がある成田は、無表情に近づいてくる新城を見て、 「来るな!」  と、鼻汁とヨダレを垂らしてわめきながら、左手で腰の拳銃を抜こうとした。  新城はM十六から三発を速射した。そのうちの一発が成田の左腕の肉を大きくえぐる。  拳銃から左手を放した成田は悲鳴をあげ、 「助けてくれ……助けてくれたら何でもする」  と、|喘《あえ》いだ。  新城はその成田の頭を|蹴《け》とばして気絶させた。視線は管野から離さずに、手さぐりで成田の武装を解除し、遠くに投げ捨てた。  管野に近づく。管野ははじめから戦意を失っていた。左手で片手拝みしながら|命乞《いのちご》いをする。  新城はその管野の頭も蹴とばして意識を失わせた。武装解除し、成田が倒れているところに引きずってきた。  それから、タバコに火をつけて深々と煙を吸いこむ。半分ほどの短さになったタバコを火口を先にして成田の左耳に差しこんだ。  絶叫をあげて|苦《く》|悶《もん》しながら成田は意識を取戻した。新城は二本目のタバコに火をつけ、成田の意識がはっきりしてくるのを待つ。  泣き叫ぶ成田の声が|啜《すす》り泣きに変った頃、管野が意識を回復したようだ。しかし管野は、まだ気絶を続けている振りをしている。 「俺が誰だか分かるか?」  新城は成田に無気味に静かな声を掛けた。 「知らねえ。誰なんだ? 秋葉を殺した男か?」  成田は|怯《おび》えきった表情であった。 「そういうわけだ。この|海《かい》|堡《ほう》にいた貴様の仲間も、管野をのぞいて、みんな血祭りにあげてやった」  新城は言った。 「俺は死にたくねえ……助けてくれ」  成田は再び啜り泣いた。 「死にたくなかったらしゃべってもらおう。大東会は極星商工会を通じて、韓国から米軍払いさげの大量の拳銃と実包を密輸する。間違いないな?」 「どうして、そんなことを知っているんだ?」 「貴様は俺の質問に答えたらいいんだ。イエスだろうな?」 「…………」 「どうなんだ?」  新城はM十六自動ライフルの銃口を成田に向けた。 「あんたの言う通りだ」 「陸揚げ地点は? 俺はとっくに知っているが、貴様の答とチェックしたいんだ」 「管野先輩に尋いてくれ。俺は先輩の前で裏切者になることは出来ねえ」 「カッコいいことを言っても俺には通じねえぜ。貴様の本心は、俺が管野を始末したら、安心してしゃべる、というわけだろう?」 「そ、そんな……」 「管野、もう気絶を続けてる真似はよせ。成田は貴様に死んでもらいたがってるんだが、貴様はどうする?」  新城は|嘲《あざ》|笑《わら》った。      2 「畜生……」  管野は半身を起こし、左手を使って成田に殴りかかった。 「ちがう、誤解だ」  成田は身をよじって逃れようとした。 「二人とも、もういい。仲間争いはよして、俺の質問に答えるんだ」  新城は空中に|威《い》|嚇《かく》射撃した。  二人は|俯《うつむ》けになって荒い息をついた。新城は管野に、 「さっき成田に尋ねてたことを聞いたろう? 拳銃の陸揚げ地は?」  と、迫った。 「しゃべる。何でもしゃべるから……陸揚げ地は、木更津飛行場と江川の漁村とのあいだにある九州製鉄の|屑《くず》|鉄《てつ》|埠《ふ》|頭《とう》だ」  管野は|呻《うめ》いた。 「やっぱりそうか。拳銃を積んだ船が着くのはいつだ?」 「一月十日だった。だけど、秋葉が拷問されてしゃべった形跡があるので、二月五日に変更された。俺たちがあんたに|殺《や》られたと分かったら、また船が着く日は変えられるだろう」 「船が着くのは夜か?」 「いや、真っ昼間の二時の予定だ。どうせ、拳銃や弾薬は|梱《こん》|包《ぽう》されているから、昼間堂々と陸揚げしたほうがあやしまれずに済む。トラックに積み替えて、うちの会の倉庫に運ぶわけだ」 「その倉庫はどこにある?」 「本部ビルの地下三階だ。八トン・ダンプも出入りできる」 「なるほどな。そうか、入港予定はまた変るかも知れない、というわけだな」 「…………」 「話は変るが、この第四海堡に陸揚げされた覚醒剤の粉末は、夜が明けてから、森山運輸の国内貨物船の“くれない丸”が受取りに来る予定になってるんだな?」  新城は言った。 「その通りだ」  管野は答えた。 「森山運輸をコンツェルンの一部門として持っている森山大吉について、くわしくしゃべってみろ」  新城は言った。  管野と成田は、かつて竹村がしゃべった森山に関する情報よりもさらにくわしくしゃべった。  聞き終えた新城は、 「御苦労」  と、二人を射殺した。成田の左耳に二発射ちこんで頭を吹っとばし、耳の|孔《あな》にタバコを突っこんだことが分からないようにした。  それから新城は、爆発であいた穴を|覗《のぞ》きこんで歩いた。爆煙は消えている。穴のなかで重傷は負ってはいても死にきれていない者を見つけると、容赦なく射殺した。  それから新城は、第四海堡のなかの隠れ家である地下広間へのトンネルにもぐりこんだ。入口近くは爆発の震動でかなり崩れていたため、コンクリートやレンガの塊を外に捨てるのに手間どったが、奥のほうは崩れてない。  地下広間に残してあったM十六の予備弾倉を腰に|捲《ま》き、三十キロほどの導火線付きダイナマイトを持って外に出た。  倒壊した灯台の基部に歩く。そこには、ゴム袋に入っていた覚醒剤の粉末が大量に散らばっていた。  新城はダイナマイトをそこに置くと、一袋二十キロの覚醒剤を五袋左肩にかつぎ、岸壁に行った。  岸壁につながれた二十隻のモーター・ボートのうち、五隻が爆発の被害を受けてなかった。  新城はそのうちのニッサン・マリーン三リッター百七十馬力の船内機エンジンを二基積んだヤマハS十八CRを選び、運んできた覚醒剤の粉末の袋を積んだ。  ほかのモーター・ボートに積まれていた燃料のドラム缶を一度岸壁に移す。四十本近くあった。そのうち二サイクル用の混合油と四サイクル用のガソリンがほぼ半々だ。  新城はガソリンのドラム缶四本をヤマハS十八に移した。残ったドラム缶を一本ずつ転がして、灯台の基部まで運んだ。  さらに二百キロの覚醒剤の粉末をヤマハのボートに運びこむ。それでも灯台の基部に残っている覚醒剤の粉末は数千数百キロある。  新城は灯台の基部に運んであったドラム缶のガソリンや混合油を、覚醒剤の大量の袋にぶっ掛けた。その下に三十キロのダイナマイトを突っこむ。  ヤマハに戻る。そいつはキャビン付きだから、正確に言えばモーター・クルーザーだ。  そいつのイグニッション・スウィッチにはキーが差しこまれてあった。オンにすると、燃料ゲージは、ほぼ満タンを示した。念のために燃料タンクのキャップを開いてロッド・ゲージを抜いてみる。  タンクには九分目ほど入っていた。キャップを閉じた新城は、キャビンのうしろの一段高いところに|据《す》えられたコック・ピットに腰を降ろし、スターターをオンする。  スロットル・ボタンを軽く引いて二分ほど千回転でアイドリングさせてから、新城は|舫《もや》いのロープを解いて前進レヴァーを入れた。エンジンの回転をさらに上げる。  二基のエンジンの二つの回転計の針がぴったりと同じ数字を示しながら昇っていった。モーター・クルーザーは、船首をあげて跳びだす。  灯台側の沖に三百メーターほど出たところで新城はクルーザーを停止させた。ガソリンや混合油を振りまいた覚醒剤の袋のあたりを目がけ、M十六からフル・オートで乱射した。  二弾倉を空にした時、銃弾が岩かレンガかコンクリートの破片か鉄筋に当たったときに生じた火花が、ガソリンに引火したのが見えた。  新城はクルーザーを再び動かし、全速で第四海堡から遠ざかる。  その背後で、ガソリンや混合油が炎を渦まかせて燃え狂っていた。一キロほど遠ざかった時、ダイナマイトの一つが爆発し、その爆発はほかのダイナマイトに伝わっていった。  振り向いた新城は、第四海堡から吹きあがった巨大な火柱を見た。|凄《せい》|絶《ぜつ》に美しい光景であった……。  約半時間後、新城が操縦するヤマハ・クルーザーは、館山と白浜のあいだにある南房州道路、いわゆるフラワー・ラインの|脇《わき》の砂浜に近づいた。  その有料道路と砂浜とのあいだは、かなりの幅の松林、それにヨシズに囲まれた|花畠《はなばたけ》だ。  砂浜とはいっても、川が流れこんでいるあたりには岩場がある。新城は幾つかある川の一つの河口へモーター・クルーザーを微速で近づけた。遠浅だが、河口のあたりにだけは水路がついている。  河口の護岸にクルーザーを寄せ、|杭《くい》にロープをつないで上陸した。その近くの松林のなかに、一台のワゴン型ジープが|駐《と》めてあった。  松林の持主に特級酒を五本進呈し、十日間だけという約束でジープを置かせてもらっているのだ。そのジープのシャシー・ナンバーは打ち替え、ナンバー・プレートは偽造品を付けている。  新城はそのワゴン型ジープのドアをキーで開いた。なかを|覗《のぞ》いてみたが、いたずらされた形跡はない。  バッテリーが上ってしまった場合にそなえて、そのジープは予備バッテリーを毛布に包んで後部フロアに二個置いてあった。  だが、運転席に|坐《すわ》ってエンジンを掛けてみると、寒冷地仕様の大容量のバッテリーは力強くセル・モーターを動かし、エンジンに生命が通った。  チョークを引いてエンジンをアイドリングさせておき、新城はモーター・クルーザーから覚醒剤の袋を何度かに分けて運んできた。ジープの後部フロアに積む。  もう一度モーター・ボートに乗りこんでUターンさせた新城は、フル・スロットルにすると共に護岸に跳びあがった。  |脇《わき》|腹《ばら》を何度か護岸にぶっつけながらも河口を出たモーター・クルーザーは沖に向けて消えていった。  新城は再びジープの運転席に戻ると、チョークを押しこみ、四輪駆動にして発車させた。  直線が多いフラワー・ラインの良好な路にジープを出し、白浜側に車首を向けた。料金所に二キロほどのところで左のガタガタ道にそれる。      3  新城が着いたのは、千倉の外れの|岩礁《がんしょう》が多い海岸に近い松林のなかの小さな一軒家であった。  そこは東京で小さな工場の社長をやっている男が別荘用として建てて使っていたのだが、ドル・ショックで倒産寸前になり、貸し別荘にしたのだ。  新城は東京の不動産屋を通じて偽名でそこを借り、千倉の町に買物に出た時には、自分は無名の画家だと言ってあった。  母屋の横の木造の、すでに軽四輪が入っているガレージにジープを突っこんだ新城は、母屋の台所のドアを開いた。台所から岩礁まで歩いていける。  台所のなかに大きな米国製の中古の冷蔵庫があって、必要とあれば一か月分の食料をストックしておける。  新城はその台所の食器棚をずらし、床についた揚げ|蓋《ぶた》を開いた。コンクリート製の隠し物入れが現われた。  新城はそのなかに、ジープから覚醒剤の粉末の袋を運んできて放りこんだ。最後の一袋のゴムをナイフで破り、その下のビニールも破って白い粉末を皿に少し取りだした。  揚げ|蓋《ぶた》を閉じ、食器棚をもとに戻した。覚醒剤の粉末が入った皿と武器弾薬を持って、台所の横の食堂兼居間に入った。  その部屋は板張りだ。二十畳ほどあった。その部屋からも海が見える。一隅にもっともらしく、部屋から見た海の風景を描きかけているキャンヴァスがイーゼルにたてかけてあった。  自動ライフルと弾倉帯を低いテーブルの裏にガム・テープで|貼《は》りつけた新城は、一度母屋から出てガレージの扉を閉じた。  台所の冷蔵庫からよく冷えたビールを数本と、これもよく冷えたビーフィーターのロンドン・ジン、それにボロニア・ソーセージの一キロの塊を持って食堂兼居間に戻る。  口のなかにジンを放りこみ、ビールで胃に送りこんだ。ジンを三分の一|壜《びん》とビールを一本たて続けに飲んだ頃、やっと軽い酔いが|廻《まわ》ってきた。  新城は部屋にあるステレオ・セットに組込まれたラジオのFMのボタンを押した。 「こちら、県警××号……本部応答願います……どうぞ……」  と、パトカーの無線ラジオの声が出てきた。  FMに偽装しているが、警察無線の極超短波を聴取出来る装置が、ステレオ・セットのなかに組込まれているのだ。波長はいま、千葉県警のものに合わせてある。  県警本部の一斉指令室は、いま事件処理中のものをのぞいて、全パトカーは|富《ふっ》|津《つ》港に直行するように命じていた。何度も何度もくり返す。  新城は警察無線を聴きながら、皿に乗った〇・五グラムぐらいの覚醒剤の粉末を|舐《な》めてみた。  苦い。新城はそれをビールで胃に送りこみ、海側のカーテンを開くと、電灯を消してソファに腰を降ろした。ソーセージをかじり、ジンとビールを飲む。 「全パトカーに告げる。第四海堡で一時間ほど前に大爆発が起こった。何か大がかりな犯罪が行なわれたらしい。全パトカーは房総沿岸に散って、不審なモーター・ボートや漁船が接岸してきたら、乗組員を逮捕せよ」  本部の無線マイクは指令を発した。  それから夜明けまで、新城はパトカーと本部のあいだで交される無線を傍受した。パトカーは何隻かの漁船の乗組員を逮捕したようだ。  ときどき覚醒剤の粉末を舐めていたために、アルコールが体に廻ってきても新城は眠くなかった。覚醒剤の粉末は本物らしい。  早朝の二時間ほどを睡眠薬を飲んで仮眠した新城は、再び警察無線を傍受した。夜が明けてから水上警察と共に第四海堡に上陸した県警の捜査員たちは、おびただしい死体とガソリンで|焦《こ》げた上に爆発で散らばった覚醒剤の粉末を発見して|昂《こう》|奮《ふん》の極に達したようであった。  それから一週間にわたり、大東会千葉支部の生残りの者たちはひそかに県警本部に呼ばれて事情聴取されたが、彼等は知らぬ存ぜぬで通したようだ。  一方、大東会のライヴァルの組織暴力団が、弱体となった大東会千葉支部の縄張りを着々と奪っていった。  ついには、大東会の最大の強敵である神戸の山野組までが千葉に乗りこみ、大東会と銀城会が縄張りを分けあっている曙街で事務所開きをやったことも警察無線から分かった。  新城は韓国から密輸されてくる大東会の大量の拳銃や弾薬を奪う時に、山野組を利用する積りだ。  だが、その前に、木更津の九州製鉄の|屑《くず》|鉄《てつ》|埠《ふ》|頭《とう》の地形をよく見ておかねばならぬ。  年が改まった一月の十日過ぎ、新城はガレージからホンダの軽四輪を引っぱりだした。  東京で盗み、千葉の偽造ナンバー・プレートをつけたその軽四輪のボディは|錆《さび》だらけであった。木更津精工と書いてある。無論、新城が書いたのだ。  新車に近いやつをわざと錆だらけにした車だから、エンジンやドライヴ・トレインはまだしっかりしていた。  作業服をつけ、国産の安っぽいメタル・フレームのブルーのサングラスを掛けた新城は、車のトランクに、キャンヴァスで包んだM十六自動ライフルと弾倉帯を積んだ。ホンダの軽四輪の場合、後部シートの背を倒すと、車のなかからも、トランク・ルームの荷を取出すことが出来る。  昼近くであった。新城は館山と|鴨《かも》|川《がわ》や鹿島のほうを結ぶ国道百二十八号に向けて、山のなかの舗装が荒れた道を飛ばす。このあたりは沖縄のように常緑樹の葉が冬でも黒っぽい。  百二十八号に突き当たって左折する。このあたりにも三矢財閥は大々的に進出し、三矢不動産は道路の左右の山を崩して住宅地を造っていた。崩した山の土は砂利として利用するため、国道の上まで砂利のコンヴェア・パイプが通っている。  道にはダンプが多かった。新城の軽四輪は、無茶な追越しをかけてくるダンプに、しばしば踏み|潰《つぶ》されそうになる。  館山港の近くの大衆食堂の近くに新城は軽四輪を|駐《と》めた。港と産業道路をへだてて自衛隊のヘリ・ポートがひろがっている。  大衆食堂で新城は久しぶりに外食した。五目ソバの大盛りを食う。汁気がたっぷりした|麺《めん》|類《るい》に飢えていたので、さらにチャーシューメンも平らげた。  店を出ると、海岸に沿った国道百二十七号を木更津のほうに向かう。  左手に見え隠れする海岸の風景は伊豆にくらべるとかなり単調であった。新城は|富《とみ》|山《やま》町の海岸にある海浜公園の駐車場に一度車を駐めた。  そこからは|岩礁《がんしょう》の海に降りられる。ドライヴの途中らしい親子が、岩礁でヤドカリを拾ったり、ハゼをつかまえたりしている。  新城は駐車場の横のトイレで腹を軽くし、再び車を走らせた。  やがてフェリーの発着場があり、怪奇な形の|鋸山《のこぎりやま》がよく見える|金《かな》|谷《や》を通過する。|湊《みなと》を過ぎ、|佐《さ》|貫《ぬき》で左折して|富《ふっ》|津《つ》に向かった。  狭い道だ。道の近くの|畠《はたけ》や山のなかに、ときどき、九州製鉄の下請けの工場の従業員用の鉄筋コンクリート建ての団地の棟が|忽《こつ》|然《ぜん》と現われる。  富津の町に入りT字路に突き当たると、左側が岬の根元の富津公園、右手に道をとると九州製鉄の工場と従業員団地だ。  新城はまず左手の公園に向かった。  その臨海公園は静かなたたずまいを見せてはいたが、九鉄からの|煤《ばい》|煙《えん》が飛んでくるのを防げない。  車から降りた新城は、池が広い公園を駆け足した。麺類で一杯になっている胃を少しでも小さくしなければならぬ。もしこんな胃の状態の時に腹を射たれたら、確実に腹膜炎を起こしてしまう。  一時間ほど駆けている間に、再び新城は便意をもよおしてきた。公園の公衆便所で再び腹を軽くする。軽四輪に戻った新城はシートをリクライニングさせて|仰《あお》|向《む》けになり、二本のタバコを灰にしてから再びスタートさせた。  Uターンして公園を出て、先ほどのT字路を真っすぐに走らせる。  やがて左手に、丘の上までひろがる九鉄のマンモス団地と、グリーンの高い塀にさえぎられた九鉄君津製作所の長い長い工場群が見えてきた。  新城は左にハンドルを切り、工場に近づいた。道の左右には九鉄の下請け工場やボウリング場やスーパー・マーケットや飲食店が並んでいる。  工場の手前はマンモス駐車場になっているが、そこにさえ入りきれぬ車は、まだ沼が残る広い空地に数百台駐まっていた。  新城は工場とマンモス駐車場の前を通る道路をまず左に行ってみた。やがて、工場の南ゲートに来る。  ゲートの真ん中の大きなゲート・ボックスのなかでは、自衛隊員のような格好をし、MPのそれに似たヘルメットをかぶったガードマンが数人、出入りの車をチェックしていた。  新城は唇を|歪《ゆが》めてその前でターンし、工場前の道路を戻っていく。数キロ北に行った左手に九鉄の事務所ビルがあり、右手はマンモス団地への入口の道であった。  新城はマンモス団地に軽四輪のエンジンとギアを|唸《うな》らせて登っていった。鉄筋の団地群は、ヴェランダがブルーとイエローに統一されている。  夕食の買物時間なので、九州弁が残る主婦たちが歩道を占領し、スーパー・マーケットのあたりは彼女たちの車が乱雑に駐められていた。  団地の丘の頂上近くに新城は軽四輪を|停《と》めた。この高さから見ると、先ほどはグリーンの高い塀にさえぎられていた九鉄の工場群がよく見える。  無数の煙突が|凶《まが》|々《まが》しい煙や炎を吐きだしている。その工場の一つは、かつて新城の一家が住んでいた家の上に建てられているのだ。  暗い瞳をその工場に据え、新城はしばらくのあいだ、口のなかで|呪《のろ》いの言葉と|復讐《ふくしゅう》の誓いを|呟《つぶや》いていた。  団地を降りた新城は、工場の前の道路をさらに北に向けて軽四輪を走らせた。臨海産業道路の道幅は上下六車線になり、無数のダンプやトラックが|砂《さ》|塵《じん》のなかをブッ飛ばして、西部の街道町のようだ。  ここもフェリーの発着場がある木更津の港の前を過ぎると、航空自衛隊や米軍の駐屯基地が左手にひろがる。自衛隊の駐屯地もマイカーが多い。  そこを過ぎると、いよいよ木更津の飛行場であった。滑走路は金網で国民からへだてられている。新城は飛行場の北側に廻っていった。  ひどい道だ。泥んこ道であった。道の右側も防衛庁のものだが、農家が畠として使っている。  滑走路の北側で新城は金網沿いに左に折れた。  滑走路と泥んこ道とのあいだに|葦《あし》が茂った小川があり、地面に出ていた小さなカニの群れが、近づく新城の車の音を聞いて、あわてて小川に逃げこむ。     乗込む      1  その小川に沿って新城がホンダの軽四輪を走らせると、やがて海の五百メーターほど手前で小川は横に走るコンクリート道路の橋の下に隠れた。  橋の向うで小川は、幅五十メーターほどの運河と変っていた。運河には、千トン級の小型貨物船が数隻浮かんでいる。  運河の右側が十万坪の九州製鉄|屑《くず》|鉄《てつ》|埠《ふ》|頭《とう》であった。運河側と海側の埠頭をのぞいて、鉄柵と金網に囲まれている。そのなかには数十万トンの屑鉄が野積みされ、幾つかの倉庫や事務所も見える。トラックが数十台|駐《と》まっていた。  左側の木更津飛行場に沿った泥んこ道は、コンクリート舗装の道路に突き当たったところで|途《と》|切《ぎ》れるので、新城は右にハンドルを切ってコンクリート道路に入った。  飛行場と反対側に向けて軽四輪をゆっくりと走らせる。やがて、屑鉄埠頭の正門の前を通り過ぎようとする。  そのとき、白バイによく似せた二台のホンダの|七五〇《ナナハン》の二輪が正門の内側から爆音と共に跳びだしてきた。  二台のナナハンにまたがっている九鉄のガードマンは、これまた白バイの警官によく似た服装をしていた。ヘルメットやブーツもよく似ている。  二台のナナハンは赤灯をつけ、サイレンを|咆《ほう》|哮《こう》させて新城の盗品の軽四輪を左右から一気に追抜いた。二人のガードマンは、鮮やかな手ぶりで新城に停車を命じた。  新城は一瞬、停車すべきかどうか迷った。しかし、ガードマンたちを言いくるめることも出来る可能性があると思って、道の左端に寄せて停車する。  作業服のジッパーを引きおろし、|腋《わき》の下のホルスターに収めたベレッタ・ジャガーをいつでも抜射ちできるようにした。  二人のガードマンは、それぞれ白いナナハンを新城の軽四輪の前に停めた。それから降りると、運転席の左右に立った。  新城は右側の窓を開いた。|覗《のぞ》きこんだ右側のガードマンが、 「免許証」  と、提示を求める。 「あんたたち、ポリじゃないんだろう」  新城は言った。 「ここは九鉄の私道だ。我々は九鉄の保安部員だ」  ガードマンは言った。 「だからといって、運転免許証まで出せと言うことはないだろう」 「つべこべ言わずに降りろ。降りねえと、引きずり降ろすぞ」 「分かったよ」  新城はゆっくりと車から降りた。 「あんたは誰だ? 何の用があってここをうろついてた?」 「見たら分かるだろう? 車に書いてる通り、木更津精工の者だ。長須賀の木更津特殊金属に頼まれていたタップとネジを届けてから、すぐにうちの会社に戻るのも面白くないんで、ぶらぶらと車を走らせてたんだ」  新城は言った。 「木更津特殊金属といえば、九鉄の子会社だ。電話で確認をとってくる。あんたの名前は?」 「俺の名はこれだ」  新城は電光のようなスピードで、ショールダー・ホルスターから、消音器がついたベレッタ・ジャガーを抜いた。  右側のガードマンの|眉《み》|間《けん》を射ち抜く。二十二口径ロング・ライフルの小さな実包である上に消音装置を通したものであるから、銃声はごく小さかった。  射たれた男は前のめりに突っ伏した。  新城は、あわてて腰のベルトに|吊《つ》ったホルスターからS・W三十八口径のリヴォルヴァーを抜こうとしているもう一人のガードマンにベレッタを向けた。ニヤリと笑う。 「う、射つな……」  拳銃から手を放したその若者は|喘《あえ》いだ。顔は血の気を失っている。 「世の中には、貴様のようなチンピラを|怖《こわ》がらぬ人間が何人でもいるということを知っておいてもらいたい」  新城は静かに言った。 「分かった……助けてくれ。見逃してくれ」 「会社のガードマンがハジキを携帯しているのはおかしいな。貴様はどこの組織の者だ?」 「大東会だ……あ、あんたは、大東会の者たちを虫ケラのように殺している男か?」  若者は|黄《き》|水《みず》を唇から垂らしながら言った。 「貴様も虫ケラだ、ウジ虫だ」 「やめてくれ……射たないでくれ」  若者は体を折って吐きはじめた。 「ここは、どうしてこんなに警戒が厳重なんだ? 誰にでも、通りかかった者に、職務質問まがいのことをやってるのか?」  新城は尋ねた。 「あ、あんたを警戒してたんだ。あんたが本人とは知らなかった……俺は何て運が悪いんだ……」 「俺がここに近づいたら、九鉄や大東会としては何か都合の悪いことがあるのか」 「知らねえ、あんたも言ったように俺はチンピラだ、くわしいことは教えられてない。ともかく、この屑鉄埠頭に近づく者がいたらチェックして、不審な者は事務所に連れこむように、と命令されてるんだ」  男は言った。 「そうか」  新城は|呟《つぶや》くと、その男の|眉《み》|間《けん》もベレッタ・ジャガーで射ち抜いた。地面に転がっている二個の|空薬莢《からやっきょう》を拾ってポケットに仕舞い、ホンダの軽四輪に戻った。  軽四輪を少しバックさせる。その時、正面の外にガードマンが四人走り出てきた。  新城は前にある二台のホンダ|七五〇《ナナハン》の二輪を跳ねとばして逃げた。拳銃を乱射しながら追ってきたガードマンたちは、横転してエンストしている二台のナナハンを二人ずつで引起こし、エンジンを掛けようとした。  しかし、新城の車に跳ねとばされた時に配線が外れたらしくエンジンは掛からない。その間に新城は、九鉄の専用道路をエンジンをフル回転させた軽四輪で突っ走った。  その道路は、三キロほど行ったところで、国道十六号に合流していた。ブレーキングとシフト・ダウンで急激にスピードを落とした新城は、ライトが割れ、フェンダーやフロント・グリルが変形した軽四輪を国道十六号に乗入れた。  千葉市側に向けて少し走らせ、右折して十六号を外れる。その道の先に砂利採取場があるようだ。ダンプが新城の軽四輪をはじき飛ばすようにして追越していく。  一台が狭い道で強引に追越すとき、新城の軽四輪のフロント・フェンダーを引っぱがした。  ショックでふらつく車を何とか新城が立直すと、追越したダンプは急停車し、運転手と助手が薄ら笑いを浮かべて降りてきた。  新城も車を停めて車から降りた。ダンプの運転手が、 「ど|素人《しろうと》め。もたもたしやがるからそんなことになるんだ」  と、|罵《ののし》る。作業服の前をひろげ、ラメが光る腹巻に差した短刀を見せびらかしている。 「ぶっつけたのは貴様のほうだ。払ってもらおう」  新城は二人に近づいた。  ダンプの運転手は、新城のたくましい体と殺気にぎくっとなったようだ。しかし、運転手は、 「ふざけるな。命があっただけましだと思うんだな」  と、せせら笑う。  新城は手刀の一撃でその運転手の首を叩き折った。運転手は吹っ飛ぶと、|芋《いも》|虫《むし》のようにもがいた。鼻からも耳からも血が|噴《ふ》きだす。 「…………」  悲鳴をあげた助手が運転台のなかに逃げこもうとした。  新城はその|襟《えり》|首《くび》を|掴《つか》んで引きずり降ろした。 「野郎!」  助手は口から泡を噴いてわめきながら、腹巻に差していた短刀を抜こうとした。  新城は小枝でもへし折るように助手の右手首を折った。猫のような悲鳴をあげる助手の心臓に手刀をくいこませる。  |肋《ろっ》|骨《こつ》をへし折った新城の右手は助手の心臓に達した。心臓を掴みだしてよく見せてやると、助手は気絶したきり絶命した。      2  掴みだした心臓を助手の顔に投げつけた新城は、軽四輪の助手席にあったセーム皮で手の血を|拭《ぬぐ》った。二つの死体を軽四輪のなかに押しこめる。  その車のトランクから、キャンヴァスで包んだM十六自動ライフルと弾倉帯を取出し、エンジンが掛かったままのダンプの運転台に登った。  そのダンプは空荷であった。新城はキャンヴァスの包みを助手席の床に置き、ノン・シンクロのセカンド・ギアを入れて発車させた。  少し行ったところにターン出来る空地があったので、そこでダンプをUターンさせ、国道十六号に向けて走らせる。ロー・ギアは坂道発進の時ぐらいしか用いない。  国道に出る少し手前で一台のダンプとすれちがったが、そのダンプの連中は、新城が運転しているダンプが強奪されたものであることに気付かないようであった。  半時間後、新城は習志野の自衛隊基地に近い狭い道路で、後ろからやかましくクラクションを鳴らし追越そうとするマツダ・カペラGSを妨害していた。  そのカペラに乗っているのは、運転席についている土地成金のドラ息子のような長髪の若い男だけだ。  新城は道路を斜めにふさぐ格好にダンプを停めた。カペラは急ブレーキを掛けた。追突もせずに停まる。  カペラの若い男は、車から降りる度胸は、持ってなかった。車窓を閉じたまま、クラクションを鳴らし続ける。  新城はダンプから降りた。カペラはバックしようとした。走り寄った新城は、エンジン・フードの上に跳び乗った。  若い男はバックさせながらジグザグ運転を続けた。新城を振り落とそうという気だ。  しかし、慣性の原理に車は敗れ、横の草地に大きく跳びだした。若い男はギアを前進に切替えて草地から脱出しようとした。  草地の下は砂地であった。駆動輪が砂にのめりこんで空転する。若い男はドアを開き、 「助けてくれ!」  と、わめきながら逃げようとした。  新城はその男が死なないように手加減して首の付け根を殴りつけた。|昏《こん》|倒《とう》したその男をダンプの運転席に放りこむ。  ダンプを横の草地に突っこませ、キャンヴァス包みを持ってカペラに戻る。包みをエンジン・スウィッチから抜いた|鍵《かぎ》|束《たば》のうちの一本のキーで開いたカペラのトランクに仕舞う。  カペラのギアをニュートラルにし、トランク・ルームの外板に肩を当てて新城は押した。  |凄《すさ》まじい新城の体力にかかったら、スタックした小型車が道路に押戻されることぐらいは簡単であった。  新城はエンジンを掛け、何度かハンドルを切ってカペラの車首を習志野の市街のほうに向ける。ロータリー・エンジンはタービンのようになめらかに回った。  習志野市の新興住宅街にある新城のアジトの一つは、そこからも、八分しか離れてなかった。  新城はそのアジトの二台の車を収容出来るガレージのなかにカペラを突っこんでシャッターを閉じた。  その日は習志野のアジトで夜を過ごし、翌日、とりあえず偽造ナンバー・プレートをつけたカペラを、埼玉県|与《よ》|野《の》のアジトに運んだ。  そのアジトには、さまざまな工作機械が据えられている。新城はそこで、カペラのエンジン・ナンバーとシャシー・ナンバーを打替え、偽造ナンバー・プレートも精巧なものをつけた。車検証も偽造する。  そうやって安全なものにしたカペラを駆って、新城は千葉の千倉のアジトに戻った。  その夜、レイバン・イエローのシューティング・グラスを掛け、濃い付け|髭《ひげ》をつけた新城の姿が千葉市にあった。  千葉ステーション・ビルの裏の二十四時間営業の駐車場にカペラを置き、栄町|界《かい》|隈《わい》の歓楽街を歩く。  銀城会にかわって大いに勢力をのばしていた大東会も、今は神戸から進出してきた山野組に大部分の縄張りを奪われて、暴力団地図の塗替えが予想以上に早まっているのが分かった。  シキテンを切っている大東会の連中は、曙街のソープランドの密集地帯に、自衛する構えでかたまっていた。そのほかのシマでは、三角のなかに山の字が入ったバッジの山野組が大きな顔をしてのさばっている。  新城は東和ボウリング・センターに近い山野組の事務所に向かった。そこは表向きは芸能プロダクションの看板をかかげた四階建てのビルであった。  ビルの玄関に入ると、見張りのチンピラが四人、新城を取囲んだ。 「どなた様で?」 「どういう御用でしょうか?」  と、関西|訛《なま》りを無理に関東弁にした口調で尋ねる。 「支部長に面会したい」  新城は言った。 「紹介状はお持ちで?」 「残念ながら持ってない。だけど、支部にとっていい稼ぎになる話を持って来た。取次がないと、あんたたち、あとで後悔することになるぜ」  新城は言った。 「何やと? こっちが|下《した》|手《て》に出てりゃ、でかい口を|叩《たた》きやがって」 「叩き出してやる」  四人のチンピラは一斉に新城に殴りかかってきた。  新城は素早く動いた。全身が目にもとまらぬ早さで動く。  新城の動きがとまった時、四人の男たちは|鳩《みぞ》|尾《おち》に当て身をくらったり|睾《こう》|丸《がん》を|蹴《け》|潰《つぶ》されたりして倒れ、|炙《あぶ》られた芋虫のようにのたうっていた。  一階にいた事務員は逃腰になり、商談で来ていたらしいストリッパーやソープ娘が派手な悲鳴をたてた。  そのとき、二階から拳銃を腰だめにした幹部級の男が二人駆け降りてきた。階段の真ん中あたりで立ちどまり、 「誰だ、てめえは! 縄張り荒しか!」  と、わめく。 「早まらないでもらいたい。商売の話を持ってきたんだ」  新城は答えた。 「うるせえ、さっさと帰らねえとブッ放すぞ」  幹部の一人はわめいた。 「頼む、俺の話を支部長に聞いてもらいたいんだ」  新城は静かに言った。 「うるせえ」  幹部たちは新城に拳銃の|狙《ねら》いをつけようとした。  新城は体を倒しながら、腰のホルスターにつけていたコルト・パイソンの三五七マグナム・リヴォルヴァーを抜射ちした。ダブル・アクションなので、少々引金が重くなるが、一発ごとに親指で撃鉄を起こす必要はない。  二インチ半の短い銃身から発射された二発の三五七マグナム弾の|轟《ごう》|音《おん》は、ビルのなかに|凄《すさ》まじく反響した。窓ガラスが割れそうに震える。  二人の幹部は拳銃を構えていた右腕を|肘《ひじ》の上でブチ抜かれた。  腕が千切れそうになった二人は拳銃を放りだすと、あっけなく失神した。階段を転げ落ちてくる。  新城はマグナム・リヴォルヴァーのシリンダー弾倉を左横に開き、エジェクチング・ロッドを勢いよく押した。  六個の薬室に残っている四発の実包はエクストラクターに引っかけられて浮上がっただけだが、二個の|空薬莢《からやっきょう》は跳びだした。  新城は二発の実包——三十八口径スペッシャルの薬莢をのばして火薬量を増やしたのが三五七マグナムだ——を空になった二つの薬室に|装《そう》|填《てん》し、シリンダー弾倉を閉じた。 「だから、よせと言ったんだ」  と、|呟《つぶや》く。  一階にいる者は、みんな床に伏せていた。  その時、壁についたスピーカーから、 「ハジキを捨てろ、ハジキを捨てて両手を|挙《あ》げるんだ。そうでないと、組織の総力をあげて貴様を狩りたててやる」  と、ドスが利いた声が命じた。 「あんたが支部長か?」  新城は叫んだ。一階のどこかに隠しマイクがついている筈だ……と、思う。 「俺が支部長の安本だ。貴様は誰だ? どこの組の鉄砲玉だ?」 「どこの組の者でもない。話があってやって来た。ただ、言えることは、大東会に恨みを持っている者だ、ということだけだ」 「大東会に?……じゃあ、貴様は……いや、いや、信用出来ねえ。そんなうまいこと言いやがって、俺と顔を合わした途端にブッ放す積りだろう?」 「そんなに信用しないなら、誰か使いの者をここによこしてくれ。俺がどんな男だかを証明する物を取りに来させるんだ」  新城は言った。      3 「よし、分かった。ただし、使いの者を人質にしてこっちに上って来ようなんて考えを起こすなよ。そんなことをしやがったら、人質もろ共、蜂の巣にしてやる」 「分かってるさ」  新城は左手で、内ポケットからポリエチレンのシートに包んだものを取出した。五百グラムほどの覚醒剤の粉末だ。第四海堡で大東会から奪った物だ。  しばらくして、|痩《や》せた顔に恐怖の目を光らせた若い男が降りてきた。右手に撃鉄を起こした拳銃を握っている。全身を小刻みに震わせていた。 「ち、近寄るな! 近寄るとブッ放すぞ」  と、|呻《うめ》く。 「落着けよ、坊や。暴発に気をつけるんだな。じゃあ、荷物はここに置くぜ」  新城は近くの机の上に覚醒剤の粉末の包みを置いた。数歩さがる。  若い男は新城から目を放さずに机に近づいた。左手で包みを|掴《つか》むと、あとじさりする。階段もあとじさりながら登った。  それから数分たった。一階の連中は床に伏せたままだ。  壁のスピーカーから、支部長の声が聞こえてきた。 「分かった。あんたを信用することにしよう。いま、迎えの者をやるから、ハジキを仕舞うんだ」 「じゃあ仕舞いますがね、俺のハジキは自分でいっちゃわるいが早いんだ。そっちがおかしな真似をしたら、そっちが引金を絞りきる前に、こっちの抜射ちのタマがそっちの心臓に命中しますぜ」  新城は言った。 「分かってるさ。こっちはおかしな真似をしない。男の約束だ」 「じゃあ」  新城はコルト・パイソンのマグナム・リヴォルヴァーを上着の|裾《すそ》で隠しているヒップ・ホルスターに仕舞った。  その拳銃は、新城がヨーロッパから密輸してきたものだ。今夜の新城は、その三五七マグナム・リヴォルヴァーのほかに、あと二丁の拳銃を携帯している。  それから五分後、五人の男が降りてきた。みんなショールダー・ホルスターのために|腋《わき》の下がふくれているが、拳銃は抜いていない。  二人の男が、一階にいる男女を、 「ここで起こったことを、よそでひとことでもしゃべってみろ。ミキサー・カーで粉々にして埋立て地のゴミの下に埋めてやるからな」  と、|嚇《おど》しにかかった。  新城は三人の男に左右と背後をはさまれて階段を登った。二階にエレヴェーター・ホールがあり、三基のエレヴェーターが並んでいた。  一行は右端のエレヴェーターに入った。四階で吐きだされる。四階の廊下には、四、五十人の山野組の男たちが集まっていた。  みんな殺気だっていた。しかし、新城に手を出す者はいなかった。  新城は廊下の突き当たりにある支部長室に通された。  そこは、入ったところが広い応接室だ。カラーTVやステレオのセットが置かれ、バーまでもついた応接室と、曇りガラスのドアをへだてて支部長室がある。  支部長室で、支部長の安本は、マホガニーのテーブルの向うで|肘《ひじ》|掛《か》け|椅《い》|子《す》に腰を降ろしていた。  四十五、六の|精《せい》|悍《かん》な男だ。額に薄い刀傷の跡がある。その安本の背後に、短機関銃を腰だめにした男が二人立っていた。  安本は入ってきた新城を見て、浅黒い顔に白い歯を見せて笑った。 「いい度胸だね。気に入ったぜ」  と、言う。 「そいつはどうも」  新城は軽く頭をさげた。 「まあ、掛けてくれ」  安本はテーブルの前の回転椅子を示した。 「ですが、サブ・マシーン・ガンの銃口に狙われてたんではね」  新城は肩をすくめた。 「なるほど」  安本は呟いて合図した。二人の用心棒は短機関銃——ドイツ製のシュマイザーであった——の銃口を天井に向けて胸に抱えた。  新城は回転椅子に腰を降ろした。 「名前を聞かせてもらおうか?」  安本が新城に言った。 「新井と言う」 「このところ大東会を目茶目茶にやっつけているのはあんただな?」 「まあな」 「第四海堡で大東会を大量に|殺《さつ》|戮《りく》したのもあんただな? さっきの覚醒剤は、あの時の獲物の一部というわけか?」 「そう」 「大東会に何の恨みがある?」 「個人的なことでだ。俺の過去を|詮《せん》|索《さく》するのは無用と願いたい」 「分かった。それで、山野組に用があるということだが?」 「大東会は、極星商工会を通じて、韓国から大量の拳銃と実包を密輸する。そのことを知っているのか?」  新城は尋ねた。 「初耳だ。量は?」 「拳銃三千丁、実包百万発だ」 「本当か?」 「銀城会と大東会の幹部をなぶり殺しにする際に|尋《き》きだした」 「|罠《わな》じゃないだろうな?」 「罠じゃない。韓国からの船は、大東会のバックにいる森山大吉の森山運輸のものだ。その船は、木更津飛行場の隣の九州製鉄屑鉄|埠《ふ》|頭《とう》に接岸する。荷物はトラックに積替えられて、大東会本部ビルの地下倉庫に運ばれることになっている」 「どうして、そんな重要な話をここに持ってきた?」  安本は鋭い目を光らせた。 「俺一人だって、屑鉄埠頭を襲って、陸揚げされた大東会のハジキと実包を爆破できる。だけど、爆破してしまったんでは、あの大量の武器弾薬は使いものにならなくなってしまう」 「…………」 「俺はあの武器弾薬をあんたのところのものとさせたいんだ」 「なぜだ?」 「あんたのところが、大量の武器弾薬を手に入れて、今よりもっと強い組織となったら、当然のことながら、大東会や銀城会の力はぐんと弱まるからだ」 「なるほど。正直そうな答だな。だけど、あんたが|警察《サツ》の秘密捜査官でないという保証も、大東会を散々に痛めつけた本人だという保証もない」  安本は言った。 「なるほど、あんたの言うことにも一理がある」  新城は苦笑した。 「あんた……と、言うか……大東会を痛めつけた男の、素顔も本名も過去も、誰も知らないんだ。少なくとも、生きてる者ではな」 「じゃあ、どうするんだ?」 「こうする」  安本は机の裏のボタンを素早く押した。  次に何が起こるかを予感した新城は、|黒豹《くろひょう》のようなスピードとしなやかさで回転椅子から跳びあがった。  空中を三メーターほど後ろに跳びじさる。空中にある間に、腰のホルスターからコルト・パイソンを抜いて続けざまに二発射った。  短機関銃の銃口をあわてて新城に向けようとしていた二人の用心棒の頭が吹っ飛んだ。そして、いままで新城がいた回転椅子のあたりの床が、畳二枚ぐらいの広さにわたって地下に落ちていった。暗い穴があく。  新城はドアの横に身を寄せた。  安本は二人の用心棒の血と|脳漿《のうしょう》を上半身に浴びて、|茫《ぼう》|然《ぜん》と坐っていた。新城がその安本に三五七マグナムの銃口を向けると、我を取戻し、 「待て、射つな!」  と、もがくように両手をあげた。口から黄水が垂れ、今にも胃のなかのものをみんな吐きだしそうにしている。 「俺はフェアにやった。だけど、あんたは約束を破った。約束を破った者がどういう目にあうかは知ってるだろうな?」  新城の目がスッと細まった。 「悪かった……射たないでくれ……あんたが本物だということは、いま、この目であんたの動きを見て確信が持てた。ハジキを仕舞ってくれ」  安本は|喘《あえ》いだ。  ドアの外は大騒ぎになっていた。しかし、ドアを破って入ってくる度胸がある者は誰もいないようだ。  新城は素早くマグナム・リヴォルヴァーに補弾し、穴の横を通ってデスクの後ろに廻った。  二つの用心棒の死体の一つからシュマイザー短機関銃を奪った。もう一丁のシュマイザーから三十二連弾倉を奪って|尻《しり》ポケットに突っこみ、 「いま、あんたを殺そうと思えば、マッチの火をつけるよりも簡単だ。この短機関銃があれば、何とか血路を開いて逃げることも出来るだろう」  と、安本に言う。 「わ、分かってる」 「だけど、俺はあんたを殺さない。銀城会や大東会をやっつけるためには、俺とあんたの組が手を結ぶ必要があるからだ」  新城は言いながら、シュマイザーを点検した。 「分かった。今度こそ、男の約束を守る。あんたに|殺《や》られた、うちの連中のことは忘れる。子分どもにも、あんたに殺られた仲間のことでは恨みっこ無しだと言っておく。殺られたのは腕が悪かったからだ。いずれは、誰かに殺られる運命にあったんだ」  安本は喘いだ。     ダブル・プレイ      1 「約束だぜ。今度また約束を破ったら、あんたは確実に死体になる。あんただけでない。山野組千葉支部は、俺がくたばるまでに、ほとんどの連中が地獄に行くだろう」  コルト・パイソンの三五七マグナム・リヴォルヴァーの銃口を支部長安本に向けたまま、新城は|圧《お》し殺したような声で言った。 「分かっている。ハジキを仕舞ってくれ」  安本はゼー、ゼーと|喉《のど》を鳴らした。 「その前に、廊下の連中に、静かにするように命令するんだ」  新城は言った。  |顎《あご》をガクガクさせて|頷《うなず》いた安本は、 「おい、みんな、よく聞け! この|男《かた》は山野組の味方だ。この|男《かた》に手出しした者は、俺と組長の名において処刑する。だから、みんなハジキを仕舞って、この|男《かた》を丁重に接待してさしあげるんだ」  と、大声で叫んだ。  廊下の殺気だった騒ぎが静まった。  口径三五七マグナム・リヴォルヴァーをズボンのベルトに差しこんだ新城は、シュマイザー短機関銃を腰だめにし、 「じゃあ、あんたから先に廊下に出てもらおうか?」  と、安本に言った。 「…………」  安本は頷いた。新城の短機関銃に追いたてられ、応接室を通って廊下の手前のドアのところまで来ると、 「俺だ。射つなよ」  と、金切り声で廊下の向うの部下たちに叫んだ。  それから、ドアを開く。その背に、新城は短機関銃の銃口を突きつけている。  廊下には五十人ぐらいの山野組千葉支部の連中が|腋《わき》の下のホルスターやズボンのベルトに差した拳銃の|銃把《じゅうは》に手を掛けて、恐怖と憎悪の目を光らせていた。 「みんな、ハジキから手を放すんだ。俺が射たれてもいいのか?」  安本は|喘《あえ》いだ。 「さっきの銃声は何なんです?」  一人の男が|嗄《しわが》れた声で尋ねた。 「岡田と高木が|殺《や》られた。だけど、この|男《かた》を恨むなよ。岡田たちが殺られたのは自業自得だったんだ。俺が命令もしないのに、この|男《かた》を射とうとした」  安本は言った。  廊下の男たちは拳銃から手を放していた。安本は、 「この|男《かた》は新井さんという。これからは、うちの組の客人だ。|殺《や》られた仲間のことで、新井さんに|復讐《ふくしゅう》しようなんて気を起こすなよ。そんなことをしたら、俺が処刑する。この手でな」  と、言った。 「わ、分かりました」 「支部長に逆らう気なんて毛頭ございません」  男たちは答えた。 「若いもんはああ言ってます。だから、あんたもシュマイザーを仕舞ってもらいたい」  ようやく表情に落着きを取戻しはじめた安本が新城に言った。 「いいとも。だけど、もし俺を射とうとする奴がいたら、真っ先にあんたに死んでもらうぜ」  新城はシュマイザー短機関銃のコッキング・レヴァーを安全溝に引っかけ、その銃を左肩から|吊《つ》った。 「じゃあ、サロンに移りましょう——」  安本は新城に向けて言い、男たちに、 「幹部だけ付いてこい。あとの連中は、死体の始末や怪我人の手当てだ」  と、命じた。  サロンは同じ四階にあった。支部長室よりも大きなバーがついたそのサロンは、二十坪ぐらいの広さだ。分厚い|絨緞《じゅうたん》が敷かれ、ソファや|肘《ひじ》|掛《か》け椅子が適当に並べられている。  安本と新城と共にサロンに入ってきたのは、十五人ぐらいの幹部たちであった。安本は幹部の一人に、 「スコッチを持ってきてくれ——」  と、命じ、新城に、 「あんたもどうですか?」  と、勧める。 「いや、遠慮しとこう」  新城は断わった。  肩をすくめた安本は、運ばれてきたジョニ黒のスコッチをコップに半分ほど注ぎ、顔をしかめながら一気に飲み干した。  太い|溜《ため》|息《いき》をつくと、今度は|二《ツー》フィンガー分ほど注いで、 「さて、さっきの話を、ここにいる連中に聞かせてやってくれませんかね」  と新城に言った。  新城は大東会が韓国から大量の拳銃と実包を密輸することになっていることを話した。武器弾薬を積んだ船は九州製鉄|屑《くず》|鉄《てつ》|埠《ふ》|頭《とう》に接岸することになっていることも話した。 「その船が着くのはいつなんです?」  |蝮《まむし》のような目付きの男が尋ねた。安本があわてて、その男が千葉支部の副支部長の川田だと紹介する。 「はじめは一月十日の予定だった。だけど、俺に大東会の秋葉が拷問されて殺されたと分かったらしいんで、二月五日に変えられた。二月五日は、また、変るかも分からん」  新城は言った。 「ハジキや|実包《ペーピー》を積んだ船は森山運輸のものだ、と言われたが、それは本当ですかい?」  川田が尋ねた。 「本当なのか|嘘《うそ》なのかは分からん。俺はそう聞いただけだ」  新城は答えた。 「森山運輸の船が運んでくるのなら、森山から|尋《き》きだす、という手があるんですよ」 「そんなことをしたら、また予定日が変ってしまうぜ」 「いや、森山を絞めあげて尋きだすようなことはしねえ、奴はかなりの助平だ……かなりなんて生やさしいもんじゃねえ。色情狂のヒヒ爺いと言ってもいい。だから、女を使って情報を取るんだ」 「…………」 「俺たち山野組は芸能界にも強いことを知ってるだろう? 箱根を越えたら、俺たち山野組がウンと言わないかぎり、どんな歌手や映画スターだって実演を打てねえんだ」  川田はニヤリと笑った。 「そういうことらしいな」  新城はタバコに火をつけた。 「森山大吉は、いま人気絶頂の美人歌手の白柳リタの熱狂的なファンなんだ。何とかしてリタと寝たいために、リタの後援会の千葉支部長をやってるぐらいだ」 「…………」 「そこでだ。うちの組は、リタを飼っている新音プロとリタ自身に圧力を掛ける。森山はリタを抱くわけだ。そのかわり、森山は寝物語りで、ハジキを積んだ船の入港日をしゃべることになる」  川田は言った。 「さすがは山野組だな」 「そういうわけだ——」  安本が口をはさんだ。 「うちの組長は|衆《しゅ》|道《どう》趣味があってな。つまり、男が男に|惚《ほ》れる、というやつだ……何年か前のことだったが、新音プロに美里光一というハンサムな役者がいた。あんた覚えてるかどうか知らんが、当時は一番人気があった青春スターだった。  組長はその若造に惚れた。だけど、美里にはホモっ気はこれっぽっちもなかったもんだから、組長と寝るぐらいなら芸能界から引退したほうがましだ、とぬかしやがった。  だから俺たちは奴を引退させた。奴の金玉を抜き取ってやったんだ。今は奴は、ゲイ・バーの|傭《やと》われマダムをやってるよ。ついでに俺たちは新音プロの社長の女房の下腹を硫酸で軽く焼いてやった」 「じゃあ、新音プロが山野組の言う通りになるのは当たり前だな」  新城は吐きだすように言った。 「そうだ。当たり前だ。だけどな、俺たちがいるからこそ芸能プロは実演で荒稼ぎが出来るんだぜ。俺たちがバックにいないと、ほかの組が寄ってたかって稼ぎをみんな|捲《ま》きあげるんだからな」 「それで、リタが森山と寝たとして、どうやってリタに切りださせるんだ? リタがいきなりハジキのことを尋いたりしたら森山は警戒するにちがいない。なんぼ、リタに夢中になっててもな」  新城は言った。      2 「俺たちにはうまい考えがある。まあ、それはその時のお楽しみとしておいて、どうだ、今夜は派手に飲もうじゃねえか。女も呼ぶぜ」 「…………」 「心配するなよ。九鉄の屑鉄埠頭がよく見えるところに|小《お》|櫃《びつ》川の中洲がある。中洲というより、河口の先にある小島だ。うちの若い衆をその島に送りこんで見張りをさせる。十人交代でだ。無線機を持たせておくから、森山運輸のそれらしき船が屑鉄埠頭に近づいたら、すぐに俺たちは出動する。つまり、女と張込みの二段構えでいくというわけだ」  安本は言った。 「俺が心配してるのは、女たちに顔を覚えられることだ。大東会や銀城会の生残りで、俺の顔を知ってる奴はいない。だけど、女たちが俺のことを奴等にしゃべったら、俺は動きにくくなる」  新城は言った。 「その点なら心配ない。あんたは、仮装パーティ用の仮面をつけたらいいんだ。女たちが入ってくる前にな」 「…………」 「それとも、俺たち山野組の酒は飲めない、と言うのか?」 「分かった」 「じゃあ、付きあってくれるんだな? |勿《もち》|論《ろん》、俺たちはあんたを酔い|潰《つぶ》させて監禁しようなんて気はないから安心してくれ、ただ、俺たちのしきたりとして、客人は丁重にもてなさないことには気が済まんのだ」  安本は言った。 「じゃあ、有難く……」 「地下に宴会場がある。用意が出来たら呼びに来させる。俺はちょっと用があるが、あんたの歓迎会がはじまるまでには用を済ましておくから」  安本は立上った。三人の幹部を残し、あとの幹部たちも安本と共にサロンを出ていった。  残った三人は、いずれも新城に自己紹介した。三人とも中堅幹部だ。  三人の男は、しきりに新城の御機嫌をうかがい、なかでも、中尾という調子のいい男は、 「どうです、アペリチーフでも? どんなお飲物でも差しあげられますよ。私は若い頃はバーテンをやってましてね」  とバーのカウンターのうしろに立つ。 「シェリーでももらおうか。そのかわり、みんなも同じボトルから飲んでもらわないとな」  新城は言った。 「これはまた用心深いことで……毒なんか入ってませんよ。でも、それで御納得がいくなら、私たちも同じやつをいただかせてもらいます」  中尾は大型のシェリー・グラス四つにブッカキ氷を入れ、ティオ・ペペのシェリー・ワインをたっぷりと注いだ。自分がまず一つのグラスのシェリーを一と息に飲んでみせてから、再びそのグラスに注ぐ。  小西という男が運んできたシェリーを新城はゆっくりと飲んだ。男たちはさかんに新城に酒を勧めながら、新城——この山野組には新井という名になっている——の素性をさぐろうと巧みな質問を会話のなかに混ぜてきた。  だが、新城はそれらの質問には答えず、 「俺が大東会や銀城会を痛めつけたから、山野組は千葉で大いに勢力をのばすことが出来たんだ。だから、俺が生きてるほうが山野組にとっては利益になる、というわけだ。俺を死なせたら、組長は責任を追及するだろうな」  と、言った。  その時、二人の男がサロンに入ってきた。 「用意が出来ました。これを付けてください」  と、平井という男が紙袋から、不透明なビニールで出来た、バット・マン・マスクのようなものを取出す。  それを顔につけると、|眉《まゆ》の上から鼻の中間までのあたりが完全に隠れてしまうのだ。すでに濃い付け|髭《ひげ》とレイバン・イエローのシューティング・グラスを顔につけて変装している新城は、マスクを受取ると壁のほうに体と顔を廻した。  シューティング・グラスを外した顔を見られたくないからだ。新城は壁を向いたまま、シューティング・グラスを外し、マスクを顔に付けはじめた。  その時、壁に|映《うつ》っていた一人の男の影が素早く動いた。  新城は反射的に横に転がりながら、三五七マグナムのリヴォルヴァーを抜いていた。抜きながら撃鉄を起こす。  その三五七マグナムの銃口は、新城に向けて銃身が長いルーガー08拳銃を振り降ろそうとしていた平井の|眉《み》|間《けん》に狙いがつけられた。  大幹部だという平井は、|粗《あら》いサンド・ペーパーで手ひどくこすったような皮膚と、ブルドッグのような顔を持った男であった。  その平井は、ルーガーを振りあげたまま、化石したように動けなくなった。顔は|土《つち》|気《け》|色《いろ》になり、|腫《は》れぼったい|瞼《まぶた》の下の目は恐怖に吊りあがる。 「そんなに死にたいのか?」  銃口の向きは平井からそらさずに、新城はゆっくりと立上った。次の瞬間、まったく無駄がない動きで、肩から吊ったままであったシュマイザー短機関銃を左手で外した。その安全装置を外し、左腰に構える。 「やめろ……やめてくれ。平井さん、なんで馬鹿なことをしようとしたんだ?」  中尾が喘いだ。 「射つんなら、俺だけを射て——」  平井は|呻《うめ》き、 「俺はあんたを|殺《や》ろうなどとは思ってなかった。気絶させておいてから、ゆっくり時間をかけてあんたに本当のことをしゃべってもらおうと思っただけだ。俺のやろうとしたことは、支部長も、ましてここにいる中尾たちにも相談なしだった。俺が勝手にやろうとしたことだ。だから俺だけを射ったらいい」  と|嗄《しわが》れた声で言った。 「本当に支部長の知らないことかどうか、これから確かめてみる。楽には死なせてやらねえぜ。まず、どこに射ちこんでやろうか?」  新城の|凄《すご》|味《み》を帯びた目がスッと細められた。殺気がゆらめく。 「本当に支部長は知らねえことだ。俺が勝手にやって、しかも失敗したことを支部長は許してくれねえだろう。どうせ死ぬんだ。ここで|殺《や》られたほうが、苦しみが短くて済む」  平井は呻いた。 「よし、分かった。ハジキを仕舞え。ただし、ゆっくりとだぜ」  新城から殺気が消えた。ニヤリと笑う。 「…………?」 「仕舞うんだ。あんたが一人で責任を取ろうとする態度が気に入った。だから、あんたが何をやろうとしたかは忘れてやる。支部長にも黙っておく」  新城は言った。 「本当か?」 「ああ、約束するぜ」 「済まねえ」  平井はのろのろと拳銃をショールダー・ホルスターに仕舞った。  新城も三五七マグナム・リヴォルヴァーに撃鉄安全装置を掛けてズボンのベルトに差した。左手で腰だめにしていたシュマイザー短機関銃にも安全装置を掛けて肩に戻した。中尾たちに、 「あんたたちも、みんなに黙っててくれよ」  と、頼む。 「分かりました。こう見えても、俺たちは口がかたいんで」  中尾は答えた。  新城は再び不敵な笑いを|頬《ほお》に走らせ、 「じゃあ、宴席とやらに行ってみようか」  と、床からマスクを拾いあげて顔につける。シューティング・グラスも床から拾いあげ、革ケースに入れてポケットに仕舞った。  中尾たちと共に廊下に出る。無論、やっと顔に血の気を取戻した平井も一緒だ。  右端のエレヴェーターで地下二階に降りた。そこは、真ん中に廊下が通り、その左側には小部屋のドアが並んでいる。  右側が宴会場らしく、ドアが開かれ、そこで支部長安本が愛想笑いを浮かべて待っていた。 「歓迎会に短機関銃は|要《い》らないでしょう」  と、新城に言う。 「じゃあ、預かってもらうかな」  新城はシュマイザーから弾倉を抜き、それを安本に預けた。短機関銃は、ファイアード・フロム・オープン・ブリーチといって、いつもは薬室は|空《から》だ。遊底は後退した位置にある。  引金を絞ると遊底は前進し、弾倉上端の実包を引っかけて薬室に送りこむと同時に撃針が|薬莢《やっきょう》の|尻《しり》の雷管を叩いて発火させるのだ。  自動ライフルの場合は、普通、弾倉が空になってスライド・ストップがかからないかぎり、遊底は前進した位置にあって、完全に|閉鎖《ロッキング》している。これは自動ライフルの場合には火薬量が多いライフル用実包を使うので、遊底が完全にロッキングした位置から発射しないと、発射時の高圧ガスで銃が破壊されるのに対し、短機関銃は火薬量が少ない拳銃弾を使用するため、遊底が完全閉鎖しなくとも、発射ガスの圧力で銃がこわれるようなことはないのだ。  しかも、現代の自動ライフルは、発射ガスの圧力で遊底を回転させるのには、銃身にあけた小孔からガスを採って、ガス導入管やピストンを使って間接的にエネルギーを遊底に伝えているのに対し、ガス圧が低い短機関銃のほとんどは、薬莢が自分のなかで燃えた火薬のガス圧で弾頭を飛ばした反作用でうしろに蹴られる力で直接遊底を後退させている。火薬量が少なく、威力は小さいかわりに、短機関銃の機構は簡単でいい。したがってスポーツ用の中級の拳銃よりも安いコストで製造出来る。  短機関銃の遊底が発射の瞬間以外には後退しているのは、そのために開いた|排莢孔《はいきょうこう》から銃身のなかに空気が流れこんで空冷効果を持たせるためだ。  それに、短機関銃のほとんどは撃針が遊底の前面に固定されているから、引金を絞って遊底が前進しきったところで、必然的に撃針が薬莢の尻の雷管を叩くことになっている。  そのかわり、発射の直前に重い遊底が強いスプリングの力で前進するのだから、短機関銃は|狙《そ》|撃《げき》にはまったく向かない。遊底が前進する時、銃も動揺して、せっかくの狙いが崩れるからだ。だが、短機関銃は、はじめから狙撃精度など問題にしてない。  スプレイ・ガン、すなわちタマをバラ|撒《ま》く銃、と|仇《あだ》|名《な》されているように、連射で近距離の大勢の敵を倒すところに短機関銃の存在価値がある。      3  宴会場は高級クラブのような構えになっていた。幹部たちのほかに、バニー・スタイルだがウサギの|尻尾《しっぽ》がついていないだけの網目タイツ姿や和服姿のホステスたちも三十人ほどいる。  一番奥まった場所にソファが置かれ、幹部の一人に新城から受取ったシュマイザーを渡した安本が、そのソファに新城を案内した。  ソファの真ん中に新城は|坐《すわ》らされ、その右側が安本、左側が副支部長の川田だ。ほかのソファは、モーター仕掛けで向きを変えられるようになっていて、今は一斉に新城たちのソファを向いた。  ホステスたちは壁に沿って立った。安本は仮面をつけた新城の耳に、 「女たちは、みんな関西の店から連れてきて、この千葉で稼がせている連中ばかりだ。気に入った女がいたら、自由に寝てくれ、廊下の向かいの小部屋を使ったらいいんだ——」  と、|囁《ささや》いてから、組員たちを見廻し、大声を張りあげて、 「さっきも言ったように、この客人の新井さんとうちの組は持ちつ持たれつの仲になったわけだ。名前も覚えてもらえんようじゃうまくいかんだろう? みんな、自己紹介しろよ」  と、言う。  幹部たちの自己紹介がはじまった。みんな、得意そうに、前科何犯であるかを付け加える。殺人でくらいこんだ経歴を持つ者ほど得意そうであった。  大勢の幹部がいるので、自己紹介はなかなか終わらなかった。安本は新城に酒を勧め、自分も飲む。前のテーブルには、レストランや料亭から取寄せたらしい豪勢な料理が並べられている。  新城はスコッチの水割りを飲んだ。女たちはまだ壁ぎわに立ったままだ。  やっと幹部たちの自己紹介が終わると、安本は、 「じゃあ、乾杯といこう。これから、無礼講のパーティだ」  と、叫んだ。  ホステスたちは宴会場の左側についた本式のバーに駆け寄り、バーテンから、銀のバケツで冷やされているシャンペーンを次々に受取った。それぞれのテーブルにシャンペーンのバケツを運んでくる。  シャンペーンはドン・ペリニョンの本物らしかった。コルクの栓が次々に抜かれ、グラスに泡だつシャンペーンが注がれる。  安本の音頭で乾杯が行なわれた。新城は、 「山野組のために」  と、言って二杯目も飲んだ。  女たちは、男たちのあいだに腰を割りこませた。  新城の左右に網タイツ姿と和服姿のホステスが坐り、新城に抱きつく。  それから約三時間後、女たちもかなり酔っぱらってきた。和服を脱ぎ捨て、腰巻き一つになって踊りだす女もいたし、まったくのヌードになって男たちを挑発する女もいる。  新城の左右の女は、この宴会場にいるホステスたちのうちで、顔もスタイルも抜群であった。  右側の網タイツの女が玲子といって、のびやかな肢体と栗色の髪を持つ十八、九の混血だ。  左側の和服姿は、抱きしめたら折れそうに繊細な体と京風の顔だちを持つ志乃だ。  新城はかなりのスコッチを飲んではいたが、神経が|研《と》ぎすまされているせいもあって酔ってなかった。  だが、わざと酔ってきた振りをし、右手は玲子の網タイツを引き破って花弁をさぐり、左手は八つ口から差しこんで志乃の乳房を|掴《つか》む。  安本たちを安心させるためだ。安本たちは何か|罠《わな》を仕掛けているかも知れないから、その罠はなるべく早く|噛《か》み破っておいたほうがいい。 「どうだ、その二人は? 小部屋は空いてるぜ」  安本が|呂《ろ》|律《れつ》の廻らぬ声で新城に言ったが、安本のほうも酔っ払った振りをしているらしいことを新城は感じていた。 「じゃあ、御好意に甘えて、味見させてもらいましょうか」  新城はだらしない笑いを浮かべてみせた。 「そうか、そうか。さっそく案内させよう」  安本も笑い、指を鳴らしてバーテンの一人を呼んだ。やってきたバーテンの耳に|囁《ささや》く。  そのバーテンはカウンターの奥から鍵を取ってきた。それを新城に渡し、 「では……」  と、愛想笑いを浮かべる。  両手で玲子と志乃の肩を抱いて新城は立上った。わざと、よろけて見せる。安本が幹部たちに、 「客分は今夜ここにお泊まりだ」  と叫ぶ。  女たちを抱えた幹部たちは、新城を冷やかしながらグラスを差しあげた。  バーテンは、二人の女を引き寄せた新城を、小部屋のうちで一番奥の部屋に案内した。  その部屋は、小部屋とはいっても、和室に直すと十二畳ぐらいの広さがある。小さなシャワー・ルームもついている。  ベッドは大きなダブルであった。TVセットや冷蔵庫も置かれている。新城は二人の女とその部屋に入ると、内側からドアに鍵を掛けた。  その鍵をポケットに仕舞う振りをして床に落とし、ベッドの下に|蹴《け》りこんだ。服を脱ぎはじめると、玲子と志乃は、争って手伝う。  新城は口径三五七マグナムの拳銃と、あとの二丁の拳銃を大きな枕の下に突っこんだ。仮面だけはつけて、体は素っ裸になった新城がベッドに仰向けになると、二人の女はシャワーから熱い湯を出して金ダライに受け、タオルにその湯を含ませて新城の体を|拭《ぬぐ》った。  玲子のほうが志乃より先にヌードになった。下の毛も栗色だ。花弁は黒ずんでない。乳房は上に|反《そ》りあがっている。  玲子は身を伏せると、そっと新城の男根をくわえた。志乃は、 「恥ずかしいわ」  と、京都弁のイントネーションで|呟《つぶや》き、天井の電灯を消して、ベッドの|脇《わき》のスタンドの淡いピンクの灯をつける。  一方、玲子のほうは、はじめはそっと新城に唇をつけたが、新城が男としての反応を示してくると、夢中になってしゃぶりはじめた。  もともと好色な体質らしく、新城が足の指で花弁をさぐってみると、蜜の|洪《こう》|水《ずい》だ。新城は足の指で、玲子の|勃《ぼっ》|起《き》した花芯を|愛《あい》|撫《ぶ》してやる。  呻き声まで洩らした玲子は、ますます夢中になって新城を頬ばるが、そのテクニックはラテン系の女のようにはいかない。  玲子の血の半分はアングロ・サクソン系らしい。  その玲子を見て目を吊りあげた志乃が、シューシューと音をたてて帯を解きはじめた。新城は両手を使って玲子の乳首をソフト・タッチで|弄《もてあそ》んでやりながら、志乃を横目で見る。  やがて素っ裸になった志乃は、静脈が透けて見えるほど白く薄い皮膚を持っていた。だが、細っそりとしてはいても、要所要所は充分に張りだしている。乳房は、玲子とちがって|紡《ぼう》|錘《すい》|形《けい》であった。  志乃もベッドに登ってきた。玲子を押しのけようとする。 「何しやはるの!」  玲子は志乃を突き落とそうとした。 「殿方をねぶらせていただく時はこうするもんよ」  志乃は素早く新城をくわえた。  志乃のテクニックは、ローマやパリの女に劣らなかった。縦から横から、絶妙に舌と唇と歯茎を使い、両手はポールやアナルを巧みに刺激する。  新城のものは灼熱した鉄柱のようになった。志乃も新城が足の指で触れてみると大洪水だ。  玲子が毛深い新城の|腿《もも》に自分の花芯を当てて、激しく体を動かしはじめた。志乃は、もう目に|霞《かすみ》がかかっている。  新城は志乃を下に組み敷いて貫いた。  あまりにも激しいものが侵入してきたので、志乃は一瞬逃げかけたが、次の瞬間には、自分から激しく腰を突きあげてくる。  抱きしめてみると、志乃の腰のくびれは、新城がそのまま腕組み出来るほど細かった。そして熱く|濡《ぬ》れた志乃の内部は、狭くて無数の|襞《ひだ》がある上に、カズノコのような感触がある。  このところ女に触れてない新城は、一ラウンドは長く|保《も》ちそうになかった。その新城に横から身を寄せた玲子が、|腿《もも》に花芯をこすりつけながら、志乃におさまりきれぬ新城の根元を掌で包む。     |罠《わな》      1 「ええわあ……たまらんわ……でも、仮面が邪魔やわ。顔に当たって痛いわ。|外《はず》してくれはる?」  |喘《あえ》ぎつつ腰を突きあげながらも、志乃が新城に哀願するように言った。  新城の横で、毛深い新城の|腿《もも》に花芯をこすりつけて|呻《うめ》きながら、志乃におさまりきれぬ新城のものの根元を|掌《て》で包んで絞めつけている玲子も、 「お願いよ……顔を見せて……お願いやわ」  と、熱い息と共に言う。  志乃のメカニズムが素晴しいところにもってきて、玲子にも根元を絞められているので、しばらく女に触れてなかった新城は、珍しく我を忘れた。無言で仮面を外し、床に捨てる。もっとも、付け|髭《ひげ》までは外さないが。  その新城の下の志乃が、焦点がうまく合わなくなっている目を開いた。玲子が新城の顔を見て、 「やっぱり、思った通り男らしいお顔やわ……ああ、もうたまらへんわ」  と、激しく腰をヴァイヴレートさせて、熱いものを新城の|腿《もも》に浴びせる。  志乃はすぐに|瞼《まぶた》を閉じた。新城の背中に|爪《つめ》をたてて激しくむさぼる。その志乃もやがて死にそうな声をあげて熱い蜜を噴射した。  そこで新城は耐えきれなくなった。思いきり注ぎこむ。  だが、玲子が根元をしっかりと握りしめているので、スペルマは抵抗に会った。そのために、新城の快感のピークは実に五分以上にわたって続く。さすがの新城も、長く続いた快感がゆっくりと去っていくと共に、志乃の髪に顔を埋めてぐったりとなる。その間も、志乃の蜜壷は、それ自体が独立した生きもののように収縮をくり返していた。  しばらくして、玲子が志乃から外れて仰向けになった新城の下腹を熱い湯にひたしたタオルで|拭《ぬぐ》う。  シャワーを浴びてきた志乃が、|萎《な》えた新城のものをねぶる。玲子が新城の体じゅうを舌と唇で愛撫する。  新城は再び隆々としてきた。  玲子が志乃をおしのけるようにし、 「今度はうちの番やわ」  と、仰向けになったままの新城に、|眉《み》|間《けん》に|立《たて》|皺《じわ》を寄せ、口を半開きにして体を沈めていく。乱れた栗色の髪のまわりが、電灯の光で金色に輝いていく。  新城の凶器のあまりのたくましさに、何度か歯をくいしばって腰を引いた玲子も、やっと収まった。その横では志乃が舌と唇で新城の体をくすぐる。  玲子が両手をベッドにつき、上体を|反《そ》らし上向きに|尖《とが》った乳房を突きだして激しくグラインドさせる。  新城はその乳房を両手で|掴《つか》んだ。志乃が新城の右腕の下から顔を突っこんで新城の乳首をくわえる。  玲子のメカニズムは志乃のように万人に一人というものには及ばなかったが、アングロ・サクソンの血が半分混じった美しい顔を|歪《ゆが》め、素晴しい体の線を震わせて昇りつめようとしているのを見ているだけでも新城は昂奮が高まってきた。  まして、志乃の巧みな|愛《あい》|撫《ぶ》が加わるから、新城はまったく警戒心を忘れ、ただの一匹の牡になっていた。  半時間後、左腕で玲子、右腕で志乃を引きつけた新城は、引金を絞った。今度も快感は長く続く。  しばらくして、新城に右腕を廻されて胸に引き寄せられていた志乃が、 「苦しいわ……お|水《ひや》飲ませていただくわ」  と、新城からすり抜ける。玲子はまだ新城とつながったまま新城の左上半身に体を預けるようにして動けない。  少したってから、再びシャワーを軽く浴びたらしい志乃がベッドのそばに戻ってきた。右手に、大きなグラスを持っている。 「冷とうて、おいしいのよ」  志乃は水が入っているらしいグラスを新城に差しだした。  上半身だけ横にねじってそのグラスを受取った新城は、今は冷静になっていたから、グラスの中身の|匂《にお》いをよく|嗅《か》いでみた。  異臭はしない。電灯の光にすかしてみても、不純物は見当たらない。  新城は冷たい水を|喉《のど》を鳴らして飲んだ。アルコールが体内にあるせいもあってうまい。空になったグラスを志乃に戻し、 「もう一杯……」  と、言う。  志乃は二杯目をくんできた。新城はそれも飲む。玲子から体を外してタバコに火をつけた。  だが、三回ほど煙を吸いこんだとき、指先に異様な|痺《しび》れがきた。新城の指からタバコがポロッとシーツに落ちる。  新城はそれを拾おうとしたが、全身から力が抜けていくのを覚えた。女たちに声を掛けようとしたが、舌がもつれて言葉にならない。 「畜生……|薬《ヤク》を飲ましやがったな」  と、罵声を出そうとしても、もう声は出なかった。  志乃も、ベッドから素早く滑り降りて志乃の横に立った玲子も、今まで新城が見たことのない表情をしていた。  新城は目さえもかすんできた。目はかすみ、全身は痺れながらも、必死に枕の下に突っこんである拳銃に手をのばした。体が転がる。  やっと三五七マグナムのリヴォルヴァーに手が触れた。だが、|銃把《じゅうは》を握る力さえもない。  二人の女が枕に跳びかかって押えた。新城の目の前が薄暗くなり、真っ暗に変ると共に意識が|途《と》|切《ぎ》れる……。  猛烈な喉の渇きで、新城は夢とも|現実《うつつ》ともつかぬ境地をさまよっていた。  水洗トイレまで|這《は》っていって、便器に|溜《たま》った水まで飲もうとする夢を見る。それが夢だと自分で分かり、何とか目を開いて洗面所に行こうとするのだが目が開かない。  次には猟で歩き疲れ、渓流の水を飲もうと腹ばいになる。だが、水まではどうしても口がとどかない。  まだ夢だった、と新城はもがきながら体を起こそうとした。だが、体は依然として動かない。  その時、全身に水をぶっかけられたらしく、新城の筋肉が収縮した。反射的に新城は跳ね起きようとした。  だが、少しだけ体を起こしたところで新城は引き戻された感じになった。焦点はまだ定まらないが、ぼんやりと目が見えてくる。  再び水がぶっかけられた。  新城は顔にかかった水を夢中で|舐《な》めた。|喉《のど》の渇きはますますつのってくる。それと共に目がはっきり見えてきた。ドリルを脳に刺しこまれているような激しい頭痛がする。  新城の目には、まず天井が写った。防音ボードが張られ、まぶしいアーク灯がついた天井だ。  顔を左右に回すと、自分が|岩乗《がんじょう》な板張りのベッドのようなものに仰向けに寝かされていることを知った。素っ裸で大の字形であった。  そのベッドの四隅の鉄パイプの柱に、新城は両の手首と足首を鎖で縛られていた。そして、三人の男が新城の横に立って|覗《のぞ》きおろしていた。  一人は山野組千葉支部長の安本、もう一人は副支部長の川田であった。さらにもう一人の男は、中堅幹部の中尾だ。  中尾は壁の蛇口からつながれたホースを手にしていた。これまでは新城に愛想のいい顔を向けていたのに、今はサディスティックな笑いを浮かべている。 「水をくれ」  新城は呻いた。付け|髭《ひげ》ははがされていた。 「済まんな——」  安本が言い、 「これで俺は二度も約束を破ったことになる。だが、悪く思わんでくれよ。俺たちは、何もあんたを痛めつける気はないんだ。だけどな、あんたの正体が分からんことには、|危《ヤバ》くて一緒に仕事をやる気にはなれん。俺は要心深いんだ。だからこそ、生きのびて来られた、というわけだ」  と、肩をすくめる。 「水をくれ……喉が焼けそうだ」  新城は|呻《うめ》いた。 「ああ、いくらでも飲ましてやるとも。そのかわり、あんたに本当のことをしゃべってもらいたいんだ」  安本は言った。      2 「俺が|警察《サツ》のスパイだとでも思ってるのか」  新城は|唸《うな》った。 「そうでないという証拠は無い」  副支部長の川田が言った。 「警察の者が、銀城会や大東会の連中を、あんなに大勢ブッ殺せると思うか?」 「さあな……確かに大東会は政府と密着している。だから、警察の犬が大東会を|殺《や》るなんて、とんでもない話だと言いたいんだろう?」 「ああ」 「だけどな、大の虫を生かして小の虫を殺せ、という|諺《ことわざ》もある。あんたがうちの組にもぐりこみ、俺たちの信用を得てから、うちの組を内部崩壊さすためには、大東会や銀城会の連中をブッ殺すのはやむをえなかったかも知れん」  安本が言った。 「あんたはインテリだ。だけど、あまりにも考えすぎだ」  新城は言った。 「そうかも知れん。あんたが警察の犬で、うちの組にもぐりこむだけのために、第四海堡であれだけの大東会の大虐殺をやったのでは、大東会の犠牲は大きすぎるからな」 「じゃあ、俺は誰だと言うんだ?」 「分からんから、|尋《き》いているわけだ。さあ、しゃべってくれ」 「水をくれ」 「しゃべってくれたら、いくらでもやる、と言ってるだろう?」  安本は言った。  中尾が水道の蛇口を軽くゆるめ、ホースの先から、チョロチョロと水を垂らす。  そのホースの先を新城の顔に近づけた。首を思いきりのばした新城は舌を突きだして水を受けようとする。  しかし、残忍な笑いを浮かべた中尾は、ホースの先を新城の顔から遠ざけた。 「水が欲しかったらしゃべるんだな」  と、言う。 「俺は|一匹狼《いっぴきおおかみ》だ。警察の者でも、大東会の回し者でもない」  新城は言った。 「本名を教えてもらおう」  安本が言った。 「分かった。俺は新城という……新城彰だ」  新城は答えた。名前を教えたところで、それほどには自分にとって不利益にならないだろう。 「新城か……どこに住んでいる」  川田が尋ねた。 「第四海堡に住んでいた。今は、住所不定というところだ。次々に車を盗み替えて、そのなかで寝ている」  新城は答えた。 「本当のことをしゃべるのだ。痛い目に会いたくなかったらな」  ホースをコンクリートの床に放りだした中尾が、尻ポケットからピックのディアー・スレイヤーのナイフを取出した。  その|折畳み式《フォールディング》のナイフの刃を起こす。十センチほどの長さの刃はしっかりとロックされた。  中尾はそのナイフの刃を新城の腹に近づけた。|臍《へそ》の近くに浅く突きたてる。刃は皮を破って、新城の脂肪層に達した。  新城はかすかに身をよじった。中尾でなく安本を刺すような目付きで見つめ、 「これが、山野組の客人に対する扱いかたですかい?」  と、言う。 「済まんな。だけど、あんたの正体が分からんことには……」  安本は視線をそらした。 「さあ、しゃべるんだ。そうでないと、ハラワタをえぐりだしてやるぜ」  中尾はさらにナイフをくいこませた。 「俺は九鉄に漁師として生きる手段を奪われ、土地を銀城会に奪われて自殺した新城健二の息子だ。オフクロと二人の妹を、オヤジが自殺の道連れにした。俺は、千葉から海を奪った連中に復讐しているんだ」  新城は答えた。 「分かった。中尾、ナイフを仕舞え。新城君の写真は|撮《と》ってあるから、すぐに調べはつく。あんたの実家があったのは」  安本が言った。 「君津浜だ」 「よし、分かった。あんたが言ったことが本当だと分かったら、十分につぐないはする。|嘘《うそ》だと分かったら、死んでもらうことになるが……中尾、何をしている。早くナイフを仕舞って、水を飲ませてやるんだ」  安本は言った。  中尾は残念そうに新城の腹からナイフを抜いた。ロック・レヴァーを押して刃を畳み、ポケットに仕舞うと、ホースの先端の水を新城の口に当てた。  新城は、ときどき|咳《せ》きこみながら、水をガブ飲みした。腹一杯になったので、口をつぐんで顔をそむけると、ニヤニヤ笑いながら中尾は、さらに飲まそうとする。安本に制止されて、やっとホースを床に投げだし、水道の蛇口のコックを止めた。  中尾を残し、安本と川田は部屋を出ていった。重い鋼鉄製のドアだ。  中尾は再びナイフをポケットから取出し、刃を起こした。 「貴様を痛めつけたくて、俺はウズウズしてるんだ。さあ、どこから切り刻んでやろうか、好きなところを言えよ」  と、血に飢えた表情で言う。 「支部長があんたの勝手を許すかな?」  新城は言った。 「貴様が襲ってきたからやった、と言うさ」 「どうやって俺が襲うことが出来るんだ?」  新城は唇を歪めた。 「いま、貴様の右手の鎖を外してやる。貴様が馬鹿力を出して、自分で外した、ということになるんだ」  中尾はニヤニヤ笑いながら、新城に近づいた。  新城の右手首を縛っている鎖のフックを外した。素早くさがろうとする。  しかし中尾は、新城の筋肉のバネのスピードを計算に入れてなかった。新城の右手刀が、目にもとまらぬ早さで中尾の首筋に叩きこまれる。  ナイフを握ったまま中尾は吹っ飛ばされた。横倒しにコンクリートの床に転がり、頭を床にぶっつけて動かなくなる。  新城は左手首と左右の足首の鎖を外して床に降りた。  倒れた中尾は鼻から血を流している。新城は中尾を素っ裸にし、その下着で濡れた自分の体を|拭《ぬぐ》うと、体に直接、ズボンと上着をつけた。  窮屈だが、何とかなった。ピックのナイフの刃を畳んでポケットに仕舞ったついでに、ポケットの中身を調べてみる。  タバコやライターや札入れのほかに、新城のものであったコルト・パイソンの口径三五七マグナム・リヴォルヴァーが中尾の尻ポケットから突きだしていた。  ほかのポケットには四十数発の三五七マグナム実包が残った弾薬サックがあった。  新城は拳銃と弾薬サックも奪い、拳銃のシリンダー弾倉を開いてみる。六個の薬室にみんな|装《そう》|填《てん》されていた。  新城は念のために六発の実包を抜いて点検してみた。どれも偽装弾ではなく実包のようだ。使える。  新城は六発の実包を薬室に戻した。弾倉を閉じる。撃鉄安全を掛け、奪ったタバコにデュポンのライターの火を移した。  深く煙を吸いこむ。頭痛は去らぬが、ちょっとはましな気分になってきた。新城は短くなったタバコを、火口から先に中尾の耳の|孔《あな》に差しこんだ。  嫌な臭いがした。ちょっとの間を置いてから、意識を回復した中尾が、悲鳴をあげようと口を開いた。  新城はその口に三五七マグナムの銃身を突っこんだ。悲鳴を|圧《お》し殺された中尾は、白目を|剥《む》いて震えはじめる。すでに失禁していた。 「悲鳴をあげてみろ。貴様の頭は吹っ飛ぶからな」  新城は冷たく笑った。 「た、頼む……悪かった……」  拳銃をくわえた中尾の口の|隙《すき》|間《ま》から、血とアブクと共に、哀れっぽい声が|漏《も》れた。 「なぶり殺しにされる覚悟は出来てるんだろうな?」  新城は言った。 「やめてくれ……悪かった……ただ、ちょっと脅してみただけだったんだ。勘弁してくれ」  中尾の震えは|痙《けい》|攣《れん》に近くなった。 「俺は脅しはやらん。殺すと決めたら殺すだけだ」  新城は吐きだすように言った。 「こ、この通りだ……助けてくれたら、あんたの奴隷にでもなる」 「貴様のような奴を見てるだけで吐き気がしてくる」  新城は中尾の口から拳銃を抜いた。汚れた銃身を、震え続けている中尾のアンダー・シャツで拭った。  さっきまで縛りつけられていた木製のベッドのようなものに腰を降ろす。中尾はコンクリートの床に土下座して、まだ命乞いをしている。 「俺は|警察《サツ》の犬でもないし大東会の回し者でもない。それだのに、一体、俺を何だと思ってるんだ」  新城は言った。 「お、俺はあんたを痛めつける気が無かった……ただ、命令だったもんで……」 「くどい。それより、俺の質問に答えろ」  新城は三五七マグナム・リヴォルヴァーの撃鉄を起こした。  中尾は悲鳴をほとばしらせようとし、あわてて右手の|拳《こぶし》を口に突っこんで悲鳴を押えた。やっと|脱《だっ》|糞《ぷん》が終わると、 「分からねえ、あんまりあんたの正体が分からんので、うちの組は警戒してるんだ」  と、|喘《あえ》ぐ。      3  それから二時間ほどがたった。  ドアがノックされた。新城は中尾に三五七マグナムの銃口を向けた。目で、ドアを開けるようにと合図する。  もう射たれる心配は無いと思っていたか、かなり落着きを取戻していた中尾も、再び新城に銃口を向けられると、ピクンと体を震わせて立上った。 「い、いま開ける」  と、ドアに向かう。新城はそのあとを追った。  中尾はドアを開いた。中尾のために用意したらしい食事の盆を持ったチンピラが、部屋のなかの様子を見て|茫《ぼう》|然《ぜん》と立ちすくむ。危く盆を落としそうになった。 「入れ。|大人《おとな》しくしてたら射たぬ」  新城は言った。  チンピラは夢遊病者のような足どりで部屋のなかに入ってきた。新城が中尾の背中を銃口で小突くと、中尾はあわててドアを閉じた。  新城はチンピラに盆をベッドのようなものの上に置かせ、 「名前は?」  と、尋ねる。 「野田……野田です」  チンピラは喘いだ。 「そうか、床に四つん|這《ば》いになってもらおう」  新城は言った。 「ど、どうする気だ?」  野田は失神寸前の表情で言った。 「あんたの武器を預かるだけだ。逆らわなかったら、射ちはしないよ」  新城は言った。 「ほ、本当か?」 「早くしろ」  新城は鋭い声になった。  野田は四つん這いになった。新城はその頭を殴って意識を失わせる。  野田はチンピラらしく、安物の飛び出しナイフと、これも安物のハーリントン・アンド・リチャードソンの二十二口径リヴォルヴァーを身につけていた。  その拳銃は、銃腔の溝は完全にすりへっている。  新城はそいつの弾倉から実包を抜くと、コンクリートの床に思いきり叩きつけた。拳銃は簡単に壊れた。  新城は盆に乗っているものを見た。氷を浮かした大カップのオレンジ・ジュースと水、ポテト・チップスに囲まれたベーコン・エッグス、ジャムとバターをはさんだ三枚重ねのサンドウィッチ、それにマグ・カップのコーヒーだ。 「毒見してみろ」  新城は氷水が入ったグラスから中身を捨て、それにジュースを三分の一ほど入れて中尾に差しだした。 「口のなかが痛くて……」  と、言いながらも中尾はそれを飲んだ。  新城は二本目のタバコをふかしながら中尾を観察していたが、毒にやられた様子は無いようだ。  新城は中尾に壁に手をつかせて立たせておき、左手を喉に突っこんで、腹のなかでダブダブしている水を吐いた。  ホースの水で口をすすいでから、盆に乗っているものを食っていった。頭痛はかなり鎮まっている。  食事の途中で野田が意識を取戻した。ドアに向けて走ろうとするが、新城の眼光と銃口に|射《い》すくめられて坐りこむ。 「支部長たちは何をやってるんだ?」  サンドウィッチでベーコン・エッグスの溶けた卵の黄身をしゃくって口に運びながら新城は尋ねた。 「み、みんなで君津浜に行ってます。あ、あんたの顔写真を持って……」  野田は答えた。  新城はコーヒーも飲み終え、三本目のタバコに火をつけた。その時、廊下に数人の足音が近づく。 「二人とも、俺の前に並べ。|楯《たて》になってもらう」  新城は中尾と野田に命じた。  二人は|膝《ひざ》をガクガクさせながら命令通りに動いた。新城は二人を楯にしてドアに近づく。  中尾にドアを開かせた。  廊下には、安本と川田、それに平井がいた。中尾と野田のあいだから新城が三五七マグナムの拳銃を突きだしているのを見て、安本たちはもがくように両手を|挙《あ》げ、 「射つな!」 「早まるな!」  と、口々に叫ぶ。 「三人とも、なかに入ってもらおう。両手は首のうしろで組むんだ」  新城は命じた。 「話がある。誤解は解けたんだ」  安本が|唸《うな》った。 「いいから入れ」  新城は命じた。  安本たちは命令にしたがった。新城は野田にドアを閉じさせた。 「あんたが、猟銃自殺した新城健二という漁師の息子だということははっきりした。だから、あんな目にあわせた俺たちを許してくれ。頼む」  安本が頭をさげた。 「あんたが俺のような目にあわされた時、許してくれと言われて、あっさり許すか?」  新城は言った。 「申しわけない。これからは、あんたは俺の兄貴分として扱わせてもらう。金が欲しいなら、組の予算がゆるすかぎり、出来るだけのことはする」 「俺の目的は|復讐《ふくしゅう》だ。金じゃない」 「分かってる、分かってる。この通りだ。土下座させてくれ。指をつめてもいい」  安本は言った。 「よし、分かった。さっきのことは忘れてやる。俺たちの共通の敵は、大東会や、その背後にいる沖一派だということを確認してくれたらいいんだ」 「分かってくれたか……有難う……ところで、どうやって鎖を外したんだ」  安本が言った。 「中尾が外してくれたんだ」 「…………?」 「奴は俺をなぶり殺しにしようとした。身動き出来ない俺をなぶり殺しにしたんではあんたに叱られる、というわけで、俺の右手の鎖を解いた。それからは俺のペースだった」  新城は言った。  中尾がわめき声をたてながらドアを開こうとした。そのとき、平井が素早く動き、中尾に足払いを掛けて床に尻餠をつかせた。 「助けてくれ……助けて……」  中尾は泣きわめきながらドアのほうに這おうとした。平井がその|襟《えり》を|掴《つか》んで部屋の奥に投げとばす。 「中尾、本当か?」  両手を首のうしろに組んだまま、安本が|凄《すご》|味《み》が利いた声を出した。 「う、嘘だ!」  中尾はわめいた。 「そうか? 新城さんだって人間だ。鎖を自分の力で|捩《ね》じ切れるわけはない」  川田が陰気な声で言った。 「助けてくれ……魔がさしたんだ……」 「そうかな? 前から、お前はちょいとばかりおかしかった。だから、わざとお前だけをここに残しておいたんだ。つまり、ここに足止めをくらわせてたんだ」 「畜生……」 「貴様は新城さんを殺そうとした。はじめっからの計画だったんだろう? 俺たちは、新城さんの正体が分かるまでは、おかしな真似をするなと、貴様に警告しておいた筈だ」  安本が言った。 「な、何のことをおっしゃってるのか分からん。さっぱり分からん」  中尾は|喘《あえ》いだ。 「つまり、貴様は大東会のスパイなんだ」 「嘘だ!」 「新城さんを片付けたら、大東会からいくらもらえることになっていた?」 「|出《で》|鱈《たら》|目《め》だ!」 「新城さん——」  安本が新城に視線を向け、 「両手を降ろしてもいいかな? あんたのハジキが早いことは充分に知っている。俺たちはあんたと射ちあう気は毛頭ない」  と、言う。 「ご自由に」 「有難う——」  両手を降ろした安本は、中尾に近づいていった。 「助けてくれ!」  中尾は泣きわめいた。 「こいつを縛るんだ。両手両足を鎖でな」  安本が言った。  やがて必死に暴れる中尾は、先ほどまで新城がされていたように、ベッドのようなものの上に、仰向けに大の字に寝かされ、両手首と両足首を鎖で縛られた。 「これを貸してやってもいいぜ」  新城は川田にピック・ディアー・スレイヤーのフォールディング・ナイフを投げた。それを受けとめた川田は主刃を起こして中尾のパンツを切裂いた。縮みあがった男根が|剥《む》きだしになると、中尾は絶叫をあげた。  川田は主刃を畳み、骨切り用のノコギリ刃を起こした。その刃で、中尾の男根を|挽《ひ》き切りはじめる。 「やめてくれ! しゃべる。しゃべるからやめてくれ!」  絶叫を混じえてわめいた中尾は気絶した。     |覗《のぞ》 く      1 「奴の目を覚まさせるんだ」  山野組千葉支部長の安本は、幹部の平井に命じた。  副支部長の川田が、気絶した中尾から離れる。平井は水道の蛇口をひねり、ホースから噴出する水を中尾の体にぶっかけた、川田が、血と肉片で汚れたフォールディング・ナイフのノコギリ刃をその水で洗う。  しばらくして、中尾は意識を回復した。平井は、悲鳴をあげる中尾の口にホースを差しこんだ。両手両足を鎖で縛られている中尾は、必死に顔をそむけたが、容赦なくそそぎこまれる水で窒息しそうになる。  全身を|痙《けい》|攣《れん》させて|苦《く》|悶《もん》する中尾を冷たく眺めていた安本が、平井に合図した。  平井はホースを中尾の口から外した。水道の蛇口を閉じる。中尾は激しく|咳《せ》きこみながら、|鯨《くじら》の潮吹きのように水を吐いた。 「さあ、しゃべってもらおう」  安本が言った。 「俺は大東会のスパイだ。認める。だけど、俺は大東会には、たいして役にたたぬ情報しか売らなかった」  中尾は|喘《あえ》いだ。 「調子のいいことを言うな。貴様、どうして大東会のスパイになったんだ?」 「大東会の関係者だと、どんなことをやっても死刑にならない。大東会は、首相と持ちつ持たれつの仲だからだ。勿論、|金《かね》の魅力もあった……助けてくれ。本当に、重要な情報は何も|漏《も》らしてない」  中尾は涙をこぼした。 「新城さんのことも漏らしてない、と言う気か?」  安本は吐きだすように言った。 「言ってない」 「よし、川田。もう一回、痛い目に会わせてやれ」  安本は言った。 「分かりました」  川田はフォールディング・ナイフのノコギリ刃を、血まみれになった中尾の男根に近づけた。  中尾は絶叫をあげた。 「しゃべる、やめてくれ!」 「じゃあ、早くしゃべるんだ」 「新井と名乗る流れ者がうちの組にやってきたことだけは大東会に教えた。その男が、大東会千葉支部を目茶苦茶にした男だということも……」 「この新城さんの偽名だな。だけど、貴様が大東会にしゃべったのは、そんなことだけじゃないだろう? この新城さんが、大東会が拳銃と実包を大量に密輸するという話を持ってきたことも報告したんだろう?」 「ちがう!」 「新井という名の本名は、新城さんで、大東会や銀城会に対する復讐の鬼になっていることも教えたな?」  安本は言った。 「言ってない。本当だ!」 「よし、汚らしいこいつのチンポを|挽《ひ》き切ってしまえ」  安本は川田に命じた。 「やめてくれ……大東会に教える間が無かったんだ!」 「新城さんが、大東会の拳銃と実包の話を持ってきてくれたことも、大東会に教える時間が無かった、と言うのか? おかしいじゃねえか? だって、そうだろう? 新城さんがうちの組に来てくれたことを大東会に通報した時、例の密輸のこともしゃべれた筈だ」  安本はねばっこい口調で言った。 「…………」 「どうなんだ?」  川田は再びナイフのノコギリ刃で中尾の男根を|挽《ひ》きはじめた。 「しゃ、しゃべる!……大東会から高い金をふんだくろうと思ったからだ。情報を安売りしたくなかった。だから、まだあの話は大東会に教えてない!」  悲鳴を混じえながら中尾は叫んだ。 「どうして、俺を殺そうとした? 大東会の命令か?」  新城が口をはさんだ。  その時、中尾の男根が挽き切られた。転がる。切り口から血を噴出させながら、中尾は聞く者の身の毛がよだつような絶叫をあげた。血と泡を吹く口から、 「畜生、よくも俺を|不具《かたわ》にしてくれたな! こうなったら、何でもしゃべってやる。そうだ、確かに俺は新城の野郎を消そうとした。新城を消したら、大東会新宿支部長の|椅《い》|子《す》をもらうことになっていたんだ。山野組が何だ! 大東会には政府がついてるんだ」  と、わめき声をたて、気が狂った者の笑い声をたてる。 「時の権力は次々に変るさ、俺たち山野組は、保守党の反沖、反富田、反江藤のボスの丸山幹事長と手を結んだ。次の首相になるのは丸山だ。丸山が首相になったら、大東会はどうなると思う?」  安本は|嘲《あざ》|笑《わら》った。 「殺せ! 早くひと思いに殺しやがれ! 地獄でも、貴様たちを|呪《のろ》い続けてやるからな」  中尾はわめいた。 「まだ、貴様に死んでもらうわけにはいかねえんだ。さあ、ひと思いにしゃべってくれよ。大東会の拳銃と実包の密輸の話を新城さんが持ってきてくれたことを、大東会に本当に教えてないのか」  川田が|猫《ねこ》|撫《な》で声をたてた。 「うるせえ!」  |怒《ど》|鳴《な》った中尾はガッと舌を|噛《か》んだ。  あわてた川田が、ナイフをベッド状のものの上に放り出し、中尾の口をこじあけようとした。電光のようなスピードで動いた新城も中尾の|顎《あご》の|蝶番《ちょうつがい》を両手で強く押えた。  中尾の口は開かれた。しかし、その舌はすでに|噛《か》み千切られていた。千切れた舌を|頬《ほお》の横に落とした中尾は、口から血をあふれさせながら、全身を|痙《けい》|攣《れん》させる。 「畜生、油断した。済まねえ、支部長」  川田が|呻《うめ》いた。 「いや、誰が悪いというわけでない。奴のように腐った奴にでも、自殺するだけの|空《から》|勇《ゆう》|気《き》があったとはな」  安本は肩をすくめた。  新城はナイフを拾った。水道の水でよく洗う。ノコギリ刃を畳んでポケットに仕舞う。中尾の断末魔の痙攣は弱まっていた。見開かれた|瞳《ひとみ》に膜がかかってくる。 「どう思います。中尾の話を? 情報代を|吊《つ》りあげるために、例の拳銃密輸の話が新城さんからあったことを大東会には知らせてない、と言うのは?」  川田が安本に言った。 「今のところ、どっちとも言えんな。だけど、俺たちが大東会を|罠《わな》に掛ける積りで、反対に大東会の罠にはまりこまないように、慎重に行動せねばならん。このことだけは、はっきり言える。まあ、大東会の大幹部を一人捕まえてきて吐かせたら、中尾の話が本当か嘘かははっきりすると思うが、そうすると大東会はますます警戒を深めるからまずい」  安本は言った。      2  中尾の死体は、ミキサー・トラックで粉々にされた上にセメントを混ぜられて、山野組の下部組織がやっている土建業者が造成している埋立地の底に埋められた。  そして新城は、弁天町にある山野組千葉支部長安本の自宅に一室を与えられた。  高台にある安本の自宅は、三千坪以上の敷地を持っていた。周囲は、高さ五メーターのコンクリート塀だ。塀の上は高圧電流が通じた有刺鉄線が張られている。  建物は地下三階、地上二階で、その地下には山野組千葉支部の戦闘部隊員のうち三十人ほどが住込んでいた。  庭にはテニス・コートや弓道場や鉄棒などがついていて、戦闘員たちが運動出来るようになっている。  地下三階には、二十五ヤードの拳銃射撃場もついていた。新城は二階の十五畳ほどの洋室を与えられ、外出も自由ということであった。  しかし、外出したところで、山野組の尾行がつくであろう。尾行者を|撒《ま》いたら、変なカングリをされかねない。  だから新城は、地下射場で山野組の戦闘員に拳銃射撃のコーチを行なったり、庭のテニス・コートで汗を流したりして体のコンディションを崩さぬことに気を使っていた。  夜になれば、一階のサロンで酒が飲み放題だが、新城は食欲増進のアペリチーフしか飲まなかった。女を抱きたければ、いつでも女を呼んでやる、と安本が言うが、新城はその気になれなかった。  安本の自宅で一週間ほど過ごしたある夜、夕食の時に安本がニヤニヤ笑いながら、 「とうとう、白柳リタと森山大吉がオネンネするように段取りをつけましたぜ」  と、言う。 「ほう?」 「いまこそ、白柳リタは人気絶頂だが、何しろ流行歌手なんて消耗品だからな。来年はどうなるか分かったもんじゃない。しかも、リタのような混血は、熟するのも早いが|老《ふ》けるのも早い。だから、うちの山野興行は、今後リタがどんなに落ち目になろうとも、十年間はトップ・スターとして待遇する……という契約を、リタと彼女が所属している新音プロと交わしてやった。リタは、命がけで森山を喜ばすだろう」  安本は再びニヤリと笑った。 「契約は守るのか、山野興行は?」 「勿論だ。だけど、これから先、白柳リタの人気が無くなった途端に、リタは事故死するなんてことが起こるかもな」 「なるほど」  新城もニヤリと笑った。 「リタが森山をくわえこむ部屋の横で俺たちは、二人の|濡《ぬ》れ場を見物する。あんたも一緒に見ないか? 面白いことになると思うがな」 「勿論、見学させてもらうさ」 「リタは最近、プロダクションから借金して、八王子のほうに家を買った。いつもは都内にプロダクションから借りてもらっている狭いマンションに寝泊まりしてるんだが、TVのビデオ撮りが終わった月曜だけは、八王子の家でゆっくりするんだ。もっとも、あの忙しさだから、ゆっくりと言ったって、日曜の深夜から月曜の午後までだけどな」 「八王子の家では一人なのか?」 「勿論、女の運転手兼個人マネジャーと、付人と一緒だ。オフクロも一緒だ。だけど、面白いんだ。付人というのは、女装していて、見たところ小柄で女としか分からんが、実際は男なんだ。リタの男さ」 「じゃあ、リタは、あのほうの経験も豊富というわけだな?」  新城は言った。 「そう。だから、森山にあそこを貸したところで何ということはない」  安本は言った。 「だけど、リタが森山と寝ているところを見たら、その男はカッとなるんじゃないかな?」 「そんなことにならないように、リタの付人のシスター・ボーイは、今日の午後、自動車に|撥《は》ねられ、足首を折って入院した。当然のことだが、一週間ぐらいは病院から出られない」 「なるほど」 「リタは、あの男を撥ねて逃げた車がうちの組の者の仕業とは知らない。奴が入院したことで、奴が女でないことが分かってしまうのでないかとあわてた。あいつは一人では歩けないから、大小便の時、誰かに手伝ってもらわねばならん。その時、男であることがバレる可能性が大きいんだ。だからリタは、奴をバス・トイレ付きの個室に入れて、自分のオフクロを付添い婦にした。リタのオフクロは、リタとあの付人の関係を知ってるんだ。知ってるどころでなく、よくあいつをツマミ食いしてるんだ。何しろオンリーあがりの後家だから」 「分かった。じゃあ、森山が八王子に来ても、リタのオフクロはいない、というわけだな?」 「そう。そもそも、リタが森山を八王子の家に送らせる口実というのが、オフクロも付人もいないから淋しくて……と、いうことだからな」 「じゃあ、明日はリタの名演技も見せてもらおうか」  新城は笑った。  翌日の午後、安本の自宅から冷凍食品会社の四トン積みパネル・トラックが出てきた。  冷凍車のために外から|覗《のぞ》きこむことが出来ぬパネル・ボックス型の荷台のなかに二つのソファが据えられ、そこに新城と平井と安本、それに安本の用心棒として神戸の本部から呼ばれた花村と辻という男が腰を降ろしていた。  花村と辻はホモの愛情で深く結ばれている|念《ねん》|友《ゆう》だということであった。花村が冷たい|美《び》|貌《ぼう》の青年で、辻が|小《こ》|肥《ぶと》りの中年男だ。辻のほうが女房役だそうだ。  二人とも静かな男であった。新城を見ても何の敵意も示さぬ。だが新城は、二人のちょっとした身のこなしからも、二人とも拳銃使い兼ボクサーとして、ヤクザとしては抜群の腕を持っているようだ、と察した。  新城たちは無論武装している。それに、安本は、向かいあったソファのあいだに、五丁の米軍用M六〇多目的機関銃と、口径七・六二ミリ|NATO《ナトー》のベルト送弾実包三万発を積みこませているといった要心深さだ。  平井は医師の診療カバンのようなものを|膝《ひざ》に乗せていた。作業服をつけた山野組の若衆が運転する中型トラックは、京葉道路—首都高速道—甲州街道—中央高速道を通って八王子に向かっていた。  アルミのパネル・ボックス型荷台のなかは冷凍ではなくて暖房が通っていた。内側のスライド窓を開くと、防弾マジック・ミラーの向うに、流れ去る風景が見える。  八王子で中央高速道を降りたトラックは、東京環状を|拝《はい》|島《じま》のほうに進んだ。橋の下流で一本になる谷地川の上流の一本を渡って左にハンドルを切り、ちょっとした丘陵を登る。八王子インターを降りてから五分もかからなかった。  丘の下には建売り住宅が並んでいたが、中腹までくると雑木林だ。その雑木林を突き当たったところに、大谷石の塀で囲まれた屋敷があった。リタのセカンド・ハウスだ。  五百坪近い敷地だ。中型トラックは、その屋敷の横を廻って、低い丘の上に出た。丘の上はまだ一面のカヤ原と雑木林だ。  トラックはカヤ原で停まった。安本の用心棒の一人の辻が、内側から荷台のテール・ゲートのドアのロックを外す。 「大丈夫です。ハンターの姿も見えないようです」  助手席の若衆が送話管を通じて報告した。 「東京都は、奥多摩と島をのぞいて、全面銃猟禁止になったんだ。ヤマイモ掘りの連中がいないか降りて見てこい」  安本は命じた。 「分かりました」  助手席の若衆はトラックを降りた。カヤを両手で押し分けながら雑木林に近づく。雑木林のなかに自生しているゴボウのように細長いヤマイモは、掘りだすのに手間がかかるが、その味のよさは|畠《はたけ》で栽培した水っぽいトロロ|芋《いも》とは比較にならぬため、多摩や|相模《さがみ》の住人たちのあいだでは、ヤマイモ掘りが大きなリクリエーションになっている。  しかし、ブッシュのなかで細長い専用のスコップで掘るために、ちょっと離れると、他人には音が聞こえない。低く飛ぶコジュケイ猟で事故を受けるのは、ヤマイモ掘りが多い。ハンターのほうとしても、自分で事故を起こしておきながら、ヤマイモ掘りが目立つ色の作業服をつけていてくれたらよかったのに、とか、トランジスター・ラジオのヴォリュームを上げてくれていたら気付いたのに……と、恨むわけだ。      3  しばらくして運転台に戻った若衆は、 「大丈夫です」  と、報告した。 「よし、分かった。お前たちは、ここで待っててくれ。小便の時以外は車から離れるんじゃないぞ」  安本は言った。 「分かってます。寝袋も食料も用意してきましたから、夜明しでも平気です」 「じゃ、頼むぞ」  安本は立上った。  辻が荷台のテール・ゲートを開いた。  辻、花村、平井、新城、安本の五人はカヤ原に降りる。辻が外からテール・ゲートをキーでロックする。  五人とも、ゴム底の短靴の上から、オーヴァー・ブーツをはいていた。少し歩くと、カヤ原のなかに、人やウサギが踏みしめた小道がついていた。  五人はその細い道を通り、台地の端に出た。高い|竹《たけ》|藪《やぶ》がリタの屋敷とのあいだにあるので、それにさえぎられて低い台地の上からは屋敷の庭の様子はよく見えない。  五人は雑木林や竹藪のあいだの道を降りていった。リタの屋敷の塀の裏口に着く。  平井が|鍵《かぎ》を使って裏戸を開いた。その合鍵はリタから渡されたものであろう。  裏庭は竹藪や|柿《かき》の木など、自然のままの姿を残していた。建物は鉄筋コンクリート造りだが一階建てだ。  平井は別のキーを使って建物の裏ドアも開いた。その奥は広い台所になっていた。五人はオーヴァー・ブーツを脱ぎ、それを片手に持って台所に上りこんだ。  家具のほうまで金が回らなかったらしく、居間や応接間の調度は安物を使ってあった。  安本は勝手知った家のように、居間の左側にあるドアを開き、 「これがリタのベッド・ルームだ」  と、新城に言う。 「よく知ってますな」  新城は言った。 「当たり前だよ。寝室や居間の天井や、この隣の部屋に細工した時、俺も立会ったんだ」  安本は言った。  平井がダブル・ベッドがあるリタのベッド・ルームの隣のドアをキーで開いた。その奥は、幅がわずか一メーター半ほどの、部屋というよりは細い廊下のようなものであった。窓は無い。  天井裏に続く階段がついている。そして、リタの寝室側の壁には、幾つかの|覗《のぞ》き|孔《あな》がついていた。  新城は小さな覗き孔の一つに片目を当ててみた。ベッドのあたりがよく見える。 「天井裏からだと、もっとよく見える」  安本が言った。  新城は階段を登った。天井裏に着くと、出発する時に渡されてあった小型の懐中電灯をつける。  天井裏は、|埃《ほこり》で|咳《せ》きこまないように、よく、掃除されていた。ところどころに、マットが敷かれている。懐中電灯を消すと、居間から|漏《も》れてくる光がよく分かった。マットの上に|腹《はら》|這《ば》いになった新城は、天井の小孔に片目を寄せる。  その小孔からは居間のテーブルとソファが見えた。五、六メーター離れたところの小孔からは寝室のダブル・ベッドが覗きおろせる。  新城は階段を降りた。 「リタが森山をくわえこんでくるまでには、まだ、だいぶ時間がある。腹ごしらえをしてから、トイレに行っておこう。もっとも、小便がしたくてたまらぬ時のために、ビニール袋を持ってきたが」  安本が言った。  一行は台所に移った。辻が冷蔵庫や戸棚を捜して、器用にオニオンとチーズとカラシとボロニア・ソーセージをはさんだサンドウィッチを五人前作る。  五人がインスタント・コーヒーでサンドウィッチを胃に収めると、辻は台所を|綺《き》|麗《れい》に片付けた。  それから、五人は交代でトイレに行く。外は急に暗くなってきた。五人は、寝室の隣の狭い部屋に入り、内側からドアをロックすると、天井裏に続く階段に腰を降ろして待った。セントラル・ヒーティングのスウィッチが入っているので寒くはない。  午後九時頃まで待たされた。五人が各自ポケットに入れて持ってきた携帯灰皿が吸殻で一杯になる。  壁の外側で車の音や話声がした。五人の男は薄く笑いあうと、階段を登って天井裏に上った。  幾つものマットに腹這いになり、小孔から覗きおろす。しばらくたってから、一人の初老の男と二人の女が入ってきた。  上から見おろすので、はっきりとは見えぬが、頭が半分ほど|禿《は》げあがった短身で固肥りの男が、新城が写真で知っている森山大吉——、リタの後援会の千葉支部長であり、大東会の顧問であり、政界と財界の汚れた金の利権のやりとりのパイプ役であり、森山運輸の社長でもある森山のようだ。  一人の女は、TVで毎日見ている白柳リタだ。ピンクがかった白い肌と|鳶《とび》|色《いろ》の髪を持ち、笑顔がまだあどけない感じの長身のハーフだ。  もう一人の女が、リタの運転手兼個人マネジャーだという小林友子であろう。三十近い、インテリ・オールド・ミスという感じがぴったりで、プラチナ・フレームの眼鏡を掛けている。安本は、その友子も無論、買収してあるそうだ。 「御婦人だけの城に、夜分押しかけてきたりして済まんな。すぐに失礼するから、どうか構わんでくれ」  森山はドスの|利《き》いた声で言いながら、コートを脱いでソファに勝手に腰を降ろした。 「こんなところまで来てくださるなんて夢みたい。今夜は、外では出来ない相談に色々と乗ってもらいたいの。リタの話を聞いてくださる? それとも、遅くなったら、奥さんに|叱《しか》られる?」  ミンクのコートを着けたリタは、森山と向かいあったソファに軽く腰を降ろし、色っぽく森山を|睨《にら》んだ。 「まさか……|儂《わし》は家内とはここ何年も他人同様だと言っているだろうに……信じてよ、リタ」  森山は鼻の下をのばした。  友子がコニャックと氷とチーズとフォア・グラを運んできた。森山の前のテーブルに置く。 「着替えてきていいかしら、パパ」  リタは言った。 「パパ?」 「そうよ。わたし、小さい時、パパを失くしたでしょう。だもんで、先生が本当のパパのように思えて仕方ないの」  リタは甘ったるい声で言った。 「そうか、そうか……実を言うと、儂も君を自分の本当の娘のように思ってるんだ。今夜は、どんな相談でも受けるぞ」  友子が注いだコニャックをガブッと飲んだ森山は、好色そのものの眼でリタの顔や体を|舐《な》めまわした。 「好きよ、パパ」  リタは言って、寝室に入った。ドアを内側から閉じる。新城と安本は天井裏を音もなく這って寝室の上の小孔に片眼を当てる。  ミンクのコートを脱ぎ捨てたリタは、TVや舞台でよく見せる、トップレスに近いドレスをつけていた。それも脱いで、ブラジャーとパンティだけになる。整った体もなかなか色気がある。天井に向けてサインしてみせたリタは、体が完全に透けて見えるラヴェンダーのネグリジェをつけ、その上にハーフ・サイズのガウンを羽織った。ハイ・ヒールはつけたままだ。  大きな三面鏡で化粧を直したリタは、天井に向けて舌を突きだしてみせてから居間に戻った。  新城と安本も、もとの位置に戻って覗きおろした。森山は、向かいのソファに深く腰を降ろして脚を組んだリタを見つめて|生《なま》|唾《つば》を|呑《の》んでいる。あわてて、コニャックを|手酌《てじゃく》でブランデー・グラスに半分ほど注ぐと、一と息に飲み干す。  グラスを空にした森山はアルコールにむせて|咳《せ》きこみはじめた。 「大丈夫、パパ?」  リタは森山の横に移り、背中をさすりはじめた。 「だ、大丈夫だ。だけど、リタ、しばらくそこに|坐《すわ》っていてくれ。頼む」  かすれた声で言った森山は、リタの腰に左腕を|廻《まわ》した。 「あの……わたし、リタにも言ってあるように、今夜は外で用がありますので、どうぞ、ごゆっくり」  友子が立上った。  リタが森山の耳に何か|囁《ささや》いた。喜色を満面に浮かべた森山は、友子に、 「済まんが、門の外の|儂《わし》の車の運転手に、八王子で夜食でもとって、ゆっくりこっちに戻ってくるように、と伝えてくれんか? これを運転手に渡してくれ……ああ、それから、これはまことに少しで恐縮だが、いつもリタの面倒を見てくれている君に……」  と言う。惜しそうにリタの腰から手を離すと、分厚くふくらんだ財布から一万円札一枚と一万円札を五枚取出し、テーブルの上に少し離して置いた。     待 機      1 「でも……」  リタの運転手兼マネジャーの友子は遠慮した様子を見せた。 「いいのよ、友子さん。森山先生は大金持なんですもの」  リタは言った。 「そうですか——」  友子は六枚の一万円札を手にした。森山に頭をさげ、 「では、ごゆっくり」  と、言って|退《さが》っていく。  それからしばらく、コートをつけた友子が玄関を出るまで、森山は耳を澄ましながらコニャックを水割りにして飲んでいた。  玄関が閉まると、森山は待ってました、とばかりにリタの腰に左腕を廻した。|嗄《しわが》れた声で、 「|儂《わし》に相談があると言うのは?」  と尋ねる。 「ギャラのことなの。いま、わたし、プロダクションに出演料の八十パーセントも吸いあげられてるの。この家を買うためにプロダクションから借りたお金の利子の払いも馬鹿にならないわ」  リタは|呟《つぶや》くように言った。 「なるほど」 「会長さんが、うちのプロの社長にちょっと圧力を掛けてくださったら、わたしの出演料の配分は新音プロとフィフティ・フィフティになると思うの」 「分かった。そんなことで悩んでいたのか? 早く相談してくれたらよかったのに」  森山は好色な目を鈍く光らせると、体が完全に透けて見えるリタのネグリジェの|両腿《りょうもも》の付け根のあたりに両手を置いた。 「うれしいわ……さすがにパパだわ」  リタは森山の首に両腕を|捲《ま》きつけた。 「そ、そのかわり……いいだろう?」  森山はリタを両腕で抱きしめると、|噛《か》みつくようにして唇を合わせた。逃げようとするジェスチュアを示すリタの口に舌を深く入れてからませる。  天井裏から|覗《のぞ》きおろしている新城たちには、森山のズボンの前が、ジッパーが千切れそうにふくらんだのが分かった。  リタはやっと森山の唇から逃れると、森山の肩に顔を押しつけた。 「好きよ、先生……だから、優しくして」  と、|囁《ささや》く。 「もう我慢できん。ずっと、君とこうなることを夢見てたんだ」  森山はリタをソファに押し倒そうとした。 「ここでは嫌……」  リタは囁いた。 「わ、分かった」  森山は立上るとリタを抱きあげようとした。だが長身のリタは|短《たん》|躯《く》の森山よりずっと背が高いので、うまくいかない。それを見おろす新城は苦笑の声を押し殺した。  リタも立上った。二人はもつれあうようにして寝室に移った。天井裏では、ニヤリと笑いを交わした新城と安本たちは、|這《は》って寝室の上の覗き孔のレンズがある位置に移動した。平井は下の光景に刺激されてズボンの前を突っぱらせている。  寝室に入った森山は、あわただしくリタのハーフ・サイズのガウンを脱がせた。リタは、 「暗くして」  と、体をくねらせる。 「いや。君の体を隅々までじっくり拝みたいんだ」  森山はリタの薄いネグリジェを脱がせた。ブラジャーとパンティだけになったリタは、自分のスタイルを誇るポーズをとって森山を挑発した。 「たまらん!」  |呻《うめ》き声を|漏《も》らした森山はリタの前に膝をつくと、唇をリタの腹に這わせながらパンティを脱がせにかかった。  栗色の茂みが現われると、森山は泣き声に似た声を漏らし、リタのほとんど荒廃してないクレバスを|舐《な》めまくった。白人の血が濃いせいか、リタのクレバスは長い。 「やめて……やめて……」  と、言いながらも、リタは足首の近くまで引き降ろされたパンティを|蹴《け》るようにして脱いだ。ブラジャーも外す。  リタの乳房は上向きに|反《そ》っていた。森山は立上るとそのリタをベッドに押し倒し、もがくような動作で自分の服を脱いだ。  森山の体は下腹が突き出していた。体に似合わず、持物のほうは大きい。ベッドに仰向けになったリタの両腿を両肩にかつぐようにし、 「夢のようだ」  と、呻いては花芯を舐めまくっていた森山は、|隙《すき》を見て体をずり上げると共に貫いた。  リタは苦痛の呻きを漏らした。演技なのか、それとも愛人のシスター・ボーイのものよりも森山のもののほうがはるかに巨大であるせいなのかは新城には分からぬ。  だが、そのリタの声を聞き、しかめた顔を見た森山は、いちじるしく|昂《こう》|奮《ふん》した。大柄なリタと結合したスタンスでその顔はリタの乳房の上だ。  リタの左乳首をくわえた森山は、夢中になってスラストをくり返した。やがて、|歪《ゆが》んだ顔をあげてリタの|瞼《まぶた》を閉じた顔を見つめると、 「勘弁してくれ……あんまり夢のようなので……若い者のように押えがきかない……だけど、すぐにまた続けられる」  と、呻き、激しい動きと共に放った。  それから、ちょっとのあいだ森山はぐったりとしていたが、 「どうだ、嘘じゃないだろう? この通り、すぐに元気になった」  と、動かしはじめる。とても老人とは思えぬスタミナであった。  二度目なので、森山は長く続いた。リタのほうも、耐えきれぬような声をあげて激しく反応してみせる。  天井裏では、新城が森山をなぶり殺しにする想像をしながら森山の|禿頭《はげあたま》を|睨《にら》みつけていた。平井は激しく手を使っている。ホモ同士の花村と辻は冷静だ。安本はズボンのポケットに手を突っこみ、硬くなったものを握りしめている。  リタと森山は猛獣のような|咆《ほう》|哮《こう》と共に二ラウンドを終えた。  さすがに森山はこたえたらしく、ゼーゼーと喉を鳴らしながら肩で大きく息をつく。リタの横に仰向けになると、大きな腹が呼吸のたびに大きく波打った。 「ああ、恥ずかしかったわ……でも、先生ったら、あんまりお強いんですもの」  シミが浮いた森山の肩に唇をつけながらリタが甘えた声を出した。 「喉が渇いた……水を持ってきてくれんか」  森山は|喘《あえ》いだ。 「はい」  リタは素っ裸のままベッドから滑り降りた。パンティで森山が体内に残したものが垂れ落ちるのを|拭《ぬぐ》うと台所のほうに行く。  しばらくしてから、リタは盆の上に小型のジャーとコップを乗せて運んできた。ジャーの中身のソーダ水のような液体をコップに注ぐ。  |俯《うつむ》けになった森山は、たて続けにコップを|空《から》にした。ジャーの中身は無くなる。呼吸がだいぶ鎮まってきた森山は再びリタを引き寄せた。リタを|愛《あい》|撫《ぶ》しながら、 「君、男を知ってるな? 相手は誰なんだ?」  と、苦い声で言う。 「先生がはじめてよ」  リタはぬけぬけと言った。 「嘘つけ! 誰なんだ、儂の前に君を抱いたのは?」  森山はリタの乳首をつねった。 「痛いわ……ひどい……本当のことを言うわ……わたし、この通りの人気商売でしょう? わたしもセックスは嫌いじゃない。男の人に抱いてもらいたくて気が狂いそう。でも、人気にさしつかえるから、プロダクションから恋は|御《ご》|法《はっ》|度《と》と、きつく言い渡されているの。ですから、いつもコケシを使って……嫌、こんな恥ずかしいことまで言わせるなんて……」  リタは涙さえ浮かべてみせた。 「本当か? 悪かった、儂が悪かった。堪忍してくれ。そうか……儂がはじめての男か……よし、分かった。一生、君のいい相談相手になってやるからな」  またまた|凛《りん》|々《りん》となった森山はリタにのしかかった。  だが、三、四分ほどたつと、動きがごくゆるやかになる。 「ち、ちょっと休ませてくれ」  と、舌がもつれたような声で言うと、リタの上でぐったりとなり、イビキをたてはじめた。  リタは天井に向けてサインを送ってきた。眠りこんだ森山を横に押しのけて浴室に駆けこむ。      2  新城や安本たちはまだ動かなかった。  派手なシャワーの音やウガイの音をたてていたリタが寝室に戻り、素早くスラックスやセーターを着けた。タバコに火をつけ、その火口を森山の唇に当てる。  唇が焦げたのに森山はほとんど反応を示さなかった。その時になって安本が、|嗄《しわが》れた声で、 「ナチス・ドイツが発明した催眠自白薬だ、リタが森山に飲ませたのは……最近手に入れたんだ。一包三十万円もしたが、効き目はあの通りさ。さあ、降りて森山にしゃべってもらおう。奴は目が覚めても、自分が質問されたことも、答えたことも覚えてない筈だ」  と、立上る。ズボンの前の突っぱりはもうおさまっていた。  新城たちも立上った。平井はズボンの前を|濡《ぬ》らして、照れくさそうな笑いを浮かべている。  一行は秘密の階段を降り、一度居間に出てから寝室に入った。  イビキをかき続ける森山の横に腰を降ろしたリタは、タバコを灰皿で|揉《も》み消して立上った。 「うまくやったでしょう? 契約は守ってね」  と、安本に秋波を送る。 「勿論だ。さあ、いい|娘《こ》だ。ほかの部屋で待ってな」  安本はリタの尻を軽く叩いた。  リタが寝室を出ていくと、辻が寝室のドアに|閂《かんぬき》を降ろした。五人の男はベッドのそばに立った。花村がその森山を仰向けにした。濡れた森山の男根はぐんにゃりとしていた。 「ブッタ切ってやりたいところだ」  新城が吐きだすように言った。 「あんたの気持は分かる。よく分かるさ。だけど、今夜はこの野郎に傷をつけるわけにいかん。大東会の密輸のハジキを頂戴したあとでなら、この野郎を煮て食おうと焼いて食おうと勝手にしてくれ」  安本は言った。ポケットから携帯マイクを取出す。Y字型に分かれたコードの先についている二つのイヤー・プラグを森山の両耳に差しこんだ。マイクのスウィッチを入れる。  イヤー・プラグを通じて、安本の声は十倍のヴォリュームに拡大されて森山に伝達される筈だ。 「森山……森山大吉……聞こえるな」  安本は携帯マイクを通じて言った。 「だ、誰だ?」  眠ったまま、森山は|呂《ろ》|律《れつ》の回らぬ声を出した。 「あんたの味方だ」 「眠い。眠らせてくれ……」 「ちょっとの我慢だ。大東会に、あんたの会社の船を使って、韓国から大量の拳銃と実包を入れるのは、いつのことだったかな? その船が九鉄の|屑《くず》|鉄《てつ》|埠《ふ》|頭《とう》で荷を降ろすのは?」  安本は尋ねた。 「大東会に恨みを持っているらしい気狂いの野獣がうろついている。そいつに韓国からハジキを入れる計画を|嗅《か》ぎつけられたようなので、何回も入港日を変えた。だけど、二月二日に決定した」  森山は答えた。 「本当だな?」 「その前は、二月五日にハジキを陸揚げすることになっていた。だけど、第四|海《かい》|堡《ほう》で|殺《や》られた連中のなかに、二月五日ということをしゃべった者がいる危険性がある。陸揚げをのばすより繰りあげたほうが、あの気狂いの裏をかいてやれることになる。それに、二月二日となると、今度の旧正月の真っ最中だしな」 「分かった。船が九鉄の屑鉄埠頭に着くのは二日の夜だったっけかな?」 「いや、昼間だ。昼間のほうが、かえって目立たないし、もしあの気狂いが襲ってきても、明るい時間だとこっちのほうに有利だ」 「ハジキは|梱《こん》|包《ぽう》のままトラックに積まれて、大東会本部のビルの地下にある倉庫に運ばれることになってるんだったな?」  安本は尋ねた。 「ああ。だけど、予定を変えた。陸揚げしたハジキや|実包《ベービー》は、屑鉄埠頭の第五倉庫にストックする。あそこは、第一倉庫、第二倉庫、第三倉庫、第四倉庫、それに第六から第十倉庫に囲まれている。第一から第四倉庫、それに第六から第十倉庫には、大東会の戦闘部隊が毎日毎晩、泊まりこみで見張る。勿論、第五倉庫にも泊まるが……」 「…………」 「陸送の荷物は、運搬中に襲われる危険を避けるために、一日に一梱包分ずつしか本部に運ばない。その時も、乗用車に荷を積んで、その前後を五、六台のトラックで|掩《えん》|護《ご》する。トラックのほうに荷を積んでいるように偽装するんだ」  森山は答えた。 「なるほど……いや、そういうことだったな……ところで、荷を積んでくる森山運輸の船の名前を忘れたんだが」  安本は言った。 「“くれない丸”だ……くだらないことをくどくどと|尋《き》くな。俺は眠いんだ」  森山は|唸《うな》った。 「すぐに、ゆっくり眠らせてやる……“くれない丸”の警備は?」 「里帰りという名目で韓国に行ってた極星商工会の荒っぽい連中と、大東会の韓国系の連中が、“くれない丸”に乗って帰ってくる」 「そいつらの員数は?」 「三十人だ。十丁のM六〇機関銃と二十丁の米軍旧式の短機関銃グリース・ガンを拳銃のほかに積んでいる」  森山は答えた。 「そう……そうだったな。東京湾に入ってからの“くれない丸”のコースはどうなんだったっけな?」  安本は尋ねた。 「浦賀水道は、三浦半島の観音崎の岬をかすめて東京湾に入り、|富津岬《ふっつみさき》の先で大きく右に廻りこんで九鉄屑鉄埠頭に着くんだ」  森山は答えた。  安本はそれから五分間ほど質問を続けた。もつれた舌で答えていた森山は、ついに何を尋かれても、イビキで答えるだけになった。 「まあ、この程度でいいだろう。あんまりしつこく尋ねて、こいつが目を覚ましてしまったんでは元も子もなくなる」  携帯マイクのスウィッチを切った安本は、森山の両耳からイヤー・プラグを抜きながら言った。 「支部長、いまの話の具合だと、九鉄屑鉄埠頭の警備は、かなり厳重なものになりそうですな。いっそ、“くれない丸”が東京湾に入ってきたところを襲ったらどうです?」  平井が言った。 「その問題は、帰ってから充分に検討しよう。誰かリタを呼んでこい」  安本は言った。  バスに入って薄化粧をしたリタを辻が連れてきた。 「終わったの?」  と、安本に尋ねる。 「ああ、御苦労だった。御苦労ついでに、もう一働きしてもらいたい」  安本はニヤニヤ笑いながら言った。 「何をしたらいいの?」  リタは不安気な表情になった。 「俺と寝るのさ。この爺いの横でな。お前さんも口直しが欲しいところだろう?」  安本はズボンのベルトをゆるめながら言った。      3  二月二日、その日の千葉は雪になった。  もっとも、雪とはいっても柔らかなベタ雪だから、舗装路に降ったやつはたちまち溶けていく。  タイア・チェーンやスノー・タイアは国道では必要なかった。  旧正月と雪が重なったためか、九州製鉄屑鉄埠頭がある木更津の町は車の交通量が少なかった。  九鉄屑鉄埠頭と金網の柵をはさんだ右側に、固められた砂地がひろがり、バラックが十数軒建っている。  海の家なのだ。かつては潮干狩りの客でにぎわったところだが、海の汚染がひどくなってからは、シーズンでも客は少ない。重油やヘドロの悪臭にまみれた貝や奇形の小魚など食えたものでない。  しかも、今はシーズン・オフだ。どの海の家も空家になっている。  いや、空家になっている筈だ、と言ったほうが正確であろう。  十数軒の海の家のバラックのなかには、山野組の関東各支部の戦闘部隊員たちが、二日前から冷たい缶詰とミネラル・ウォーターだけを口にし、寝袋にもぐって|頑《がん》|張《ば》っているのだ。  屑鉄埠頭の船着き場をよく見渡すことが出来る一軒のバラックのなかに新城の姿もあった。  窓には板が打ちつけられているが、|隙《すき》|間《ま》だらけなので、外を|覗《のぞ》き見るのに不便ではない。  新城がいるバラックには、山野組千葉副支部長の川田もいた。平井もいる。そのほか、十人ほどの戦闘部隊員も泊まっていた。  千葉支部長の安本は、千葉支部のビルで待機しているが、木更津にやってきた戦闘要員たちは、海の家だけでなく、近くの|小《お》|櫃《びつ》川の出島でも快速艇を多数用意して待っているのだ。  炎も煙もたてぬコールマン・キャット・ストーヴに手をかざす新城たちの横に、ヴォリュームをごく弱く絞った携帯無線機と、何かのスウィッチ・ボックスが置かれてあった。  ホワイト・ガス、つまり無鉛ガソリンを使用するコールマン・ストーヴを頼らなくとも、新城たちは寒さは感じない。山野組米国支部の駐在員が、組長の命令を受けて、ノーザン・グース・ダウン——すなわち極寒地のガンの綿毛——を詰めた下着やチョッキやコート、スリーピング・バッグ、それに防寒インシュレーテッド・ブーツを本部に空輸してきたのを戦闘員たちは身につけているからだ。  携帯無線機が、かすかにピーッと鳴った。  川田がそのイヤー・フォーンを耳に差しこんで聴いていた。イヤー・フォーンを外すと、 「“くれない丸”は、いま観音崎から見えるそうだ」  と報告する。 「じゃあ、あとどんなに長くかかっても、二時間もあればこっちにやってきますな」  平井は|囁《ささや》いた。 「そういうことだな。みんな、火器をよく点検しろよ」  川田は命じた。  男たちは、腰の拳銃や、壁にたてかけてあったカービンやM十六自動ライフルや短機関銃などを点検した。  新城に与えられているショールダー・ウィーポンは、M十六A|1《ワン》の自動ライフルだ。  口径五・五六ミリ・ナトーつまり〇・二二三レミントン口径とはいっても事実上は二十二口径——と細いが、|薬莢《やっきょう》はセンター・ファイアで、小さな弾頭にしては多量の火薬を収容している。  無論、三十口径クラスのマグナムの七十グレイン前後の火薬装量とくらべれば、火薬の質がちがうとはいっても二十グレイン前後と少ないが、弾頭が小さく軽いために高速で飛びだす。  したがって、二百メーター以内では、人間のようにショックに弱い動物には、かなりの威力があるのだ。  |耳《みみ》|掻《か》き一杯ぐらいの火薬しか小さな薬莢に入ってない二十二口径ロング・ライフルのようなリム・ファイア弾とくらべると、|雲《うん》|泥《でい》の威力差だ。  二十連の弾倉を持ち、スウィッチ・レヴァーの操作でセミ・オートとフル・オートの切替えが出来るその軽く短い自動ライフルを、新城は山野組千葉支部ビルの地下にある百ヤード射場で試射を済ませてあった。  M十六は米軍の制式ライフルの一つだ。だから全被甲の軍用弾が米軍から横流れで山野組に入ってくる。主に沖縄ルートだ。  だが、被甲された軍用弾は、鉄板やコンクリート・ブロックなどに対する貫通力は強くても動物の体内では俗にダムダムと称されるソフト・ポイントやホロー・ポイントのように|炸《さく》|裂《れつ》することが少ないため、かえって威力が小さい。  貫通してしまうので、エネルギーが無駄についやされるのだ。  だから、山野組は猟用のノスラー・ポインテッド・ソフト・ポイントの五十五グレイン弾頭を地下工場で手詰めしたものを使っていた。  デュポンIMR三〇三一火薬二十四・五グレインを詰めて、秒速は約三千百フィート出している。  秒速四千フィート近くも出る口径二二—二五〇にくらべると、三千百フィートという数字はあまり印象的ではないが、それでも三十口径のスタンダードである三〇—〇六スプリングフィールドや三〇八ウィンチェスターの百八十グレイン弾頭の工場装弾の弾速が大体二千七百フィートだから、かなりの早さと言える。  五十五グレイン・ノスラー弾頭を秒速三千百フィートで飛ばした場合、百ヤードの標的のセンターから約四センチ上に着弾するように照準合わせをしておけば、距離が二百ヤードにのびた場合、そのまま|狙《ねら》えば、狙ったところに着弾する。  無論、その場合、銃の精度が最高で、射手の腕も最高、それに無風状態で、弾薬の精度も最高でないとならぬが……。したがって、理論上は、ということになる。  そして、三百ヤードに距離がのびた時には、狙ったところから約二十センチ下に着弾する。  四百では約七十センチだが、五百ヤードでは約一メーター半も着弾がさがるのは、弾頭が軽いためだ。  その距離になると急激に弾速もエネルギーを失っているし、激しく風の影響を受けるため、獲物がいかにタマに弱い動物である人間でも、五・五六ミリ・ナトーの確実な殺傷有効射程は三百メーターというところだ。  新城は地下射場で、アルミ製の二脚を立てた時と、それを外した時の着弾差も完全に|掴《つか》んでいた。  いま新城は、弾倉を抜いた自分のM十六A1——M十六の新型で、遊底をスプリングの力だけでなく手動でも閉じることが出来るようになっている——の遊底を右手で往復させてみて、そのスムーズさを試す。新城の銃は|負い革《スリング》を二本つないで、腰だめでも楽に射てるようにしてある。  壁から吊っていた弾倉帯四本のポケットを開く。一弾倉帯に十本の二十連弾倉が差しこまれているから、新城は八百発を身につけて戦闘にのぞむわけだ。     見張り      1  それから一時間ほどたった。  新城たちが隠れている海の家のバラックに置かれた携帯無線機が、 「“くれない丸”は、|富津岬《ふっつみさき》をかすめて木更津に近づいている」  と、漁船の船頭に化けた山野組の見張りの一人からの暗号報告を受信した。 「いよいよ、敵さんは近くなったぜ。今のうちにウンチや小便をやっとけ。射ちあいの時に|漏《も》らしたなんてことになったら格好がつかんからな」  山野組千葉支部の副支部長の川田が、ニヤニヤ笑いながら戦闘員たちに言った。もっとも、その笑いは|硬《こわ》ばっている。  窓の外に打ちつけた板の|隙《すき》|間《ま》から、柔らかく湿ったボタ雪の降る勢いが激しくなったのが見える。地面には、薄く積りはじめた。  新城はポリ袋のなかに放尿した。それから、|手榴弾《しゅりゅうだん》を二個、グース・ダウンのアンダー・パンツの上にはいたマウンテン・シープのウールの耐寒作業ズボンの左右の|尻《しり》ポケットに突っこむ。  その手榴弾も、沖縄ルートで米軍から山野組が日本に運びこんだものだ。|導火線《ヒューズ》が燃える時に音をたてぬ無音型であった。  新城はグース・ダウンの射撃コートの二つのハンド・ウォーマー・ポケットにも無音型手榴弾を突っこんだ。  “くれない丸”が九鉄|屑《くず》|鉄《てつ》|埠《ふ》|頭《とう》に近づく時間が迫ってくるにつれ、戦闘員たちのあいだに、|武《む》|者《しゃ》|震《ぶる》いをはじめる者が増えた。いや、本人たちが武者震いと言っているだけで、事実は恐怖からの震えが強い。  それを見た川田が、 「よし、みんな特別に許可する。こいつを打ってもいいぞ」  と、プラスチックの大箱の|蓋《ふた》に掛かっていた錠を解いた。そのなかには、何段もの中蓋があり、使い捨てのプラスチック製の注射器が十数本詰まっていた。  そのバラックにいる十人ほどの戦闘員たちは、我勝ちに注射器を取上げて筋肉に注射した。|覚《かく》|醒《せい》剤なのだ。静脈にでなく、筋肉に注射したのは、効きはじめはゆっくりであっても、効き目を長持ちさせるためであろう。  川田は無線機を使い、ほかのバラックで待機している戦闘員や、快速艇で待機している戦闘員たちにも、暗号無線を使って、覚醒剤の使用を許可した。  覚醒剤を打った戦闘員たちは落着きとふてぶてしさを取戻してきた。血に飢えた表情になってきた者もいる。  少したつと、|小《お》|櫃《びつ》川の出島で待機している快速艇の連中から、近づきつつある“くれない丸”が肉眼で見えるようになった、と無線連絡が入った。  その頃になると、金網の向うの九鉄屑鉄埠頭のほうにも変化が現われていた。  |沖《おき》|仲《なか》|仕《し》の格好をし、防水ズックの布に短機関銃や散弾銃を包んだ大東会の戦闘員たちが二百名ほど埠頭の大桟橋に集まってきた。二十数台のトラック、十数台のクレーン車やフォーク・リフト車もガレージから出て大桟橋に集まってくる。  川田や新城は、埠頭の様子を双眼鏡を使って監視していた。川田はときどき、無線機を使って、ほかの場所で待伏せている部下たちと連絡をとったり指令を与えたりした。  やがて“くれない丸”が九鉄屑鉄埠頭の大桟橋に接近するのが、新城たちの肉眼にも見えてきた。  大桟橋に接岸していた十数隻のランチに沖仲仕の格好をした大東会の男たち百人ほどが乗りこんだ。岸壁を離れたランチは、“くれない丸”を迎えに沖に向かい、“くれない丸”を包囲して|掩《えん》|護《ご》する形をとった。  “くれない丸”はそれから二十分ほどして岸壁に接岸した。岸壁に出てきた大東会の戦闘員は三百人近くに増えている。  川田は、じりじりしている部下たちを制した。大東会のランチは、“くれない丸”の沖側に散開して海からの襲撃にそなえている。  大東会は、なかなか拳銃の陸揚げ作業に入らなかった。要心して、様子を見ているのであろう。  だが、ついにクレーンが|唸《うな》りはじめた。船倉から|吊《つ》りあげられた|梱《こん》|包《ぽう》が、岸壁のトラックの荷台に次々に移される。 「よし、作戦開始だ!」  川田が無線機のマイクに向けて叫んだ。  同時に、新城は無線機の近くに据えられている大型のラジコン装置の安全装置を外してスウィッチを入れた。  海の家が点在している地域と九鉄埠頭をさえぎる|鉄《てっ》|柵《さく》に沿って、続けざまに大爆発が起こった。鉄柵が吹っ飛んで空中を乱舞する。  山野組は、鉄柵の下に百トン近くの爆薬を埋めこんであったのだ。  爆発の土煙で岸壁の様子ははっきりとは見えなくなった。新城たちは、自分たちが立てこもっている建物の窓に打ちつけてある板を大きな|木《き》|槌《づち》で|叩《たた》き外した。  そこから、アルミ・パイプで作った迫撃砲のようなものを突きだす。パイプのなかにプラスチックと鉛で作った砲弾を落とし、砲尾に黒色火薬を流しこんで、導火線で着火させた。  派手な音をたてて砲弾は飛びだした。大きく弧を描いて九鉄の敷地に落ちると、そこで爆発して大量の煙を吹きだす。  煙幕爆弾なのだ。新城たちは三百発ぐらいを九鉄埠頭に射ちこむと、建物から跳びだした。  無論、ほかの海の家で煙幕弾を射ちまくっていた山野組の戦闘員たちも跳びだしてきた。  九鉄埠頭では、煙幕弾がまだ煙を吹きあげている。発煙筒の中身を使った砲弾だから、発煙は長く続くのだ。  九鉄埠頭のほうから、山野組に向けて発砲してくる者が何人か出たが、濃い煙のヴェールごしに射ってくるのだから、文字通り盲射ちであった。  新城たちは無言で九鉄埠頭に走り寄った。そのとき、二台のヘリコプターが海のほうから九鉄埠頭に近づいてくる。  海上自衛隊や海上保安庁のヘリではなかった。民間機だ。二台とも、ベル二〇六のジェット・レンジャー中型機だ。  山野組の男たちは、その二台のヘリに向けて手にした銃を振った。  二台のヘリは、山野組の戦闘員が偽名を使ってチャーターし、パイロットを銃で|嚇《おど》して九鉄埠頭に飛ばさせてきたのだ。二台のヘリには、半トン近い爆薬が積まれている筈だ。  吹っ飛ばされた鉄柵の跡の手前で山野組の男たちは身を伏せた。新城も同じようにする。  ヘリは九鉄埠頭を覆う煙の上に達すると、プラスチック爆弾を無差別投下しはじめた。無論、“くれない丸”にも爆弾を浴びせる。  身を伏せている新城たちのすぐ近くまで、爆発で飛んできたコンクリートの破片や鉄片が落ちてきた。  煙の下から、大東会の男たちはヘリに向けて盲射ちしはじめた。川田は、大東会の銃火をヘリからそらそうと、ハンド・マイクを使い、 「射て!」  と、伏せている部下たちに命じた。  山野組の男たちは射ちまくった。だが、新城は弾薬を節約するために、ほとんど射たない。新城はM十六の弾薬八百発を携帯してはいるが、フル・オートで射ちまくったのでは数分間しか弾薬が|保《も》たないことをよく知っているからだ。  “くれない丸”の位置からも次々に大爆発の|轟《ごう》|音《おん》が響いた。黒煙の雲を突き破って火柱が吹きあげられる。  二台のヘリは高く高度をとって沖のほうに飛び去った。  そのヘリと入れちがいのようにし、数十隻のランチやモーター・ボートが“くれない丸”を|護《まも》っていた大東会のランチに襲いかかった。  小櫃川の出島で待機していた山野組のランチやモーター・ボートだ。大東会のランチと激しく射ちあう。  九鉄埠頭を覆っていた煙はちょっと薄れてきた。だが、いたるところで、爆発による火災が起こっている。 「よし、射撃を続けながら、煙が薄れない間に突っこむんだ」  川田が命令した。      2  山野組の地上戦闘員たちは、爆発でえぐられた地面を跳び越えたり|膝《ひざ》まで土に埋まって渡ったりして、九鉄埠頭の敷地に突っこんでいった。  新城も一緒に突撃する。もう弾薬をケチっていたら生命にかかわるから、腰だめで射ち続けていた。  九鉄埠頭に突っこんでみると、煙が濃いところと薄いところが極端であった。大東会の男たちは、煙が薄い場所に固まっている。大東会の応射が新城をかすめた。大東会二人に対し、山野組一人ぐらいの割りで被弾する。  混戦になってきた。  新城は地面に転がっている長い鉄棒を棒高跳びのポールのように使い、倉庫の一つの屋根に跳びあがった。屋根の上に身を伏せ、大東会と山野組の混戦を観戦しはじめた。  発煙弾の煙は、海に向けて吹きはじめた風のために吹き払われていった。倉庫の上に|腹《はら》|這《ば》いになっている新城には、埠頭の戦いの様子がはっきりと分かるようになった。  “くれない丸”は、ブリッジを爆弾に大破され、そこから炎を吐いていた。後部甲板に積まれたドラム缶のうちの十数本も炎を吐いている。  埠頭や倉庫のあいだ、それに火を吐くトラックのあいだに、百を越える死体が転がっている。  煙が薄れるにつれ、大東会と山野組の死傷者の発生率は接近してきた。新城は冷静にM十六の|狙《ねら》いを大東会の男たちにつけ、標的でも射ち抜くように命中させていく。  だが、大東会の男たちは、倉庫の上に山野組の狙撃者——つまり新城——が伏せていることに気付いた。  三十人ほどが、銃を新城に向けて乱射しながら殺到してきた。  新城はスウィッチ・レバーをフル・オートに切替えたM十六自動ライフルを射ちまくる。スムーズに左手を動かして、空になった弾倉を次々に予備弾倉に取替える。  二十七、八人は新城が上にいる倉庫に近づくまでに倒されたが、三人ほどは倉庫の下、つまり新城から死角の位置に走りこんだ。  新城は左手でポケットから|手榴弾《しゅりゅうだん》を取出した。安全ピンを抜き、撃針レヴァーを解放させた。  ヒューズに火がつく。しかし、無音型であるから、ガス・ヴェントから煙は吹きだしてもヒューズが燃える音は出なかった。  新城はその手榴弾を三人が逃げこんだ上のほうに軽くトスした。ちょっとの間を置いて、男たちが絶叫をあげる声が聞こえ、続いて手榴弾が地表で爆発する。  飛び散る肉片が新城に見えた。新城はニヤリと笑うと、遠くで山野組の男たちと射ちあっている大東会の男たちにM十六の狙いを変えた……。  九鉄埠頭を山野組が制圧したのは、それから二十分ほどたってからであった。山野組にも百人近い犠牲者が出ている。  “くれない丸”の火災は鎮まっていた。だが、大東会のランチはいずれも大破したり沈められたりしている。 「新城は、新城はどこだ?」 「畜生、トンズラしやがったのか?」  と、叫びながら、生残りの山野組の幹部たちが走りまわっていた。 「ここだ! どうして俺が逃げたりするわけがある?」  新城は倉庫の屋根の上で立上った。 「そんなところに隠れてやがったのか?」  水野という幹部が叫んだ。 「ただ隠れてたんじゃない。ここから、五十人以上を血祭りにあげてやったんだ」  新城は答えた。 「そう言えば、どこからかタマが飛んできて、大東会の野郎どもがバタバタ倒れたな。あんただったのか。|狙《そ》|撃《げき》したのか?」 「ああ。登ったまではいいが降りられなくなった。ロープを放ってくれ」  新城は頼んだ。  水野は若衆にロープを捜してこさせた。束にしたロープを新城に放る。そいつを受取った新城は、屋根のアスベスト|瓦《がわら》をはぐり、|剥《む》きだしになった鉄骨に結びつけた。  ロープの他端を地面に垂らし、そのロープを伝って降りる。  その頃には、木更津港の近くに待機していた山野組のトラックが九鉄埠頭になだれこんできた。警察はどこかで様子をうかがっているらしく、九鉄埠頭に近づいてこなかった……。  結局、山野組は“くれない丸”が韓国から運んできた三千丁の拳銃と拳銃実包百万発のうちの大半を略奪した。M六〇多目的機関銃七丁も山野組の手に移った。  大東会から奪ったそれらの武器弾薬は、日本じゅうに散らばっている山野組の隠し倉庫に運ばれていった。  その日の日暮れ前、警察は山野組の関東各支部の事務所に対し、家宅捜査を行なった。  だが、山野組は、幹部たちは姿をくらまし、九鉄屑鉄埠頭襲撃との関連がある証拠物件など何も事務所に残したりはしてなかった。  そして新城は、奥多摩にある山野組の秘密キャンプに逃げこんでいた。  その秘密キャンプは、日原川と奥多摩湖と山梨県境にはさまれた山のなかにあった。  空中から見ると、原野と丘陵を利用した千五百万坪の牧場に千頭ぐらいの肉牛や乳牛、それに五百頭ぐらいの使役馬と五万頭ぐらいのブタと山羊と十万羽ぐらいのアヒルが放し飼いにされているだけのように見える。  牧場の建物にしたところで、ありふれたものだ。  しかし、牧場の奥に接した険しい山々の腹をえぐって、外からは全然見えない大住居群が隠されている。  この秘密キャンプは、山野組の幹部候補生の戦闘訓練と体力増強、それに山岳ゲリラ戦で生き残る術の教練場なのだ。  秘密キャンプは自給自足をモットーとしていた。飼っている牛や羊を食い、牛乳を売って穀物や野菜などを買い、殺した家畜の皮や毛を利用して衣料を作っているのだ。馬はジープがわりに使われている。  無論、牧場の名義は、山野組とはまったく関係がない会社のものにしてある。だから、警察に目をつけられることもないわけだ。  その夜、|洞《どう》|窟《くつ》のような山腹の居住区の大広間では、数か所で盛大な|焚《たき》|火《び》が炎をあげ、|仔《こ》|牛《うし》やブタの丸焼きが太い鉄棒に貫かれて回転していた。  タレを塗られた丸焼きからしたたり落ちた肉汁は、煙となっても、自家発電の電気モーターで動いている大型の換気扇によって吸いだされている。  その大広間に集まっているのは、九鉄屑鉄埠頭襲撃のホトボリが冷めるまでこの秘密キャンプに|籠城《ろうじょう》することになっている、山野組関東支部の幹部たちだ。新城も同席している。  男たちの前に、キャンプで訓練中の幹部候補生たちがアルコール類の|壜《びん》とグラスを配った。蛮刀を振るって、丸焼きの牛やブタを切り分けにかかる。  千葉支部の支部長安本が立上った。スコッチのグラスを差しあげ、 「皆様、ご苦労さんでござんした。我が方の被害も軽微とはいえなかったが、大東会の主力は全滅と言ってもよく、しかも三千丁近いハジキと百万発近い|実包《ベービー》が手に入ったことは、いよいよ我が山野組の全国制覇のゴールが見えてきた、と言っても差しつかえないと考えます……|僭《せん》|越《えつ》ではありますが、私がまず乾杯の音頭をとらせていただきます」  と、言った。 「乾杯!」 「乾杯!」  男たちはグラスを|挙《あ》げてガブ飲みした。      3  新城は仔牛の|腿《もも》を一本左手に握ってかぶりつきながら、ときどき右手のグラスのバランタインのスコッチを胃に流しこむ。  酔いが回ってくると、各支部長たちは、 「ここで一気に、大東会の会長の朴を片付けておいたほうがいいと思わないか?」 「そうだ。奴を片付けてしまえば、政府も大東会に見切りをつけるだろう」 「そうだとも、政府の私兵といったって、敗残兵の集団が今の大東会だ。敗残兵集団のボスを片付けてしまったら、大東会は事実上この世から消えることになる」  などと言いあっていたが、明日にも山野組の組長に電話連絡して、組長の指示を仰ぐことになった。 「もし組長の許可が出たら俺に朴を|殺《や》らせてくれ。俺は奴の首をこの手でへし折る時を夢にまで見てるんだ」  新城はかじっていた仔牛の腿の骨を、枯木でもへし折るように両手で折った。  各支部長や幹部たちは新城の人間離れした怪力を目のあたりに見て息を|呑《の》んでいたが、 「いいとも。存分に恨みを晴らしてくれ」 「そうだとも。朴を|殺《や》るには、あんたほどの適任者はいない」 「お膳立てはみんなこっちでやるから、あんたは殺しだけを実行してくれ」  と、新城に言う。 「願ってもないことで」  新城は答えた。  夜が更けてから、新城は与えられた小部屋に引きこもった。三畳ほどの小部屋は、壁も天井も岩肌のままだ。明りはローソクで、ベッドはキャンヴァス・コットンの上に発泡スチロールのマットレスとスリーピング・バッグだ。  トイレはポータブル・タイプのものが置かれている。ペダルを足で踏むと、洗浄水が|循環《じゅんかん》するようになっている。  飲み水は、壁の岩肌を伝わる地下水だ。岩肌を垂れた地下水は、床の岩にえぐられた細い溝を流れ去るようになっていた。  小部屋は寒かった。しかし、スリーピング・バッグは、エディ・バウワーのヘヴィ・デューティで、|雁の綿毛《グース・ダウン》五ポンド八オンスを四重に使った零下七十度まで耐えられるタイプだから、寝袋にもぐりこむと寒さは消えた。  なかなか新城は眠りに落ちることが出来なかった。  やっと眠ると、夢ばかり見る。新聞や雑誌で写真を見たことがある大東会のボスの朴をさまざまな方法でなぶり殺しにする夢ばかりであった。  翌日、山野組の秘密キャンプの牧場には雪が激しく降った。それでも電話線は大丈夫だから、関東の各支部長を代表して新宿支部長の黒部という男が、神戸の六甲の別宅にいる山野組組長と暗号電話で長い間話を交わした。  牧場の建物と山腹の居住区は、地下トンネルでも結ばれている。だから、黒部は雪の上に足跡を残すこともなく牧場の建物の電話から居住区に戻り、 「組長は賛成された。朴の野郎を血祭りにあげるんだ」  と、報告する……。  それから十日ほどがたった。  新城は四谷若葉町に山野組が架空名義で借りているマンションの一室に移っていた。十階建てのマンションの十階の続き部屋だ。  その続き部屋からは、三百メーターほど離れた朴の大邸宅が見おろせた。新城は、窓ぎわに三脚を据えたボッシュ・アンド・ローム・バルスコープ六〇のスポッティング・スコープを置き、ときどき朴の屋敷を|覗《のぞ》いている。  朴の大邸宅の敷地は、もともとは国有地であったが、首相江藤や大蔵大臣富田にねだってタダ同然で払下げて|貰《もら》ったものであった。  それも、都内の特等地で九千坪もあるのを、朴が北海道に持っていた二十五万坪の土地と交換したという形式になっている。  だが朴が持っていた北海道の土地は坪当たり百円もしない。現在でもだ。なぜなら、ヘリコプターでないと近づけない|泥《でい》|湿《しつ》の原野だからだ。  朴は日本名を小島銀次という。韓国|済州島《さいしゅうとう》の貧農の息子だ。第二次大戦中に強制労働者として日本に連れてこられ、北海道の炭鉱で働かされた。  要領がいい朴は、炭鉱での奴隷よりもひどい待遇と重労働に耐えかねた朝鮮人労働者が暴動の計画をたてるたびに、自分で暴動を|煽《あお》っておきながら、炭鉱経営者や監督の軍部に密告して、次第に経営者や軍部に可愛いがられていった。  その時の炭鉱経営者が、のちに沖や江藤の大口スポンサーの一人となった政商の吉原であった。  終戦の頃には、朴は朝鮮人労働者の総監督のような地位についていた。朴が吉原と共謀してリンチで殺した同胞は百人を下らない。  終戦と共に戦勝国民となった朴は、吉原の悪事のネタを充分に握り、朴の証言一つで吉原を極東軍事裁判で絞首刑に掛けることも出来る立場にいた。吉原は東京周辺に買いこんであった百万坪の土地の内の三分の一を朴に与えると共に、当時の金で百万円も与えて朴を買収した。  上京した朴は、百万円を元手に|闇《やみ》トラックを動かして稼ぎまくった。第三国人である朴に当時の日本の警察は手を出せなかったから、朴は二日で元金を三倍に増やすボロ|儲《もう》けをくり返していった。  終戦後五年にして、朴の回転資金は百億を越えた。その金の一部を活用して命知らず共を大勢抱えていたのが、新興ギャング大東会として都内の盛り場を支配するようになっていた。  吉原と再会した朴は、戦犯として|巣《す》|鴨《がも》に閉じこめられていた沖と知りあった。韓国からの帰化人を先祖に持つ沖は、朴と義兄第の|盃《さかずき》を交わし、朴から資金援助を受けて政界にカム・バックし、次第に首相への地位を登りつめていった。  無論、沖は韓国ロビーとして韓国政府と密着し、莫大な利権で荒稼ぎしながら、朴にもたっぷりと利権のお|裾《すそ》|分《わ》けをしてやった。  沖は首相になった。沖の私兵となった大東会は、暴力団狩りの|嵐《あらし》が吹き荒れても、まったくといっていいほど取締りの対象とならなかった。一つには、企業ヤクザに変身したため、大東会の組員は街頭で派手なユスリやタカリをやらなくても食っていけたためだ。  六〇年安保の時には、大東会は沖首相の指示で拳銃特別所持許可までもらい、左翼勢力を徹底的に痛めつけた。  沖のあと、義第の江藤が首相になった。義弟とはいっても沖と血のつながりがある江藤の先祖も韓国からの帰化人を先祖に持ち、沖におとらぬ韓国ロビーであった。  江藤も朴と義兄弟の盃を交わし、互いに持ちつ持たれつの関係となった。大東会は七〇年安保の時は江藤の私兵として暴れまくり、左翼勢力だけでなく、ドサクサにまぎれて江藤に対立する保守陣営の大物たちを暗殺した。  だが、その大東会会長も、|復讐《ふくしゅう》の鬼新城に狙われて、今は機動隊に|護《まも》られて|怯《おび》え暮している。朴の大邸宅の塀のまわりでは、いまは、百人の完全武装の機動隊が警察ジープやトラックに乗って警備している。     トンネル      1  新城がマンションの十階から見張っていると、朴は大邸宅の広い庭にときどき出てきて、ゴルフ・クラブの素振りをやった。  時間は不定だ。ゴルフ・クラブを庭で振りまわす時には、ライフルや短機関銃を手にした二十人ほどの用心棒が朴を取囲んで警戒に当たる。  朴は額が大きく|禿《は》げあがっていた。黄土色の顔は|頬《ほお》|骨《ぼね》が皮膚を突き破りそうに|尖《とが》り、目は毒蛇のような|三《さん》|白《ぱく》|眼《がん》だ。紫色を帯びた品がない分厚い唇から、黄色っぽい|反《そ》っ|歯《ぱ》がはみだしている。  新城が見張っている部屋と、朴がゴルフ・クラブの素振りを行なう場所は、|距離計《レンジ・ファインダー》を使って計ってみたところでは、三百五十メーターか四百メーターほどしか離れてなかった。  狙撃用の高性能ライフルを使えば、新城は一発で朴を仕止めることが出来る自信がある。  しかし、それでは面白くなかった。朴の|苦《く》|悶《もん》の声がよく聞こえる位置で、思う存分に痛めつけてから、素手でとどめを刺してやりたい。  今日の朴は、用心棒たちに護衛されて、二、三十回素振りを行なっただけで、早々に豪勢な建物のなかに引っこんだ。  用心棒たちは、半分ほどが朴と一緒に建物のなかに引っこみ、残り半分は、運動不足や退屈感を解消させるためか、武器を|芝《しば》|生《ふ》において、|角力《すもう》や空手の練習をはじめた。  新城はボッシュ・アンド・ロームのバルスコープの焦点を彼等の顔に合わせ、彼等の顔をさらによく覚えこんだ。  正門から三十メーターほど離れた庭の一隅に、大型のテントが張られ、そこには|樽《たる》|酒《ざけ》とオデンと|麺《めん》|類《るい》と|鮨《すし》の屋台がいつも用意されていた。  朴の屋敷を外で警備している機動隊員たちは、いつでもそのテントで飲みものや食い物のサーヴィスを受けることが出来るのだ。  今も、|立哨《りっしょう》のため体が冷えきったらしい五、六人の機動隊員が門をくぐって庭に入ってきた。テントに入り、冷酒をコップで|呷《あお》ってから、熱い|鍋《なべ》|焼《や》きウドンを食いはじめる。  全員の食事時間が決まっていたら、機動隊員たちの飲むアルコール飲料やオデンなどに眠り薬をぶちこんでおけば、新城は|易《やす》|々《やす》と朴の屋敷にもぐりこむことが出来るだろう。  だが、警備の機動隊員たちは、さすがに要心深く、全員が幾つものグループに分かれて食事時間をずらせている……。  新城の部屋の電話が鳴った。だが新城は受話器を取らない。電話のベルは五秒鳴ってから切れた。  新城は待った。十秒ぐらいしてから再び鳴りはじめた電話のベルは、再び五秒鳴り続けてからやんだ。そういった調子で三回目が鳴って切れた。  山野組の使者が、すぐ近くまで来ている、という合図だ。新城は消音器をつけたベレッタ・ジャガーを抜いた。要心深いのに越したことはない。  玄関のドアの横に立った。待つほどのこともなく、ドアが三度ノックされた。五秒のあいだを置いて、また三度ノックされる。  新城は左手をのばしてエール錠のノブを回した。ロックは自動的に解けた。新城は左手を引っこめた。  ドアが開き、両手を肩の高さにあげて、|洒《しゃ》|落《れ》た服装の男が入ってきた。尻を使ってドアを内側から閉じる。  山野組東京支部の磯村という男で、これまで何度かここにやってきたことがある。 「失礼した」  新城はベレッタの撃鉄安全を掛け、ヒップ・ホルスターに仕舞った。  苦笑いした磯村は、 「いつもながら、銃口を向けられるのは気持いいもんじゃないな」  と、言って、ドアのロック・ボタンを押した。 「済まん」  新城は短く答えた。  二人は、つい先ほどまで新城がいた部屋に移った。新城はカーテンを閉じて、電灯のスウィッチを入れ、いつもスウィッチを入れっ放しにしてある電熱ポットから、|浅《あさ》|煎《い》りのアメリカン・コーヒーを二杯のマグ・カップに注いでテーブルに運んだ。 「奴の屋敷のまわりの下水道がどうなっているかが分かったぜ。図面を持ってきた」  磯村は内ポケットから畳んだ大きな事務用封筒を取出した。封筒から数枚の図面を出してテーブルに置く。  コーヒーの大きなカップを口に運びながら磯村が表情を見守るなかで、新城は図面に目を通した。  一枚目の図面は、朴の屋敷の裏通りを、幅五メーター高さ三メーターの下水道が通っていることを示していた。  二枚目の図面によると、裏通りの下水道と朴の屋敷の数か所は、直径一メーター半の下水道で結ばれている。  三枚目の図面には、朴の建物や庭にある排水孔の位置と、それを|覆《おお》う|鉄《てつ》|格《ごう》|子《し》の形状がくわしく載っていた。  四枚目の図面で、朴の屋敷から直径五百メーター内の下水道へのマンホールの位置が分かる。  図面から目を|挙《あ》げた新城は、まだ舌が焦げそうに熱いコーヒーを大きく口に含んだ。飲みこむ。 「どうだい? あんたがいい体をしてても、下水道の直径が一メートル半もあったら、くぐれないことはあるまい?」  磯村はニヤリと笑った。 「うまく図面が手に入ったものだな?」  新城は言った。 「山野組は、色々なところにコネがあるんだ。どうだい、下水管から朴のところに近づくというのは?」 「図面を、もっとよく検討してみる」 「道具で欲しいものがあったら、何でも言ってくれよ。|助《すけ》っ|人《と》が欲しかったら、何人でもうちの組から出す」  磯村は言った……。  それから五日過ぎた。  朴の屋敷から三百メーターほど離れた赤坂一丁目の屋敷町の裏通りに、下水道工事会社の小型トラックがやってきた。  荷台にホロを張ったそのトラックは、どこかの屋敷の高い塀に寄って|停《と》まった。助手席から二人、それにホロをはぐった荷台から二人、ヘルメットと作業服をつけ、|馬《ば》|鹿《か》|長《なが》と称される腰の上まであるゴムのウエーダーをはいた男たちが降りた。  そのうちの一人は新城であった。  四人は手ぎわよく、荷台に積んであった、工事灯のランプがついたパイロンを、道の真ん中にあって、小型トラックの五、六メーター斜め後方の大きなマンホールのまわりに立てた。工事灯のランプのスウィッチを入れる。  また彼等は、その裏通りの入口と出口に、工事中|車輛迂回《しゃりょううかい》と、夜間工事許可の標識を立てた。  それから彼等は、アルミ合金のフレームの|背負《しょ》い|子《こ》にのせた大きなアルミの箱をかついだ。小型トラックの荷台に乗っていたものだ。  新城と同じ下水道工事の作業員の格好をしているのは、無論、山野組の連中であった。しかも、普段も下水道の工務店員が表向きの商売だ。  一人が工具を使って、マンホールの|蓋《ふた》を持ちあげた。四人はその重い蓋を静かにアスファルトの上に移した。  四人のヘルメットには、炭鉱夫のそれのようにヘッド・ランプがついていた。ヘッド・ランプのバッテリーは、ズボンのベルトに引っかけてある。ヘッド・ランプをつけた男たちは、ゴム手袋をつけ、次々にマンホールを、|錆《さ》びた垂直の|鉄《てつ》|梯《ばし》|子《ご》を伝って降りていく。  新城は三番目であった。高さ三メーター、幅二メーターほどの下水道の底を、|膝《ひざ》近くまで汚水が流れている。  あとの三人は慣れているので平気のようであったが、新城はしばらくは、あまりの悪臭に目から涙がにじむほどであった。  ヘッド・ランプの光が汚水の流れに当たる。|人《じん》|糞《ぷん》から腐った食いものから、避妊サック、さらには仔犬の|死《し》|骸《がい》まで流れてくる。 「大丈夫か?」  平松という先頭の男が新城に声を掛けた。 「もう大丈夫だ」  |唾《つば》を吐いた新城は答えた。      2  汚水のなかをしばらく歩くと、立派な下水道にぶつかった。  本道は幅が十メーターもあった。左右に歩道がついている。幅一メーター半ほどの歩道のあいだを下水が流れている。  ところどころに電灯がついていた。歩道にいたネズミの群れが姿を隠すが、肥え太ったネズミたちは、猫の半分近い大きさがあった。  頭上の天井が軽く震えている。平松が、 「車がひっきりなしに通ってるんだ。上は高速道路だ」  と、言う。 「なるほど」  新城は|頷《うなず》いた。もう悪臭にはかなり慣れてきた。  一行は下水道本道の歩道の上を、北のほうに向けて進んだ。ところどころ橋が架けられているのは、その下を排水管から流れこんだ汚水が走っているからだ。  下水道本道は、別の本道と交差した。 「外堀通りの下だ」  平松が言った。  外堀通りの下の下水道本道を、一行は左に向けて歩いた。二百メーターほど歩いた時、平松が、 「こっちだ」  と、本道の左側にあいた支道を指さした。  一行は再びヘッド・ランプの明りを頼りに、膝まで汚水につかって、下水道の支線を歩いていく。  百五十メーターほど行った時、平松は左側の壁にあいた直径一メーター半の強化プラスチックスの排水管のなかにヘッド・ランプの光を突っこんだ。 「この先が朴の屋敷だ」  と、|囁《ささや》く。道路の上に聞こえることはあるまいが、路上に警官がいる可能性が強いから、自然に声が低くなる。それに、下水道はトンネルだから、ヤケに声が響くのだ。  新城は無言で|頷《うなず》いた。朴の屋敷に続いている排水管の流れは浅い。頭が上にぶつかるので、体をこごめて歩く。  平松は右手のゴム手袋を脱ぎ、作業服の内ポケットから、図面と百メーター用ワイヤー・メージャーを取出した。  しばらくメージャーを|睨《にら》んでいたが、 「俺の計算が狂ってないことを神に祈るぜ」  と、|呟《つぶや》いて、巻尺式メージャーのフックを下水道支線と排水管の境目の、コンクリート壁がヒビ割れたところに突っこんだ。  メージャーのワイヤーをのばしながら平松は排水管のなかに入っていった。  もう一人の山野組の男——林田という名だ——と新城がそのあとに続く。しんがりにいた黒井という男は、コンクリートのヒビ割れに差しこまれたメージャーのフックを押えている。  平松はときどきコンパスを取出して針を読みながら慎重に進んだ。無論、メージャーの目盛りも読む。百メーターのメージャー・ワイヤーがのびきったところで、平松はそのワイヤーを震動させた。  フックのほうから震動が返ってきた。平松は|捲《まき》|取《と》りのボタンを押す。メージャー・ワイヤーはゆっくりとバネでメージャーのなかに捲き取られていく。  黒井がフックを外し、捲取りスピードに合わせて、メージャー・ワイヤーごとこっちに歩いてきているのだ。 「いま俺たちは、朴の屋敷の裏庭の下にいる」  平松が新城に|囁《ささや》いた。 「…………」  新城は頷いた。  平松は、黒井にメージャー・ワイヤーの先端のフックを持たせたまま立ちどまらせ、再び歩きはじめた。  十メーターほど行ったところで、排水管は四本に分かれていた。平松はジェスチュアで黒井を呼び寄せた。 「ここまでは計算通りだった。これからあとも、計算通りに行くことを祈るぜ」  と言って、右から二本目の下水管の中を、ヘッド・ランプの光を当てて|覗《のぞ》きこむ。  四本に分かれた下水管は、直径が一メーターほどしかなかった。下水道の分岐点にメージャーのフックを持たせた黒井を立たせ、平松を先頭に細い下水管に四つん|這《ば》いになってもぐりこむ。  背中のアルミ箱が下水管の天井に当たらないようにするには、顔を浅い汚水に近づけるようにして姿勢を低くして這わなければならなかった。  新城はしばしば、吐き気をこらえグーッと異様な|唸《うな》りを|漏《も》らし、平松の|咎《とが》めの視線を浴びた。  平松は片手にメージャーを持っているので両膝と片手を使って這っていた。十五メーターをメージャーの目盛りが示したところで、首をねじって、ヘッド・ランプの光を上に向ける。  頭上には、直径三十センチほどのビニール管が垂直に通っていた。長さ二メーターほどのその管の上に鉄格子が見える。 「計算通りだった」  聞きとれないほど低い声で|呟《つぶや》いた平松は、新城たちに後退するようにと合図する。  男たちは、直径一メーター半ぐらいの排水管のなかまで後退した。平松は、 「さっきのところが、朴の屋敷の裏庭の使用人用の別棟についている洗濯室の排水孔の真下だ。ここから十メーターほど入ったところが、乾燥室の下になる。そこに穴を掘りあげていくんだ」  と、囁いた。  男たちは頷いた。  平松は黒井が背負っているアルミの箱に手を掛けた。黒井は汚水に膝をついた。  平松は黒井のアルミ箱のラッチを外し、|蓋《ふた》を外した。そこから、アルミとマグネシューム管の軽い折畳み式テーブルを取出した。  カメラの三脚をのばすように、テーブルの四本の脚をのばす。テーブル自体は畳むと五十センチ四方ぐらいだが、|抽《ひき》|出《だ》しのように押しこまれている四つの補助面を引っぱりだすと、幅一メーター長さ二メーターにひろがった。  新城たちは、そのテーブルに、自分たちが背負っていたアルミの箱を置き、蓋を開く。アルミ箱のなかには、さまざまな工具類が入っていた。  平松は再びメージャーを使い、乾燥室の下の位置を決めた。ビニール・カッターで、ビニールの下水管の天井に当たる部分を、長さ三メーターぐらい切取った。  そのビニール管の厚みは二センチほどもあったが、カッター本体に内蔵されているボンベの高圧ガスとビニール溶解剤の混合物が刃先に吹きつけられるので、柔らかくなったビニールは、チーズが薄刃で切られる時のように簡単に切れた。  平松が落ちてきたビニール管の天井部分を大ざっぱに細断すると、それを林田がビニール袋に詰める。切り取られたビニール管の天井部分の上は土が|剥《む》きだしになっていたが、その土は湿っているので、ほとんど崩れ落ちてこなかった。  細断し終わったビニール管は、林田がビニール袋に詰めたものを、新城が黒井のところに運ぶと、黒井はそれを、流れが激しい下水本道まで捨てに行った。  平松は圧縮空気を利用はしても、刃が回転するために|穿《さく》|岩《がん》|機《き》のような震動と|轟《ごう》|音《おん》をともなうようなことはない特殊のパワー・ショベルを使って、頭上の土を|削《けず》っていった。      3  みんなで手分けして、ビニール袋に落とした土を下水本道の流れに捨てに行く。  二時間もかからずに、乾燥室の床のコンクリートが裏の顔を|覗《のぞ》かせた。平松は、 「これから先は、俺一人でやる。薬品も使ってコンクリートを溶かすんだから、危険なのだ」  と、新城たちに言った。 「分かった。一休みしよう、兄貴」  黒井が言った。  一行は後退し、直径一メーター半の排水管のほうに戻った。汗まみれの平松たちは、うまそうにタバコを吸うが、いかに汚臭に慣れたとはいえ、新城だけはタバコに火をつけるのを遠慮した。  タバコを二本続けざまに吸い終えた平松は、消防士の防火服のようなものを身につけた。顔と頭には、防毒マスクを兼ねた、特殊なアクア・ラングのマスクとヘルメットをつける。耐火ガラスが目のあたりを|覆《おお》っている。外気に触れる部分は、顔や体のどこにもない。  小型のアクア・ラング用ボンベを背負った平松は、軽合金製のソリに乗せた薬品の噴射ボンベとホースを引きずって、乾燥室の下に入っていった。  新城たちは待った。鼻を突く刺激臭が流れてくる。  一時間ほどして、平松が出てきた。ヘルメットとマスクを脱ぐと、 「オーケイだ。床のコンクリートの厚さは二十センチもありやがったが、表面から一センチぐらいを残して、みんな削り落としてきた。残ってるところも、薬品でボロボロだから、ちょっと突くと崩れ落ちる筈だ。鉄筋も無論、薬品で焼き切って外しておいた」  と、言ってタバコに火をつける。 「夜明けまで、五時間以上ある。みんな、ここで待っててくれるか?」  新城は言った。ゴム手袋を脱ぎ、自分のアルミ箱から分解したM十六自動ライフルを出して組立てる。 「時間はたっぷりあるんだ。まず、道具をざっと片付けよう」  平松はタバコの煙と共に言った。  それから一時間後、平松は携帯用ジャッキの長い|脚《あし》をのばした。厚さが一センチほどになっている乾燥室の床のコンクリートにジャッキの上皿を当ててハンドルを回す。ポコッという軽い音をたてて、すでにもろくなっていたコンクリートの床の残りをジャッキの上皿が突き破った。  ハンドルを反対に回して上皿を一度さげた平松は、床にあいた穴から少し離れた位置もジャッキで突破る。ハンマーで|叩《たた》いてコンクリートの床を破るのとちがって、大きな音をたてない。  直径一メーター半ぐらいの穴があくまでに半時間も掛からなかった。親指と人差し指でオーケイのサインを出した新城は、落ちてきたコンクリートのかけらを積んだものの上に登った。  |馬《ば》|鹿《か》|長《なが》を脱ぐ。そのゴム製ウエーダーの下に新城は、音をたてぬ百パーセント・ピュア・ヴァージン・ウール製のズボンと、ネオプレーンの靴底のハンティング・ブーツをはいていた。  腰のベルトには二丁の拳銃のホルスターとロープの束と針金の投げ|罠《わな》やナイフなどを|吊《つ》っている。背には自動ライフルを背負っている。 「じゃあ」  と言うジェスチュアを、平松たちに送った新城は、ゴム手袋をつけた両手を穴の|縁《ふち》にかけた。そこにも薬品がしみているので、体重を掛けるとコンクリートが崩れそうになる。  新城は一気に自分の体を穴の外に引きあげた。|凄《すご》い体のバネであった。  平松の計算は狂ってなかった。新城が登ったところは、確かに乾燥室であった。三十畳ぐらいの広さで、一方の壁に熱風を吹きつける大きなダクトとファンがつき、天井からは百着ぐらいのシャツやブラウスなどがぶらさがっている。  新城は汚れたゴム手袋を脱いだ。ヘルメットも脱ぐ。  山野組は、朴の屋敷を建てた建築会社の設計技師を買収して、朴の屋敷の設計図を手に入れていた。その技師は、山野組があてがった女と麻薬に|溺《おぼ》れきっていた。朴に寝返りを打つ心配はないようだ。  ともかく、設計図を何度も見て、新城は、朴の屋敷の各部屋の位置を頭に刻みこんでいる。  この乾燥室がある別棟は、鉄筋二階建てで延べ百五十坪ぐらいの面積だ。一階と二階が、それぞれ七十坪以上ある。  二階には常には十人を越える朴の使用人——お手伝いや運転手や朝鮮料理のコックなど——が寝泊まりしている。だが今は、一階に十人近くの朴のボディ・ガードが泊まっている。  二十人ほどの朴のボディ・ガードのうち、母屋に十人ほど、この別棟に残りが泊まるというわけだ。母屋には警視庁から派遣された刑事十人ほども泊まっている。そのことは、お手伝いの一人を買収した山野組から新城は聞いていた。  この使用人用別棟と地上二階、地下二階建ての母屋との距離は百五十メーターほどだ。だが朴は、別棟から母屋にいる時の自分を出来るだけ覗かれないようにと、二つの建物のあいだに林と|築《つき》|山《やま》を置いていた。  林は常緑樹が多い。築山は変化に富んでいる。新城にとって、身を隠すのにおあつらえ向きだ。  新城は着ぶくれていた完全防水の作業上着も脱いだ。汚水の悪臭がしみこんでいるからだ。その下に、褐色に近いフォレスト・グリーンのアラスカ森林警備隊用の|岩乗《がんじょう》なシャツ・ジャケットを着ている。その材質も百パーセント・ピュア・ヴァージン・ウールだ。|緻《ち》|密《みつ》に織ってあるので、化学処理をほどこさなくても水をはじく。  その部屋には、小さな換気用の窓が一つだけついていた。カーテンもブラインドもついてない。  だから、その窓から射しこむ|淡《あわ》い月明りで、新城は乾燥室のなかの様子をよく見ることが出来たのだ。  新城は窓ぎわにそっと身を移した。ラッチを外し、窓を開く。音もたてずに跳び降りると、外側から窓を閉じた。  その窓から五メーターほどの|間《かん》|隙《げき》を置いて林がはじまっていた。迷路のように小路がつけられているが、雑草や|灌《かん》|木《ぼく》も多く、都内の特等地とは思えない。最大の|贅《ぜい》|沢《たく》を少し前までの朴は楽しんでいたのだ。今は、心が不安と恐怖に占められていて、この景色を楽しむどころではあるまい。新城は林まで|這《は》った。  林にもぐりこむと、左手に左の腰から抜いたラヴレスのガット・フック・スキナーのハンティング・ナイフを抜き、右手には消音装置付きのベレッタ・ジャガーを握った。  林の向うから、樹々にさえぎられながらも、母屋の灯がわずかに|漏《も》れている。  新城は林のなかの小路を十メーターほど進んだ。  そのとき新城は、小路の上を、一本の針金が|膝《ひざ》ぐらいの高さに張られているのを発見した。  その針金は、反射を防ぐパーカライジングの表面処理がしてあった。黒褐色の表面はザラザラしているので、光が当たっても反射しないのだ。  新城のように|狼《おおかみ》の目を持つ男でなかったら、その針金を発見することなど、とても出来なかったにちがいない。山野組が買収した朴のお手伝いは、こんな針金の仕掛けについては何もしゃべってくれてなかったのに……。  針金の両端は、小路の両脇の灌木のなかに消えていた。罠の引金にちがいない。腹這いになった新城は、引金の役をしている針金の右端が消えている灌木の中から調べはじめた。  だが、落葉の上についた|右《みぎ》|肘《ひじ》が、ぐすっと地面にのめりこんだ。その途端、激しい風切り音をたてて、カブラ矢が新城の背中の上を通過した。     執 念      1  新城は|罵《ば》|声《せい》を口のなかで|圧《お》し殺した。  |唸《うな》り声をたてて新城の背中の上を通過したカブラ矢は、数メーター離れた木の幹に突きささった。  |腹《はら》|這《ば》いになっている新城は、地面の小さな落し穴にのめりこんだ|右《みぎ》|肘《ひじ》を素早く持ちあげた。落し穴に、仕掛け矢が放たれる引金となる何かが埋められているにちがいない。  新城は前進するかわりに後退した。三メーターほど後退しながら、右手に握っていた消音器付きの拳銃をホルスターに戻し、背負っていたM十六自動ライフルを右手に持った。その銃身で、|罠《わな》があるかどうかをさぐりながら、新城は左横の灌木の茂みにもぐりこんだ。  そのとき、使用人用の別棟の建物の横のほうから、 「お前、さっきの音を聞かなかったか?」 「聞いたとも、だから、こうやって耳を澄ましてるんだ」  と、|囁《ささや》き交わす声が聞こえた。林のなかをパトロールしている連中だろう。 「確かめてこよう」 「奥には入れない。俺たちだって、林のなかにはどんな仕掛けがしてあるか分からねえんだ」 「大丈夫だ。林の奥に入る必要はない。さっきの音は、遠くはなかったぜ」 「じゃあ、行ってみるか?」  二人の男は、かすかに震える声で再び囁き交わした。  新城は灌木のなかで、腹這いになったまま、体の向きを変えた。小路のほうに顔を向ける。自動ライフルを地面に置き、右手に針金の投げ罠を持った。  強力な懐中電灯の光が、さっき新城が入りこんだ林の外れに近づいてきた。新城は、全身の神経を緊張させながら、パトロールの男たちでさえ雑木林のなかにどんな罠が仕掛けられているかを知らない……と、言っていた意味を考えてみる。  林が深いので、見張り所として|択《えら》んだマンションからは、望遠鏡を使っても、この雑木林を通って母屋と使用人用の別棟を往復する男女の姿は見えなかった。  新城はそのことを簡単に考えすぎていたようだ。それというのも、雑木林のこちら側の|縁《へり》と使用人用別棟のあいだは、使用人用別棟が邪魔になって、新城が見張っていた場所からは死角になっていたからだ。  それに、林の向う側、つまり母屋に近いほうでは、使用人たちが林に出入りするさまが新城に見えたから、新城としては、彼等が林をくぐって母屋と使用人用別棟を往復しているものだ、とばかり思っていた。  だが、どうやら新城は大きな考えちがいをしていたようだ。使用人用の別棟と林の母屋寄りの|縁《へり》近くが、トンネルで結ばれている可能性が大きい。  二人の男の足音と懐中電灯の光は、新城が|灌《かん》|木《ぼく》の枝や葉をすかして見ている小路とは別の小路の入口の手前で停まった。  その小路は、新城の背後五、六メーターのところにのびてきている。  銃身を切り縮めた散弾銃を腰だめにした二人の男は、一歩一歩慎重にその小路を歩いてきた。新城は物音をたてぬように極端なほど気を配りながら、再び体の向きを変えはじめた。  新城が二人が歩いてくる小路に対して、斜めの角度になった時、二人はもうすぐ横まで来た。  新城は呼吸の音を悟られまいと苦労した。  その時、パトロールの二人のうちの一人が、異様な叫び声をあげた。木がはじける音が続く。  新城は、その男が足を跳ね|罠《わな》にくわえられ、弾力性がある若木の|梢《こずえ》から|逆《さか》さ|吊《づ》りにされたのを見た。  もう一人の男は、パニックに襲われ、仲間を捨てて逃げようとした。  新城は隠れている場所から跳びだし、右手の投げ罠を、跳ね罠に吊りさげられている男の首に掛けた。  そいつを引っぱりながら、左手のナイフで逃げかけている男の|喉《のど》を|掻《か》き切り、背後から心臓も刺した。  ナイフでやられた男はすぐに死にはしなかった。しかし、声帯を切断されたので声が出ない。倒れて|痙《けい》|攣《れん》している。  新城はピアノ線の針金の投げ罠で首を絞められている男に視線を移した。逆さ吊りにされて血が頭のほうにさがっているところに首を絞められたので、その男は鼻と口から血を垂らしている。  新城は男の首を絞めている針金の環をゆるめてやった。顔が紫色になっていたその男は、必死になって空気を肺に吸いこんだ。  男は、とっくに、散弾銃を放りだしていた。レミントン八七〇のポンプ、つまりスライド・アクションの五連発ショット・ガンだ。  男は腰にM1ライフル用の弾倉帯を|捲《ま》いていた。弾倉帯の十個のポケットのうちの一つの|蓋《ふた》を開いてみると、四発の十二番散弾装弾が詰められている。  一発を抜いてみると、九粒の大粒散弾を詰めた|OO《オーオー》バックの鹿ダマと分かった。ほかの散弾も同様であろう。  九粒弾は、一度に大勢の敵を相手にするときや、|藪《やぶ》|越《ご》しに射つ時など大いに有効だ。だから新城はその散弾銃を借用することにする。  しかも、そのスライド・アクション・ショットガンは、銃身の下に平行してのびた弾倉チューブのキャップのすぐ上で銃身を切断されていた。  スライド・アクションだから、ロング・リコイル式自動散弾銃のように発射時に銃身が後退しないから、そのように銃身を切り縮めることが出来るのだ。  銃身を切り縮めることによって、軽く短くなって携帯や振りまわしが楽になるだけでなく、銃口の|絞り《チョーク》が無くなるから、発射された散弾は近距離でも大きく開く。  その散弾銃は、銃床も二インチほど切り縮められた上に、極端なほど細く削られていた。負い革はついている。  その散弾銃のスライドを軽く引き、遊底を少し後退させて薬室にも|装《そう》|填《てん》されていることを確かめた新城は、自分の左の肩に吊った。  逆さ吊りになっている男の腰から弾倉帯を外し、自分の|左腿《ひだりもも》に二重巻きにして付けた。腰にはM十六自動ライフルの弾倉帯を七本も捲いているからだ。  ナイフでやられたほうの男は、今は動かなくなっていた。パックリと切り口が開いた喉から噴出した血が、落葉や土にしみている。  その男のほうも、銃身を|挽《ひ》き切ったミロク製の水平二連散弾銃を放りだしていた。腰には、一つのポケットに十二番の散弾がうまい具合に四発ずつ詰まるM1ライフル用の弾倉帯をつけている。  二丁の散弾銃を身につけると重いから、新城はその男の弾薬だけを利用させてもらうことにした。  男から弾倉帯を奪い、自分の右腿に二重に捲いて、弾倉帯についている金具で留める。  そのとき、母屋と使用人用の別棟のなかで、けたたましい非常ベルが鳴り響いた。新城は歯ぎしりした。  母屋と林のあいだにある築山に、数十本のサーチ・ライトの光が当てられたのが分かった。次いで、別棟と林のあいだの草木を刈り取った空間にも、別棟の二階から突きだされた数十本のサーチ・ライトが当てられた。  サーチ・ライトの光線は強烈で、|縁《へり》から七メーターほどしか林のなかに入ってない新城の姿も、別棟から発見されるのではないかと思われた。  新城は、出口をふさがれて林のなかに閉じこめられた格好になったのだ。しかも、林のなかには無数の罠が仕掛けられているらしい。絶対のピンチというところだ。      2  しかし|修《しゅ》|羅《ら》|場《ば》をくぐり抜け続けてきた新城は、死の覚悟など決める気持など毛頭起こさなかった。  復讐の誓いはまだほんの一部が果されただけだ。誓いを果さぬうちには死ねるわけがない。  復讐に狂った新城には、鬼神が乗り|憑《うつ》ったようになっていた。どんな法と権力と武力の|威《い》|嚇《かく》も、魔神がとりついた新城の魂を|挫《くじ》けさせることなど出来はしない。  新城は跳ね罠に逆さ吊りにされている男の両手首の|腱《けん》を素早くナイフで切断して、男が武器を扱えないようにした。  男の体をひっぱる。男の右足首を捕えている跳ね罠の先の梢が曲げられた。  跳ね罠は細いワイヤー・ロープで出来ていた。新城はそのロープに、ラヴレス・ガット・フック・スキナーのハンティング・ナイフの刃を叩きつけた。  ロックウェル硬度六十三度のラヴレスの刃は、ゾーリンゲン産のナイフや包丁を切断することが出来る。ましてや、ワイヤー・ロープなど、ナイロン・ロープのように切断して刃こぼれ一つ見せなかった。  男の体がドサッと地面に落ち、自由になった若木の梢は、激しい勢いで垂直位置に戻った。  それを見た別棟の連中は、 「あそこだ!」 「射て、射て!」 「射って射って射ちまくれ! 仲間に当たることを心配したりしたら、俺たちが|殺《や》られるんだぞ」 「誤殺の責任は俺がとる。だから、射つんだ!」  などと、わめき散らした。  数百発の銃弾が別棟の二階から吐きだされる。軽機関銃も短機関銃も散弾銃も自動ライフルも拳銃も総動員された。  その間に新城は、M十六自動ライフルを拾って右の肩に背負うと、半ば意識が|朦《もう》|朧《ろう》としている男の体を自分の前に転がして、罠があれば男の体ではじかせる工夫をしながら、自分も林のなかに進んでいく。  別棟からの射撃は、まったく盲射ちに近かった。だが、木の枝や葉に触れて勝手に銃弾が方向を変えるから始末におえぬ。  新城の体を数発がかすった。  新城は近くの一本の巨木の蔭に|廻《まわ》りこむことにし、そちらのほうに男の体を転がした。  そのとき、新城が転がしていた男が、数十本の枯枝の折れる音と共に、突如として新城の前から消えた。  沈んだのだ。落し穴に落ちこんだのだ。肉に硬いものが突き刺さる無気味な音と共に、男の絶叫が下のほうからほとばしった。  穴は深く暗かった。  しかし、狼のように夜目がきく新城には、五メーターほど下の落し穴の底に|仰《あお》|向《む》けて倒れた男の胸や腹から数本の槍の穂先が突きだしているのが見えた。  落し穴に植えられている槍ブスマが、男を背中側から貫いたのだ。だが、そのいずれもが致命傷とはなっていず、男は必死にもがこうとしている。  新城は内ポケットから、細いが長いケーブルを捲いたものを取り出した。直径わずか二ミリだが、数トンの抗張力がある。  新城は長さ十五メーターほどのそのケーブルを巨木の根元に回した。ケーブルの先端を合わせ、そのケーブルを両手で握り、落し穴の横壁に足を踏んばりながら、両手をゆっくりケーブルに滑らせていく。  新城の体は落し穴のなかに消えた。別棟から飛襲する銃弾は数を増していたが、落し穴のなかにはとどかない。  新城は槍ブスマの穂と穂のあいだに両足を降ろした。ざまあ、見やがれ、と声には出さずに胸のなかで叫ぶ。 「何とかしてくれ!」  槍に体を縫いつけられている男は、口から血を垂らしながら|呻《うめ》いた。 「助けてやろう。あんたには何の恨みもないからな」  新城は耳を|聾《ろう》する射撃音のなかで答えた。銃弾ではね飛ばされた小石が落し穴のなかに落ちている。 「本当か?」 「ああ。だけど、その前に教えてくれ。この林のなかをトンネルが通っているんだな?」  新城は尋ねた。 「そうだ。別棟と本館のあいだはトンネルで結ばれている」  男は|喘《あえ》いだ。首を横にすると、破れた肺から逆流していた血が口からとびだした。 「|嘘《うそ》をつくな。別棟からトンネルに入った奴は、林のあっち側の|縁《へり》の近くで|地上《うえ》に出るんじゃないか?」 「嘘じゃない。トンネルは別棟と本館を結んでいる。だけど途中で林の向う側の縁の近くにも出入口がついてる、というわけだ」  男は呻いた。 「そうだったのか……悪かった……ところで別棟からトンネルに入るのはどこからだ?」  新城は尋ねた。 「一階の大食堂の北側に小部屋がある。そこからトンネルに降りる階段が……」 「本館……母屋のトンネルの出入口は?」 「地下室……の食料庫の横の……」  男はそこまで言ったとき、激しく|苦《く》|悶《もん》しはじめた。  新城は、血の塊を気管に詰まらせたことが経験から分かった。男の体を槍ブスマから引き抜きにかかる。  だが、男の体を引っぱりあげて|俯《うつむ》けにぶらさげても、もう手遅れであった。新城は男の死体を落し穴の壁の近くに寄せて槍ブスマの上に|坐《すわ》らせた。下に向けて押しつける。  男の死体は、槍に尻から貫かれたが、穂先は体のなかにとまった。  新城は槍に固定された格好の死体の肩の上に乗った。  別棟からの射撃は|中《なか》だるみになっていた。様子を見ているのであろう。新城は巨木の根元を支点にして垂れさがっているワイヤー・ケーブルを伝って体を穴の上の近くに近づけた。  足で落し穴の壁を踏んばりながら、ケーブルで腰をしばって両手を使えるようにした。  落し穴から肩から上を突きだした新城は、セミ・オートにしたM十六自動ライフルで、別棟の二階の窓のスポット・ライトの一つを|狙《ねら》った。  引金を絞る。  一発目は、途中の木の枝に当たった。木の枝は吹っ飛んだが、弾道がそのために狂ったために、スポット・ライトには当たらない。  だが二発目が狙ったスポット・ライトを破壊した。新城はただちに、別のスポット・ライトに三発目の狙いを替える。  中だるみであった別棟からの銃撃が、再び激しくなった。だが新城は、顔のまわりを数発のまぐれ|弾《だま》にかすめられながらも、M十六を射ちまくり、二個の弾倉を空にする前に、別棟のすべてのスポット・ライトを破壊した。  M十六自動ライフルには消炎器——フラッシュ・ハイダー——がついているから、発射炎はほとんど出ない。だから別棟の連中は、すべてのスポット・ライトが破壊されて、新城に文字通り盲射ちを掛けてくるほかなかった。  それに反し、新城には窓から射ってくる連中の姿がよく見えた。新城は、射的の人形でも倒すように、一人ずつ片付けていく。  新城が三十人ほど片付けたとき、別棟の窓に残っていた連中が後退して、新城から姿を隠した。  新城は連中が作戦を変えるためだろうと気付いて油断しなかった。  数分後、彼等は肉弾戦に出た。一階の窓から五十人ほどが銃を乱射しながら跳びだし、林のなかに突っこんでくる。  新城はM十六のスウィッチ・レヴァーをフル・オートに切替えて連射した。麻薬か覚醒剤でも血管にブチこんで|空《から》|勇《ゆう》|気《き》をつけた彼等が無茶苦茶に突進してくるのを、次々に射ち倒していく。  遠くから新城の背後に廻りこもうとして、彼等の上層部が仕掛けてあった罠に掛かって爆破されたり、トラバサミに|噛《か》まれたり、落し穴の槍ブスマに体を貫かれたりした連中の絶叫が新城にも聞こえた。  新城のほうは、すでに腰に捲いていた七本ものM十六の弾倉帯のうち五本を使いきっていた。  だから新城は、M十六自動ライフルの銃身を冷却するためと弾薬を節約するために、M十六は肩から吊り、かわりに、パトロールの男の一人から奪ったレミントン八七〇のスライド・アクション・レピーターのショット・ガンを手にした。  そのとき、生残った男たちのうちの三人が一とかたまりになりモーゼル・ミリタリーの大型拳銃を盲射ちしながら、新城の十メーターほど近くまで迫ってきた。  左手でショット・ガンのスライディング前床を握った新城は、短い銃床のバット・ストックを肩付けした。  射つ。  短く|挽《ひ》き切られた銃身から|凄《すさ》まじい火が吐きだされた。  銃を極端に軽量化しているので激しい反動だ。腰をケーブルで縛り、落し穴の壁に足を踏んばった不安定な姿勢の新城は、危く穴の底に転げ落ちそうになる。  だが、巧みにバランスを取戻した新城は、スライディング前床を引いてプラスチックと|真鍮《しんちゅう》の|空薬莢《からやっきょう》を排莢するとスライディング前床を前に戻して遊底を閉じながら、チューブ弾倉の実包を一発薬室に送りこんだ。再び引金を絞る。  すでに一発目に発射された九粒弾が、三人の体のどこかに当たっていたが、二発目も数粒ずつが三人の体にくいこんだ。  三人は転がる。新城はさらに彼等にバック・ショットを浴びせた。三人は|痙《けい》|攣《れん》をはじめる。      3  それから二十分ほどがたった。  |復讐《ふくしゅう》に狂った報復者新城は、突撃してきた連中のほとんどを片付け終わっていた。あとの連中は、林のなかで|罠《わな》に掛かって死んだり戦闘能力を失ったりしている。  新城は落し穴から這い出た。バック・ショットは、あと三十発ぐらいしか残ってない。ワイヤー・ケーブルを回収した新城は、さっき自分が通ってきた小路を通って林の|縁《へり》に近づいた。五つの死体をまたぎ越える。  罠が無数に仕掛けられている林を突っ切ってではなく、別棟からトンネルを通って本館に突入する積りだ。  深呼吸した新城は、ジグザグを描いて別棟に走った。それを発見した数人が、建物のなかからあわてて発砲してくる。  新城は機関銃のような早さでスライド・アクションのショット・ガンから四発射った。スライド・アクションは、慣れると自動銃よりも早く射てるのだ。  新城に向けて発砲してきた連中が被弾して吹っ飛んだ。新城は素早くチューブ弾倉に次々に|装《そう》|填《てん》する。  銃弾でガラスが砕け散っている窓の一つから、ショット・ガンを室内に盲射ちに射ちこみながら跳びこんだ。跳びこんでからも、装填しては五、六発射つ。  そのときであった。林に大爆発が起こったのは……。  雑木林のなかを一列に土煙が吹きあがった。別棟の建物も崩れそうに揺れる。土煙に次いで、火炎が吹きあがった。  新城が別棟に入りこんだことを知った本館の連中が、トンネルをふさぐために、トンネルに仕掛けてあった爆薬の起爆装置のスウィッチを入れたのだ……と、新城が気付くまでには、ちょっとの時間がかかった。  トンネルの上や、その近くに位置していた木々が吹っ飛ぶ。裂けた木片は、砕けた岩石と共に別棟にも飛んできた。  新城は爆発の際の火炎の明りで、自分のいる部屋のなかの様子を一と目で見取っていた。  十数人の男が倒れている。彼等が放りだした銃はさまざまであったが、少なくとも三十本のM十六自動ライフルの弾倉帯がこの部屋にある。箱に入ったままの散弾も四、五百発あった。  林の大爆発は終わっても、木片や石片が飛んでくる。新城は二つの死体の下にもぐりこんでそれを避けた。  少したって、|土埃《つちぼこり》が立ちこめた林のところどころで、チョロチョロと炎が舌なめずりした。枯木が燃えているのだ。  そのかすかな明りで、死体から|這《は》い出た新城は、部屋のなかの様子をじっくりと調べることが出来た。  部屋に落ちているM十六の弾倉帯を調べ、コンディションがいい弾倉を五本の弾倉帯に入れて自分の腰に捲く。  さらに、ポケットじゅうと、|右《みぎ》|腿《もも》に|捲《ま》いたM1用の弾倉帯に散弾を押しこんだ。|OO《オーオー》バックの装弾と、|NO《ナンバー》|1《ワン》バックといって一発に十六粒が詰められている装弾が半々であった。  さっきの大爆発で、林のなかの罠のほとんどは使いものにならなくなったろう。特に爆発したトンネルの上やその近くは罠が完全に破壊されたにちがいない。  新城は窓から跳びだした。  爆発の跡の近くをたどって、まだ舞っている濃い土埃のなかを本館に近づく。  小さな火災がところどころに起き、爆発の跡の地面は乾いた底無し沼のように足に抵抗が無かったが、いたるところに爆発で木が倒れているので、その上を伝って新城は歩いたり跳んだりする。  濃い土埃のために、さすがの新城も、五、六メーター先しか見えなかった。  だが、それは新城だけのハンディキャップとはならなかった。本館の連中には林のなかを接近してくる新城を発見することが出来ないらしく、一発も射ってこない。  新城が林の向う側の縁近くにたどり着いた時にも、まだ土埃は薄れてはいても収まってはなかった。  林と本館のあいだの築山には、広い池の下にトンネルが通っていたらしい。そのトンネルが爆破されたために池は|涸《か》れている。本館のまわりに人影は無かった。みんな建物のなかに閉じこもったらしい。土埃のスクリーンを通して、本館から放たれる二十数本のサーチ・ライトが目を|剥《む》いている。室内灯は消えている。  新城は自分のすぐ近くに、絶好の|掩《えん》|護《ご》|物《ぶつ》として使えるものを見つけた。  巨大なコンクリートの塊だ。トンネルの林のなかの出入口の建造物の一部が爆発ではじき出されたのであろう。  高さ一メーター半、幅約二メーター、奥行き約五メーターのそのコンクリートの塊のうしろに廻りこんだ新城は、コンクリートの上に五本のM十六の弾倉を並べた。  M十六の遊底から土埃を吹き払い、フル・オートでサーチ・ライトを射ち砕きはじめる。弾倉が空になると、素早くコンクリートの上の弾倉を|填《つ》め替える。  五、六個のサーチ・ライトが破壊されるまでは本館からの応射は無かった。だが、それからあとは、数十丁の銃が|吠《ほ》え続ける。  コンクリートに当たった銃弾が火花を散らして跳ねた。跳弾で新城は体の数十か所にかすり傷を受ける。  しかし新城はたちまち三本の弾倉を空にし、本館のすべてのサーチ・ライトを破壊した。コンクリートの塊のうしろに|蹲《うずくま》る。  本館の射手たちは本職の者が多いらしい。サーチ・ライトが消えても、数十発に一発の割りでコンクリートの巨大な塊に命中する。コンクリートの破片が飛び散り続けた。  彼等がマグナム・ライフルを使っていたら、この大きなコンクリートの塊も破壊されてしまったことであろう。  だが彼等はせいぜい三〇八口径のM十四自動ライフルや、M六〇の機関銃しか使ってなかった。  新城はしばらく待った。  銃撃が中だるみになる。だが、本館の二階の窓から突きだしたM六〇機関銃だけは、|執《しつ》|拗《よう》に連射してくる。  いま新城がいるところと本館は築山をへだてて五十メーター以上は離れているとはいえ、機関銃は高い位置から射ってくるから、早く片付けないと、新城はコンクリートの塊のうしろから動けなくなる。  だが、その機関銃が沈黙する時がきた。ベルト弾倉を替えるためか、熱くなりすぎた銃身を交換するためであろう。  新城は立上った。M六〇機関銃にフル・オートで一弾倉分の銃弾を浴びせる。異様な金属音が伝わってきたところを見ると、何発かが命中したようだ。  新城は再び身を沈めた。本館からの射撃が再び華々しくなるが、そのなかにはM六〇機関銃のものは混じってない。  今度は本館からの射撃はひどく不正確になった。どこにコンクリートの塊や新城が位置しているかが分からなくなったのであろう。  新城は、今度敵の射撃が下火になったら、奇岩の掩護物が多い築山を這って突入を計ろうとした。  そのとき、激しい銃声に混じって新城はヘリコプターの爆音を聞いた。  新城の心臓がはじめて縮みあがった。  ヘリから爆弾か|手榴弾《しゅりゅうだん》でもくらったら一とたまりもない。こうなれば、このコンクリートの巨大な塊の下に穴を掘って直撃を避けよう……と判断した。  だが、ライトを消して飛んできたシコルスキーS—55Cの中型ヘリは、本館の屋上二百メーターほどのところでホヴァリングした。  その横腹から爆弾が次々と落下してくる。一発目の三十キロ爆弾が本館の屋上に落下した時には、ヘリは三百メーターほど上空に上昇していた。  落下したのは十発ほどであった。  五発ほどは屋上で爆発した。だがその爆発で屋上が破壊されて大穴があいたらしく、あとの五発は屋上を通過して二階で大爆発を起こした。  二階の窓々から火と閃光が噴出した。十数人の男たちが爆風で窓から吐きだされる。ヘリは再び十発ほどの爆弾を落とした。  爆風を避けて身を伏せていた新城は、本館の一階でも大爆発が起こったのを|痺《しび》れた耳に聞いた。ヘリは、新城が苦戦しているのを援護にきた山野組のものにちがいない。  爆風と飛来する建物の破片や人体の一部が鎮まってから、新城は体勢を直した。  ヘリは去り、|闇《やみ》のなかに溶けこんでいた。そして、半壊した本館のすべての窓の跡から火が噴きだしていた。  その本館から、血まみれになったり、火だるまになった男たちが次々によろめき出ては倒れた。  新城はM十六自動ライフルで彼等にトドメを刺していく。  大東会会長小島銀次こと朴が火を噴く窓から転がり出た。火がついた服を必死にかなぐり捨てる。  よろめきながら立上った素っ裸の朴は、薄い髪がすべてチリチリに焦げている。|煤《すす》けた顔は|火傷《やけど》で|腫《は》れあがり、焦げて|腫《は》れた下の真っ赤な目は細い|裂《さ》け目のようだ。  |肋《ろっ》|骨《こつ》が浮いた体のいたるところに、木片やコンクリートの破片が突き刺さり、陰毛は焼け、しなびた男根は炭化しかかっていた。  だが、生命への怖るべき執着心が朴の体を動かしていた。何度となく倒れても、折れて焦げた指を築山について立上り、新城のほうによろめき近づきながら、 「助けてくれ……一億……いや二億払う……助けてくれ!」  と、裂けて腫れあがった唇のあいだから|嗄《しわが》れ声を絞りだす。 「俺はここにいる。早く来るんだ」  獲物を追いつめた興奮に首の上の髪を|逆《さか》|立《だ》てながら新城は叫んだ。 「助けてくれ!……五億出す……政府からあんたの免罪符をもらってやる……大東会の副会長にしてやる……」  朴は|喘《あえ》ぎながら、転んでは立上って新城に近づき続けた。  朴が十メーターほどに近づいたとき、新城は朴に走り寄った。右腕を|掴《つか》む。ひどく火傷した朴の右腕の皮膚がずるっと|剥《む》ける。新城は直接朴の肉を掴んで、悲鳴をあげる朴をコンクリートの塊のうしろに引きずってきた。  朴をコンクリートの上に仰向けに寝かせ、 「俺が誰だか分かるな?」  と、吐きだすように言った。 「勘弁してくれ……天下国家のためには、漁師が一人二人死のうと仕方なかったんだ」  口から血と泡を吐きながら朴は喘いだ。 「なぶり殺しにしてやる。俺はこの時をどれだけ待ったことか」  新城は朴の右腕を肘からへし折った。  絶叫をあげた朴は、 「助けてくれ!……天下国家なんて口実だ……俺には祖国なんて無い……|金《かね》だけが俺の祖国のようなもんだ……その大事な金を十億払う。だから助けてくれ!」  と、もがく。 「貴様を殺す」  新城は朴の左腕をへし折った。炭化しかかった男根を千切り、口のなかに突っ込んでやる。  それを吐きだした朴は命乞いを続けた。新城は手刀を朴の腹に突き刺してハラワタを引きずりだした。  そいつを朴の顔に|叩《たた》きつけたとき、やっと朴は死んだ。生と金銭と権力への執念の表情を、血と粘液にまみれた原色のハラワタの下の顔に刻んで……。     |黒豹《くろひょう》の|鎮《ちん》|魂《こん》|歌《か》 |第《だい》|二《に》|部《ぶ》  |大《おお》|藪《やぶ》|春《はる》|彦《ひこ》 平成12年10月13日 発行 発行者 角川歴彦 発行所 株式会社角川書店 〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3 shoseki@kadokawa.co.jp (C) Haruhiko OYABU 2000 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 角川文庫『黒豹の鎮魂歌第二部』平成元年2月10日初版刊行